近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>祐徳稲荷神社 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

佐賀県鹿島市編

山口醤油醸造場(同左)
鹿島市浜町乙 19世紀中期
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/醸造施設(同左)
 肥前浜宿場の建築群の中では最も古い建物のようです。半切妻の古い屋根が特徴的な施設で、腰部分にライン状に配されているなまこ壁がデザイン的にかなり効いていて、伝建地区にある建物の中でもかなり立派なつくりをしているな、と印象付けます。ただ、外装の剥離が激しいので、出来るだけ早く修理して貰いたいと思わざるを得ません。
 この地区周辺には現在も多くの醸造施設が遺っており、地域の景観を性格づけています。(21.)

肥前浜宿継場主屋(同左)
鹿島市浜町乙 江戸時代末期
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/09.2/民間/静態保存(交通施設)
 保存公開されている街道建築。継場とは宿場までの距離が遠い場合に立ち寄り休憩所として造られた施設のことで、場合によっては馬やかごの交代もこの場所で行われたという場所を意味します。
 肥前浜は宿場として位置づけられているので、この定義から考えると名称として奇怪なところもあります。一時期宿場から外されたときに造られたものなのか、それとも私が覚えている継場の定義が間違っているのか、考えあぐねています。どなたかご存じの方がいらっしゃるのであれば、ご教示願います。(文化遺産オンライン.)

光武酒造場(同左)
鹿島市浜町乙 明治14年(1881)
木造/2階建 不詳/不詳
佐賀県遺産/09.2/民間/醸造施設(同左)
 建具が新調されているため、やもすれば現代のニュータウンにありがちな建物のプロポーションにも似ていますが、こちらもしっかり明治初期の作品です。ポイントとしては、他の酒蔵に比べ若干大きな蔵のため、街道の両側に敷地を持っており、関連する車両が街道を時折横切っていることでしょうか。
 この建物、現在は事務所として使用されているようですが、元々は米倉であったとのこと。確かに当時の事務所で二階建ての面積は必要としていなかったのかもしれません。(21.)

中島酒造場(同左)
鹿島市浜町乙 明治18年(1885)
木造/2階建 松尾善七(大工)
国登録有形文化財/09.2/民間/醸造施設(同左)
 兜造り・半切妻の屋根、というには、妻部の屋根の遺り具合がかなり意匠的ではあるのですが、他にもこういった建物があるため、宿場町にあって地域内の特徴的なデザインコードとして機能しているように見受けられます。
 こちらの建物に特徴的なのは、内部こそ酒蔵併設商店の風格を持っていながら、2階部分の窓に取り付けられた欄干などに宿場風の意匠が用いられていることにあるでしょう。この欄干で他の建物とは違った雰囲気を持っており、なるほど日本家屋の目立たせ方だ、と感じ入った次第です。(21.)

山中医院(同左)
鹿島市大字八宿 明治期
土蔵造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/民間/住宅(医療機関)
 近代化遺産及び近代和風建築報告書には、この建物の名は記載されておりませんが、どうしても気になります。確かに外観の壁部分は新建材で覆われているため、古い建物とは一見思われないようですが、基礎部分の安山岩と角部の軒に少しだけ現れている、石造風に見せた漆喰意匠が、かなり古い建物ではないかと思わせます。何より、軒部分で少しだけ崩れている部分が土蔵のそれです。
 拙リストでは自信を持って古い建物、かつ貴重な擬洋風建築ではないかと提案いたします。さて、真相はどうでしょう? 

矢野酒造(同左)
鹿島市大字高津原 明治37年(1904)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/09.2/民間/醸造施設(同左)
 地図で見た敷地面積を想像していくと、意外と小さな建物だなと思ったのが第一印象です。しかし中にはいるとホールに利用できるような大規模な空間もあり、また奥では大吟醸まで造り続けている現役の工場も控えています。大振りな造りであるにもかかわらず、建物の更新もされず現在も使用されているのは、酒蔵という特性ならではでしょう。日本酒は菌の具合によって出来るものだと再確認できます。
 ここで造られている日本酒は「竹の園」という銘柄で佐賀県南の各地で販売されており、おいしいお酒のひとつです。近くに足を運ぶ際は、是非どうぞ。(60.)

祐徳稲荷神社参道橋(同左)
鹿島市古枝 大正期か
石造2連アーチ橋 不詳/不詳
/09.2/宗教法人/交通施設(同左)
 祐徳稲荷の境内に造られた眼鏡橋。その造りから判断して一応大正期くらいのものかと推定していますが、実際はもっと古い可能性も考えられます。
 何せ長崎にほど近い鹿島ですから、技術の導入はかなり古くからあったものと推定できますし、長崎からこちらへ参拝していた商人も多かったであろうことから江戸時代に造られたものと言われてもそれもあるかも、と考えてしまいます。近くに立派な楼門があるものですからどうしてもそちらに目がいってしまい、橋に注目が当たりづらいのは、ちょっとかわいそうになってしまいます。

旧山口魚市場(同左)
鹿島市浜町乙 大正期か
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/民間/静態保存(商業施設)
 魚市場建築と言われても、大きな特徴を見いだすことが難しく、敢えていうなら、道路区画からフラットに造られた土間と半切妻の玄関妻部に書かれた「魚市場」の文字くらいでしょうか。竣工年代もあくまで推定ですので、あまり当てにしないで頂ければ幸いです。
 酒蔵建築が極端に密集した地域ですので、こういった生活感のある建物の方が返って目立つ状態です。何か活用できれば、観光地としてますます発展するのではと考えるのは若干浅ましいでしょうか。(現地案内板.)

