近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

熊本市中央区(水前寺地区他)編

熊本洋学校教師館・ジェーンズ邸(同左)
熊本市中央区水前寺公園22−16 明治4年(1871)
木造/2階建 長崎の大工
県指定有形文化財/05.9/熊本市/静態保存(同左)
 コロニアル様式の建物。熊本県では最古の洋館と言って間違いないでしょう。天井は初期洋風建築に見られがちな網代紋様となっており、なるほど長崎からの技術移入があったのだと納得できます。
 建物竣工以降、熊本は2度の戦禍に遭っています。ひとつは太平洋戦争ですが、もうひとつは西南戦争です。軍都熊本はその戦場となり、それにもかかわらずこの建物は見事に遺りました。西南戦争を契機に作られた日本赤十字社のメモリアル施設ともなっています。熊本に息づいた博愛精神を記す重要な施設だと言えます。国重要文化財の有力候補間違いなし、です。(a.34.) 

熊本学園大学産業資料館(熊本紡績電気室)
熊本市中央区大江二丁目5−1 明治29年(1896)
煉瓦造/平屋建 石田金十郎/不詳
国登録有形文化財/03.4/熊本学園大/静態保存(工場施設)
 明治の香り漂う大規模煉瓦造工場群の保存活用に取り組んだ人々の執念が一つの成果をもたらしました。活動の甲斐なく取り壊しが進んでいた工場の中で、熊本学園大学から旧電気室の歴史的価値を認められ、急遽移築保存が決まったのです。保存活動に取り組んだ幸田先生、磯田先生の成果の一つとして、現在熊本学園大学にその勇姿を見る事が出来ます。
 この写真は解体直前の見学会で撮影したものです。移築後の姿は、移築の影響もあり所々につぎはぎの印象を持ってしまいますが、この勇姿が遺されたことに感謝したいと思います。(31.34.) 

熊本地方裁判所資料館(旧熊本地方裁判所本館)
熊本市中央区京町一丁目13−11 明治41年(1908)
煉瓦造/2階建 不詳/岩崎組
/04.6/国/資料館(事務施設)
 間近で見るとまず、赤と白のストライプが目に入ります。そこで少しずつ建物から離れると、反りの入った堂々たる屋根が印象に残ります。かなり大規模な造りをした建物で、その部分部分に印象が移りがちになりますが、全体を捉えるテーマは威厳性につきると言えます。
 現在は頭端部のみ保存され、周囲は裁判所としての機能を保ち、この作品自身は裁判に関する資料を集めた施設として用いられています。内部は現役時にかなり改装が施されており、外観ほどの風格はありません。(33.)

九州学院正門(同左)
熊本市中央区大江五丁目2−1 明治45年(1912)?
煉瓦造門柱 不詳/不詳
/08.4/九州学院/(同左)
 電車通りから外れているものの、玄関から外に向かい少々大きめの通りがずんと広がっている、いかにも権威的な平面構成をした街区を持っており、私としては、意外な感じを受けました。それだけこの教育機関が地域にとって大切なものだったのでしょう。
 学校が出来た当初からあった校門と思われます。熊本市電は大正期に周辺にまで路線を広げたのですが、それ以降の竣工であれば、正門を電車通り沿いに作るべきだと考えるからです。いずれにせよ、御影石と焼過煉瓦とを組み合わせた、立派な造りとなっています。熊本英学校以来の伝統を今に伝える、重要な遺産です。

九州学院高等学校ブラウン記念講堂(同左)
熊本市中央区大江五丁目2−1 大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/平屋建 W.M.ヴォーリズ/辻組
国登録有形文化財/08.4/九州学院/教育施設(同左)
 正門から歩いてすぐの位置にある瀟洒な建物。拝見する限り教会といっても間違いではない建物なのですが、一応用途としては講堂に位置づけられています。ただ、ミッション系の学校ですので礼拝堂も兼ねているとのこと。どちらにせよ学校内のシンボル的建物であることは間違いないでしょう。
 ヴォーリズの作品の中でも、造り慣れた教会建築でしっかりとしたものといえるでしょう。柔らかさ・親しみやすさと凛とした教会の威厳とが折り重なった、なかなかの造りではないかと思います。(34.)

