近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>松下村塾 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

山口県萩市編

萩反射炉(同左)
萩市前小畑上ノ原 安政5年(1858)
石・煉瓦造反射炉 不詳/不詳
国指定史跡/05.2/国?/静態保存(工業設備)
 韮山反射炉と並び称されるべき、日本の近代を告げる施設。現在近代に対する再評価、また史跡研究が行われるとともに、各地で反射炉の復元が行われていますが、復元ではない、本物の反射炉はここと韮山の二ヶ所しか遺されていません。
 同じ国指定史跡ながら、韮山の知名度に遙か及ばない状況なのには、納得のいかないものがあります。その状況を表すかのごとく、保存状況はかなり悪いといわざるを得ません。(18.現地案内板.) 

県立萩高等学校旧教員室(同左)
萩市堀内(萩高校敷地内) 明治20年(1887)
木造/2階建 不詳/不詳
県指定有形文化財/05.2/山口県/教育施設(同左)
 コロニアル風施設として知られる施設ですが、その最大の特徴は、玄関車寄部分の装飾に凝縮されています。逆に言えば、それを除くと下見板張りの和洋折衷式建物以外の印象は見えづらい建物です。
 2階部分には鎧戸が配置されていますが、1階部分は良くある引き戸です。頂上部にある瓦は避雷針を兼ねているのでしょうか。その知名度の割にはすっきりとしない、謎が多く残されている擬洋風建築だと言えます。擬洋風建築の多くは実にそういった謎が数多くあり、そこが研究者にとっておもしろいところとも言えます。(18.)

県立萩高等学校同窓会館(同左)
萩市堀内 明治45年(1912)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.2/山口県/教育施設(同左)
 萩高校には旧制中学時代からの建物がいくつか遺っています。この建物もそれらのうちのひとつで、書物の調査票によると同窓会館という風に書かれていました。一見したところでは、倉庫といわれてもそれはそれで納得していることでしょう。外見からは特段これは、というような特徴を感じ取ることは出来ませんでした。
 ここで感じることは、萩という空間が歴史を大事にしているのだな、ということです。この街に住む人は、決して祖先の足跡を消したりすることはないでしょう。(18.) 

三見橋(同左)
萩市三見 大正3年(1914)
石造アーチ道路橋 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.2/山口県/道路橋(同左)
 萩の中心部からはかなり離れた地区に遺されている石橋。九州ではそれ程珍しいものではありませんが、山口県でこれだけの石橋が遺されていたことが文化財登録の大きな要因だったのでしょう。
 元々は県道に架かっていた橋でしたが、新道が作られたことにより、生活道路としての使用のみにとどまっています。が、現在でも自動車が通ることの出来る、現役バリバリの橋梁です。こういった橋を見学すると、なぜかうれしくなってしまいます。(18.)

玉木病院旧館(同左)
萩市瓦町 大正6年(1917)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.2/民間/静態保存?(医療施設)
 萩の城下町に近接した病院の旧館。ギャラリーとして用いているという張り紙もありましたが、現在のところは使用頻度は高いとは言えない雰囲気がありました。
 大正時代にしては簡素な装飾でまとめられていますが、これは城下町の景観にあわせられたものではないでしょうか。訪れたときには一階部分のモルタルが大きくはがれてしまっており、将来的に心配が残されている状態でした。(24.) 

JR萩駅(同左)
萩市椿 大正14年(1925)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.2/萩市/静態保存(交通施設)
 萩市の中心は、現在でこそ市街地に近い東萩駅に移されている感がありますが、往時の隆盛を示してくれる貴重な遺構がここに遺されています。長らく駅舎として用いられていますが、近年上屋の大部分を鉄道・地域史料館として解放しています。
 大きく開かれている正面玄関からは史料館にはいることは出来ますが、ここからはホームに行くことが出来ません。駅としての機能は東側の付属屋に追いやられてしまいました。何か納得のいかない哀しさを覚えます。(18.)

旧県立萩商業高等学校研修室・同窓会館(南園文庫閲覧室)
萩市江向 昭和4年(1929)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.2/山口県/教育施設(同左?)
 萩城下にふさわしい近代建築のひとつ、ではあるのですが、当初は何に用いられているのか。私が一回訪れただけでははっきりと分かりませんでした。延面積の中でうまく変化を持たせた手法は、分離派以降の作品ではないかと推定される、なかなか好感の持てる作品です。情報提供によってようやく同窓会館などに使用されていたことを知りました。ここに感謝申し上げます。
 現在は高等学校統合によって高校としては使用されていないことを知りました。この建物の行く末が心配でなりません。(情報提供.)

萩市立明倫小学校(同左)
萩市江向 昭和10年(1935)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.2/萩市/教育施設(同左)
 年代から帝冠建築の影響を唱えるひともいるかもしれませんが、この建物は明倫館の伝統をそのまま表現した結果であろうと考えています。近代和風建築がガラスという素材と様式建築のパターンをうまく昇華したことが、この建物を見る限り納得が出来ます。
 元が藩校ということもあって、構内には幕末期の建物も遺されています。ここでは採りあげていませんが、萩の統一された景観に彩りを添える施設ですので、一度訪れた際には学校とともに必見の施設です。(18.) 

松陰神社付属倉庫(同左)
萩市椿東 昭和期?
木造/2階建? 不詳/不詳
/05.2/民間/宗教施設(同左)
 神社の境内にこっそりと建てられていながらも、どうしても目立ってしまいがちな倉庫施設。よくよく見てみると、不可思議な気持ちにさせられます。
 神道施設なのに、下見板張り倉庫。倉庫なのに、瓦葺庇付きの車寄せ、そして玄関には、鳥居を模した扉枠。中には何があるのか、むしろ、本当に倉庫と考えて良いものか考え込んでしまいます。
 やはり和洋折衷式の建物と考えるべきでしょう。詳細な調査を行うだけの価値のある、小品ながら興味深い作品です。


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