近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

北九州市小倉北区(日明到津地区)編

JR九州小倉工場倉庫(貨車修繕工場)
小倉北区金田 明治24年? 大正7年?
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/05.5/国/交通施設(同左)
 JR日豊本線側から見える煉瓦造りの建物。建物妻部の意匠から考えると、どう見ても明治期のものと考えることが妥当ですが、工場側所有の財産表によりますと、大正7年竣工とのこと。これはとまどってしまいます。
 竣工年代の是非はともかくとして、現在は倉庫として使用されていますが、元々は貨車の修繕工場として使用されていた建物です。ここ北九州は筑豊炭田を背後に控え、貨車の保有台数もかなりのものがありました。そんな貨車のメンテナンス設備は確かな需要であったわけです。地域色あふれる遺構といえます。(41.)

JR九州小倉工場自動バネ検修場棟(旧鉄道院鍛冶場)
小倉北区金田 大正2年(1913)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.10/JR九州/工場(同左)
 黒ずんだ煉瓦の重みが感じられる、どっしりとした建物です。残念ながら天井部分はトタンに覆われており、現役工場施設としてそれ相応の変更が行われたのではないかと推測できます。この建物の奧にはかつて給水塔が残っていて、工場操業当初からの遺構ではないかといわれていましたが、残念ながら今は取り壊されてしまいました。
 工場見学の際にしか間近で見ることは出来ません。見て分かる様に当日は車が立て込んでしまいますので、なるべく公共交通機関で訪れる方がよいでしょう。(5.8.)

JR九州小倉工場鉄工改造場(旧鉄道院ホ釘工場)
小倉北区金田 大正3年(1914)
煉瓦+鉄骨造/平屋建 鉄道院九州鉄道管理局/清水組
/03.10/JR九州/工場(同左)
 赤くペイントされた鉄骨が妙に目立つ建物です。工場建築はしばしばその用途を少しずつ変化させながら後世に受け継がれていますが、これもその代表的な例のひとつでしょう。天井や窓に大きな変更が行われていると想定されます。
 国道からも見えるこの建物も、しっかりと近場で観るためには年一回の工場見学を狙うほかありません。工場という、ある種外部から閉鎖されている空間だからこそ、かえって色々な建物が残りやすい条件が自然と整っているのだと言えます。(5.8.)

ダイソー(大阪曹達)小倉工場倉庫(旧大阪曹達工場倉庫)
小倉北区高見台 大正4年(1915)?
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/ダイソー/工場(同左)
 現役の工場施設として稼働を続けている、ダイソー小倉工場の一角にある施設。工場操業時からのものとして一部解体されたものの、現在も保存されています。写真は一部解体前のものです。
 ダイソー工場内には、この他にも、守衛所や事務所施設など、小倉都心部に極めて近い地区にあって古い施設が今も数多く遺されています。最寄り道路はかつて西鉄電車の専用線で、工場創業当初は路面電車は工場の化学物質による公害で苦しんだとのこと。最も現在ではそんなことはありません。鉄道史跡の見学コースと組み合わせてこちらを見るのもいいでしょう。

櫓山荘公園(櫓山荘野外ステージ)
小倉北区中井浜 大正9年(1920)
煉瓦造他 不詳/橋本組(大阪)
/06.4/北九州市/余暇施設(同左)
 住居「櫓山荘」の附属ステージ施設として作られた設備ですが、写真を見ただけでは、何の用途で作られた施設かは分からないかと思います。元々あった家自体がかなり大規模なものでしたから、ステージという名にふさわしく、公園としてもかなり広くとられています。
 ここ櫓山荘は、所有者の橋本豊次郎が九州専門学校(現在の九州工業大学)の建設に従事するため建てられた住宅で、後に別荘として使用されていましたが、高度成長期に取り壊されてしまい建物を見ることは出来ません。ステージを含む周辺は公園として整備され、往時をしのぶことが出来ます。(41.)

ダイソー小倉工場事務所(大阪曹達小倉工場)
小倉北区高見台 昭和初期?
木造/2階建 不詳/不詳
/06.4/ダイソー/工業施設(同左)
 かつては正門に面した工場事務所として建てられたことは間違いない施設。現在は関連会社の事務所が入っている模様です。階段室の大胆な窓配置や複雑な立面構成は、他の工場事務所ではなかなか見られない、特殊な事例といえます。
 化学工場は取材が難しいと言うことと、執筆者不在という二重の問題が災いし、『北九州の近代化遺産』では建物ひとつひとつの詳細に触れることが出来ませんでした。そういった意味では悔いの残る建物です。再チャレンジしたいですね、、。(41.)

