近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

福岡市博多区編



博多町家ふるさと館(三浦家住宅)
福岡市博多区冷泉町 明治20年代前半
木造/2階建 不詳/不詳
市指定有形文化財/03.3/福岡市/教育施設(同左)
 地域固有の伝統技術の一つである博多織を生業としていた織元の施設を移築し、記念館に利用した建物です。同じ町内にあった建物ですが、建物譲渡を期に移築復元されました。
 福岡部と博多部とを合わせて「福博」と称される市街地には、博多部には中世以前の建築が、また福岡部には現代の代表的建物が多くあるもののどうもそれらの中間層の歴史が薄い印象があります。そういった中では、この建物が数少ない近代の歴史を背負って気張っているのかもしれません。周辺地域には鹿島本館や福岡社家町教会などの小品が遺っています。こちらも必見です。(65.)

博多町家寄進高灯籠(同左)
福岡市博多区中洲一丁目 明治32年(1899)
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/07.7/福岡市/教育施設(同左)
 中洲の南端にある公園にぽつりと置かれた灯籠。元々は博多誓文払いを創始した八尋利兵衛が公園設備のために広告を募り、神社に寄進したもので、石積みの一面一面に明治期の店舗広告が記載されており、なかなか面白いです。
 現在は当初位置より移設され、公園施設の一部として保存公開されています。対岸にはキャナルシティの長大な壁に現代風の広告板があり、近代の広告と不思議な対照を見せています。出来れば、夜にはライトアップしてもらいたい作品ですね。(65.)

みやけうどん(同左)
福岡市博多区上呉服町 大正期
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/07.10/民間/商業施設(同左)
 ちょっと見た感じでは、伝統的な日本家屋という位置づけになってしまいそうですが、縦長の窓が違和感を醸し出しています。こういった窓形態は基本的に洋風建築のそれが持つ特徴で、土蔵造には、いかにも不似合いです。和洋折衷、というよりはこれも擬洋風建築の亜流といっても良いかと思います。
 建物も面白いのですが、何よりも紹介したいのは中で営業しているうどんです。讃岐とは対極を成す「スープで飲ませるうどん」がここにあります。コシなんてもの、ありません。一度食してみることをお薦めいたします。(65.)

鹿島本館(大盛館ホテル)
福岡市博多区冷泉町 大正期
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/07.10/民間/商業施設(同左)
 当初から宿泊施設としてた建てられた施設ですが、どちらかといえば内装は料亭のそれに近いものがあります。和の要素がきわめて強いといった意味合いで言えば、近代化遺産よりは、近代和風建築と言うべきなのですが、ホテルとして建てられた経緯をふまえ掲載させていただきます。まあ、もっとも『福岡の近代化遺産』で既に紹介しているので、こんな但書きは不要でしょうかね。
 雰囲気が素晴らしいにもかかわらず宿泊料金がお得と言うことで、外国人客の利用が多いようです。遠くからお越しの皆様には、お薦めしたい宿のひとつです。(65.)

福岡県立福岡高等学校(同左)
福岡市博多区潟洲一丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/04.2/福岡県/教育施設(同左)
 往時の旧制中学のステータスを感じる門から一歩中にはいると、正面を重視したコンクリート造建造物が見えます。簡素な車寄と2階上部のラインに教育施設としての堅さを見ることができます。
 内部は教育施設のため、一般に開放されているものではなく、また現在も使用されていることを考えると保存状況はあまり芳しいものとは考えづらいですが、たとえばこの門柱ひとつとっても周囲の景観に十分貢献しているだけの説得力を持っているように感じます。それこそがかつての旧制中学の力ではないかと考えています。(0.)

日本基督教団福岡社家町教会(同左)
福岡市博多区冷泉町 昭和4年(1929)
木造/平屋建 W.M.ヴォーリズ/辻組
/03.3/民間/宗教施設(同左)
 こちらは敷地自体が林のようになっており、町家のような長細い敷地をしているため、全容の把握が困難となっています。ヴォーリズ建築とのことですが、これは日曜礼拝に行きでもしない限り、内容の把握は不可能ではないかと真剣に悩んでしまいます。
 都市景観という一面においては、何かを期待させるこのミステリアスな雰囲気は、実に貴重かつ魅力的なポイントです。入ってみたい、覗いてみたいという空間が街中にひとつくらいあった方が、思い入れも強まるのではないでしょうか。そんなあこがれの空間をひとつでも増やしていきたいものです。(a.)

東福岡高校本館(福岡商業学校)
福岡市博多区東比恵二丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/07.1/東福岡高校/教育施設(同左)
 堂々たる学校建築。重厚な玄関ポーチと正面窓上部のアーチ意匠、また横軸を強調させるための三階部分庇などは、建物固有の個性であるとともに、福岡県に現存する学校建築にも大なり小なりある特徴です。正面上部には、、、模様とも、文字ともとれる意匠があります。これ、いったいなんでしょうか?
 このような福岡市には希少なボリュームを持つ建築ですが、既に解体されてしまいました。建築が多く取り壊されすぎた福岡市内で、この規模はもう希少と言うほかなかったのですが、、、残念です。(65.)

東福岡高校旧守衛所(福岡商業学校守衛所)
福岡市博多区東比恵二丁目 昭和5年(1930)頃?
木造/平屋建 不詳/不詳
/07.1/東福岡高校/教育施設(同左)
 古い学校なら必ずあったと思われる守衛所ですが、存外更新も早く、戦前期のもので現存するものはそれほど多くありません。こちらのように一応遺ってはいるものの、壁に囲まれてしまい守衛所の用をなしていないものも高校を中心に数多くあるようです。大学のそれと違い高校施設では経費削減の影響が強く、守衛を置く事が出来ない、という事情もあるのでしょう。
 東福岡高校の校舎改築後のイメージパースを見てみると、こちらの施設は一応遺ることになっていたようです。なのにいつの間にか取り壊されています。レプリカ復元でもやるつもりでしょうか。(65.)

パナソニックコミュニケーションズ本社本館(日本足袋福岡工場)
福岡市博多区美野島四丁目 昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/2階建(竣工当初は5階建) 不詳/不詳
/07.1/パナソニックコミュニケーションズ/教育施設(同左)
 戦後工場が居抜きされる形で現在も使用されている、珍しい例です。元々は久留米の日本足袋(現・アサヒコーポレーション)が福岡工場として使用していましたが、こちらの工場が撤退した際、地元の要請に応じる形で松下電器産業が居抜き進出、現在までまで系列会社が使用し続けています。
 福岡県西方沖地震を期に本館部分は耐震工事を施し、その際五階建が二階建に改装されました。改築ではなく、改装修理を選んだ同社の英断に心より敬意を表します。(65.)

旧福岡玉屋
福岡市博多区中洲三丁目 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/5階建 不詳/金子組
/00.11/福岡玉屋/商業施設
 かつて福岡には玉屋・岩田屋・松屋・淵上と多くの地場百貨店がありました。それらの中で一貫して博多部の百貨店であり続けたものがこの玉屋でした。建物は創業時の色合いをそのまま残し、商業施設の華やかさと昭和の幾何学的なデザイン製を保ったすばらしいものでした。現在は取り壊されてしまい、その姿を追うことはできません。
 百貨店としての玉屋の歴史も、小倉・福岡両店の閉鎖によって同県からは姿を消し、僅かに佐賀と長崎に店舗を残しその命脈を保っています。(0.)


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