幸姫酒造(同左)
鹿島市古枝甲 大正10年(1921)
木造/2階建 野中郡八(大工)
/09.2/民間/醸造施設(同左)
 肥前濱駅から祐徳稲荷神社に向かう道沿いにどんと構えている酒蔵。その立地の優位性から建物の一部を取り壊し観光バスが停められるように駐車場としたため、現在では祐徳稲荷の観光コースの一部として組み込まれているようです。日本酒不振といわれている中でこのような活用方法は歓迎すべきものだと思います。
 建物は多良にあった醸造施設を移築、また現地にあった酒蔵を活用する形で創業したようで、現存する物件の竣工年代もかなりバラバラなようです。ここでは道路沿いにあるかす蔵の竣工年代から大正10年の建物としました。(21.)

飯盛酒造(同左)
鹿島市古枝甲 大正末期
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/09.2/民間/醸造施設(同左)
 宿場の外れに遺る醸造施設。道路からよく見える煉瓦造の煙突が印象的です。この部分については後年に造られたものだそうで、全体としては木造及び土蔵造の建物がメインを占めています。
 内部はそのとき土器の用途変更に応じてかなり改装が行われているそうですが、報告書から気になるところとしては、麹室を煉瓦で造っているとの既述があることです。どのような保存状態になっているのか、気に掛かります。一度内部を見に行きたい施設のひとつです。(21.)

八宿公民館(浜郵便局)
鹿島市八宿 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/余暇施設(郵便局)
 浜町の、通称酒蔵通り内にあって近代の息吹を伝える遺産として見るものに時代の継承性を感じさせる、重要な建物です。郵便局という名称ですが、当時は電話交換の業務もここで請け負っており、2階にはかつて電話交換室、1階には電話室があったとのこと。
 いかにも洋風化、近代化を担った施設で当然造りは洋風、と思われがちですが、外観は瓦葺き、しかも内部も和小屋組となかなかに和洋折衷な、おもしろい作品となっています。現在は公民館ですが、観光用にも公開してもらいたいものです。(21.60.)

JR肥前濱駅(同左)
鹿島市浜町 昭和5年(1930)
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.2/JR九州/交通施設(同左)
 三連の車寄せポーチが印象的な駅舎建築。現在でこそ閑散としている周囲も駅舎が出来た当時は賑わっていたのではないかと想像させるくらい、立派な造りになっています。
 遠目から建物を眺めると、車寄せの部分が後年の増設ではないかとも思いましたが、そうではないようです。当初のデザインからは、特に西側の増築を含めかなり改変されているようですが、祐徳稲荷最寄りの駅舎として、なかなかの規模を持っていたことが容易に想像できます。(21.)

峰松栄一酒造場(同左)
鹿島市浜町乙 昭和5年(1930)
木造/2階建 不詳/不詳
/09.2/民間/醸造施設(同左)
 報告書や古い文献には酒造場とのみ書いてあり、また現在も日本酒の醸造を行っているようですが、どちらかというと観光の為の物販施設という印象が強く、入り口にはおみやげ物で一杯の状態でした。角地にある建物ですので、他の醸造施設より観光施設に適しているのかもしれません。
 和小屋組の典型的な醸造施設ですが、見学が容易なのと試飲できるコーナーがあるところが個人的にお薦めです(笑)。街並みとともに楽しめる施設となっています(21.)

井手商店(同左)
鹿島市古枝 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/04.11/民間/商業施設(同左)
 祐徳稲荷神社の境内には、門前市から派生したと思われる建築群が並んでおり、現在は土産物屋の並びになっていますが、これらの中には近代建築の流れをくむ建物も多く見られます。この建物はその最たる作品と言えるでしょう。2階部分上部(屋根裏部屋があるのでしょうか?)に設けられた明かり取りの窓には、バルコニー風のデザインが取り付けられ、また半切妻の屋根には持ち送りも付けられています。何でもありの折衷様式のようでもあり、北欧のデザインに沿った建物のようでもある。一言では言いづらい建物となっています。さすがに神社に近接しているからか、洋風の建物に見られがちな派手なものではないところに好感が持てます。
 現在でも商店として使用されており、また周囲の立て込み具合から建て替えられる可能性も当面は少ないかと思います。神社参詣の際は利用したい商店ひとつと言えるでしょう。(21.)

呉竹酒造場(同左)
鹿島市浜町乙 昭和9年(1934)
木造/2階建 坂井武八(大工)
国登録有形文化財/09.2/民間/住居(醸造施設)
 現在は醸造施設として使用されていない酒蔵。主屋は総二階建ての大規模な建物で、酒蔵が当時町の顔役を担っていたことをそのたたずまいで知ることが出来ます。丈の高い二階で涼むと、夏の時期は過ごしやすいかもしれません。
 今は使われなくなった蔵の方ではコンサートを行うなど、まちづくりに活用が図られつつある施設と言えます。「呉竹」のブランド自体は現在諫早にある杵の川酒造に受け継がれ、醸造を続けているようです。(21.)

祐徳橋(同左)
鹿島市古枝 昭和30年(1955)
鉄筋コンクリート造道路橋 不詳/不詳
/09.2/鹿島市/交通施設(同左)
 現代でもあまり多くない、ラッパ型にカーブしている曲線形の橋梁。橋というものは自然条件を勘案しながらできるだけ対岸に移動する最短距離に架けるものですから、斜めに架けたりするのは、それだけロスに繋がりますので、通常はやりたがりません。
 こちらの作品については、デザインではなくて対岸道路の幅が広いことから車の右左折を容易にするためにこのような造りになったのではないか、と推定しておきます。気になる橋梁、と言えるでしょう。(現地銘板.)


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