JR九州小倉工場事務所棟(同左)
小倉北区金田 昭和5年以前
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/05.6/JR九州/事務施設(同左)
 JR小倉工場を見学する際、どうしても煉瓦造りの建築ばかりに目を奪われがちですが、鉄筋コンクリート造りの建物にも見るべきものが多く、この事務所棟はそれらの中でも、特に時代性を感じる施設です。壁面部分に梁構造が突出しているのは、将来増築することをふまえての造りと考えられますが、建物のサイズが後のオフィス建築にそぐわなくなっていった結果、この配慮は無駄なものとなってしまったようです。
 現在も事務所棟の一部として使用されていますが、解体の可能性も依然高いと言えます。調べる必要がありそうです。(41.)

日本基督教団小倉日明教会(同左)
小倉北区日明二丁目 昭和7年(1932)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.5/宗教法人/宗教施設(同左)
 電車通り沿いにある雰囲気の良い洋館。詳しく調べる時間が欲しい建物のひとつですね。北九州市周辺でも生活感のある建物が消え続ける中、数少ない近代教会建築のひとつとして、今後価値が高まることは間違いありません。ポイントは非対称の平面構成と生活道路に面した玄関ポーチにあるといえます。昭和一桁台の建築資材が最も華やかであった時代にふさわしく、腰壁につけられた下見板にも好感が持てます。
 たたずまいから察するに、潮見長彦氏の関与があるものと考えられます。建築史系の方、一回調べてみませんか?(41.情報提供.)

明陵学院(福岡県立小倉中学校補習科)
小倉北区愛宕二丁目 昭和9年(1934)?
木造/2階建 不詳/不詳
2007年初頭解体/06.9/小倉高校同窓会/事務施設
 北九州最後とも言うべき、木造教育系施設だった建物です。たまたま近くを通りかかって「これは重要だ、もう少し早ければ『北九州の近代化遺産』で詳細項目に載せられたのに」と悔やんでいましたが、まさかこの後すぐ取り壊されるとは、全く思いませんでした。
 思えば小倉高校の創立百周年に合わせ、新しく施設を建てうる時期でもあったことは事実です。しかし、昨今の伝統回帰風潮の中、それを象徴する建物を自ら壊してしまうとは、いやまさか、というほかありません、、、ショックです。(41.)

西南女学院ロウ講堂(同左)
小倉北区上到津一丁目 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/平屋建
(一部2階建)
W.ヴォーリズ/竹中工務店
/04.3/西南女学院/講堂(同左)
 小高い丘の上に立ち、簡素な白い外壁は清楚感を醸し出しています。とはいえ全く装飾性がないかといえば、ファサードには幾何学系の模様が施され、造りの丁寧さとセンスを現代の私達にも感じさせます。戦時中はその眺望の良さゆえに軍事関係の施設として用いられたこともあるようです。
 近年北九州の教会建築は次々と建て替えられていき、その痕跡を辿ることが困難になっていきつつありますが、その中でこの建物はただひとつキリスト教系教育機関の誇りを今に伝えています。

到津の森公園子どもホール(旧到津遊園子供ホール)
小倉北区上到津四丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/間組
/02.5/北九州市/用途不明(ホール)
 到津遊園は昭和7年に開設された北九州地域最初の遊園地併設型動物園でした。ちょうど小倉と八幡両中心街の中間にあり、都市型テーマパークの走りと言うべきコンセプトでしたが、平成12年経営難のため閉鎖。現在は市営動物園となっています。
 この長円型の施設は以前は鳥類の見学施設として利用されましたが、雨天時の研修施設として改装され今も活用されています。。玄関脇の丸窓は九大農学部6号館などに類似型が見られるちょっとしたアールデコ様式です。(5.8.間組百年史.)

D51−542号機関車(同左)
小倉北区金田 昭和16年(1941)
テンダ型機関車 不詳/鉄道省小倉工場
/05.6/JR九州/交通設備(同左)
 まっぷたつに分断されてしまっている機関車。これは別に解体予定がある、ということではなく機関車の構造を見学者に知ってもらいたいという、JR九州側の意向によるものです。確かに、実物の断面図を見ることほど構造を理解するに確かな方法はありませんが、、、なんだか、ちょっと悲しくなります。
 D51型のなかでもここ小倉工場で作られた機関車で、この地に保存されていることがより価値を生み出している好例と言えます。末永く健在であってもらいたい遺産でしょう。(41.)


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