九州ルーテル学院大学(九州女学院本館)
熊本市中央区黒髪三丁目12−16 大正15(1926)年
昭和26(1951)年増築
鉄筋コンクリート造/3階建 ヴォーゲル/不詳
国登録有形文化財/08.5/学校法人/教育施設(同左)
 キリスト教教育のために作られた高等女学校を発祥とした大学で、その本館施設として戦前期に竣工。両翼部は戦後に増築され、また、近年国文化財への登録を契機に外観の改修を行ったため、一見すると復元建築ではないかと見間違うような外観になっています。
 熊本大学にも近い位置にありながら、熊本電鉄沿いの奥まった位置にあるという印象を受けました。内部の雰囲気がどのくらい遺されているのか分からないので、それを確認するために再訪したいと思っています。

熊本市役所古京町別館(不詳)
熊本市中央区古京町 昭和初期
鉄筋コンクリート造?/3階建 不詳/不詳
/05.11/熊本市/行政施設(同左)
 見る者に威圧感を与えながらも、周囲の殺風景さにたたずんでいるような、城址にふさわしい外観。市役所建築にありがちな塔屋の存在が、縦線を強調した外観を際だたせています。過剰な装飾がないのはモダニズムの影響でしょう。
 ここに掲載する際には、建物の由来や構造的特徴を記載するために、各種文献を(手元にある限り)調べてみるのですが、ネットを駆使しても経歴がさっぱり判りません。確か軍関係の施設であったような覚えがあるのですが、定かならず。もう少し修行が必要です。

熊本学園大学第2体育館(陸軍歩兵第十三聯隊食堂)
熊本市中央区大江二丁目 昭和初期
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/08.4/熊本学園大学/教育施設(軍事施設)
 モダニズムの流れの中で、全く装飾がないかといえば、さにあらず。中間部に行くに従って少し盛り上がる壁と庇部分につけられたディンテルがかなりのインパクトを持っており、軍都熊本ならではの遺構と感心します。
 惜しむらくは、この建物が大学内でもかなり奥まった位置にあり、「この建物を見るためだけのために行く人は年に何人いるか(大学関係者談)」といった状態とのこと。せっかく産業資料館を造ったのですから、もう少しこちら宣伝するなりどうにかならないものでしょうか。(34.)

よふき橋(同左)
熊本市中央区水前寺公園 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造桁橋 不詳/不詳
/08.5/宗教法人/交通施設(同左)
 天理教の教会に附属する橋。よくある鉄筋コンクリートの桁橋ではありますが、見える部分に関しては、熊本では比較的珍しい花崗岩系の石材で丁寧にまとめられています。
 欄干の部分といい、擬宝珠を再解釈したかのような親柱といい、なかなかに味がある構造物です。小川に架かっており、複雑な工法をとる必要はないものの、どこかに工夫を出したかったのでしょうか。そこそこ面白いな、と思った次第です。

熊本大学YMCA花陵会館(第五高等学校YMCA)
熊本市中央区黒髪二丁目 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/2階建 大倉三郎/不詳
/07.7/財団法人/教育施設(同左)
 存在自体は確認していたので、熊本に行くついでに立ち寄ってみましたが、この建物、実に写真の撮りどころに困ります。玄関部分と塔屋部分、さらにバルコニーを抱える南側部分とでは建物の印象がすっかり変わってしまうのです。これはうれしい悲鳴、とでも言うべきでしょうか。さらに続き棟で学生寮まであるから、さあ大変。
 文部省営繕課による一連の建築群の中でも、京大の大倉三郎によるもので、やはり京都大学に遺されている建築物との共通性が高いものとなっています。それにしても、現在もちゃんと同一用途で使用され続けていることに驚きと感謝でいっぱいです。(34.) 

JR南熊本駅(同左)
熊本市中央区南熊本三丁目 昭和18年(1943)
木造/平屋建 不詳/不詳
/08.3/JR九州/交通施設(同左)
 市街にふさわしい大振りな駅舎ですが、駅前の雰囲気はどちらかといえば郊外のものに近いです。かつてここは熊延鉄道の起点があり、市電路線もあったターミナル駅として栄えていたのですが、モータリゼーションの進展とともにこの駅も拠点性を失っていき、現在は静かな郊外へと変貌しています。
 竣工年代からは考えづらいくらい、デザインも丁寧に仕上げられています。モルタルで腰壁を仕上げている所は、物資が少ないながらもデザインに心を配った戦前期ならではの心意気だと感心します。(34.)


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