近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

熊本県熊本市(古町新町地区)編

明八橋(同左)
熊本市西唐人町 明治8年(1875)
石造アーチ橋 橋本勘五郎(大工)
/05.9/熊本市/交通施設(同左)
 明治8年に出来た橋なので「明八橋」というのは、ずいぶんシンプルすぎますが、そこが中世の名残とも言えるのでしょうか。施工は皇居の二重橋や通潤橋を完成させた橋本勘五郎と言われています。若干薄いアーチ橋ですが、周囲の景観にはぴったりと合っており、地域の財産と言えるでしょう。
 現在は新しく橋が架けられたため、こちらの橋は歩道のみの使用となっています。歩道と言うだけでなく、ちょっとしたイベントスペースとしても使用されうる、多様な魅力を持った空間を形成しています。(34.)

明十橋(同左)
熊本市西唐人町 明治10年(1877)
石造アーチ橋 橋本勘五郎(大工)
/05.9/熊本市/交通施設(同左)
 ピーエス熊本センターに隣接したところにある作品で、現役の道路橋として使用されており、もちろん車もばんばん通ります。アーチ構造は、石材そのものの材質よりも両岸の地盤の強固さが重視されるもので、作り手がしっかりしていさえすれば、何千年でも使用に耐えうることが出来ます。
 昨今の鉄筋コンクリート造橋梁はおおむね40年ほどで耐用年数を考えているようですが、それが都市の財産となりうるかどうか、この橋梁を見る度に考えてしまいます。(34.)

富重写真館スタジオ(同左)
熊本市新町二丁目 明治10年(1877)
木造/2階建 高橋仁作(大工)他
/08.5/民間/商業施設(同左)
 住宅にしては妙に大振りで、しかし敷地ぎりぎりに建てられているところが若干不可解な建物。こちらは上野彦馬に学んだ富重利平が解説した写真館のスタジオとして建てられた、由緒ある建物です。
 現存する日本最古の写真スタジオではないかと言われている、大規模な写真館建築で、所蔵する写真や機材、解体保存されている採光ガラスなども含め、重要文化財クラスのものも多く保存されているとのこと。これは、一度都合をつけて見学させていただかなければなりませんね。(34.)

野田市兵衛商店(同左)
熊本市辛島町 明治40年(1907)
木造/2階建 不詳/不詳
/08.5/民間/商業施設(同左)
 電車通り沿いにいくつかの商家が立ち並ぶ新町地区周辺にあって、ひときわ目立つ建物のひとつです。近年外観を復元したようで、妙にこぎれいになって映画のセットみたいだな、と言う印象を持ちました。いずれにせよ、メンテナンスが行き届いた、幸せな建物のひとつと言えます。
 所有会社である野田市兵衛商店は、現在でも土木建材の販売から設計施工、更に半導体までを取り扱う業者として健在です。昔も今もそこに残る会社と言うところに親しみを覚えます。(34.)

旧中村小児科医院(同左)
熊本市魚屋町 大正3年(1914)頃
木造・煉瓦造/2階建 佐藤正己/飯田組
/05.11/民間/住居(医療機関)
 大通りの裏手にある洋館。正面玄関部分に若干の改装が施されているものの、全体のプロポーションは実に贅をこらした造りになっています。側面にはドーマーをほどこしていますが、そちらを見せると正面の装飾を載せることが出来ず、、、ここ辺りは写真撮影の難しいところです。現在はお茶やお花の教室として使われているとのこと。
 熊本にはこのようなハイカラ建築がかなり多く残っていますが、再開発の影響などで取り毀されることも多く、この建物も安心とはいえない状況です。(a.33.熊本産業遺産研究会ブログ.) 

西村家(清永家)
熊本市唐人町 大正6年(1917)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.9/民間/住居(同左)
 商家建築の防火壁には、大きく分けて土蔵風と煉瓦造、鉄筋コンクリート造の三種類がありますが、これらの中で建物の他の部分と比べて目立つ素材が煉瓦になります。そのためか、煉瓦壁の商家建築はたびたび洋館のカテゴリに採りあげられることがあるようです。この建物もそれらの中の一件です。
 これだけの幅と長さを持つ防火壁もそれほど無いかと思います。インパクトだけで言えば、私がこれまで見た煉瓦造防火壁の中でベスト3にはいるでしょう。報告書から見ると表通りに面しているのは倉庫で、本屋は川沿いの奥部にあるとのこと。(34.)

ピーエス熊本センター(第一銀行熊本支店)
熊本市中唐人町 大正8年(1919)
鉄筋コンクリート造/2階建 西村好時/清水組
国登録有形文化財/05.9/民間/事務施設(同左)
 熊本の街中から少し離れ、水際に立つ姿は城郭のようにも見えます。一時期他の近代建築の例に漏れず取り壊しの危機に直面しましたが、こちらは熊本まちなみトラストの方々の多大なる尽力によって、現在にその勇姿を見ることが出来ます。その苦労に拍手を捧げたいと思います。
 悠々たる外観はナンバー銀行一番の誇りというものがあるのでしょう。もともと銀行は信用性を見た目で理解させるため、いかめしい外観をよく用いていますが、この作品は威厳とともに伸びやかな表現性を感じます。(a.34.) 

合資会社後藤商店(後藤金物店)
熊本市辛島町 大正8年(1919)
木造/2階建 不詳/馬場恒吉
市指定景観形成建造物/04.6/民間/不明(商店)
 元々は金物店として営業していた建物です。保有者は変わらないようですが、見る限り店頭販売を行っているような雰囲気にはないようです。竣工当時からの大きな変化は1階部分の改装のみで、おおむね良好な保存状態ではないでしょうか。
 黒壁が続く壁面構成は、町屋建築として独特のもので、現在も電車が通るこの界隈にあって、過去と現在をつなぐ貴重な生き証人の一つとなり、私たちに敬意を感じさせています。ただし、近年の改装で緑っぽい壁になっています。これは当初の外壁でしょうか。(34.)

長崎次郎書店(同左)
熊本市新町 大正13年(1924)
木造/2階建 保岡勝也/不詳
国登録有形文化財/04.6/民間/書店(同左)
 古くからある書店であり、現在でも政府刊行物の取り扱いを行っているお店です。通りを普通に歩いてしまうと(もしくは内部で用件を済ますだけなら)思わず見過ごしてしまいがちですが、少し上を向いて外観を見てみると、多彩な造形のおもしろさを兼ね備えた和洋折衷型のすばらしい建物である事が判ります。
 現在でもかなり目立つ建物なので、竣工当時の人々の驚きようはいかほどであったでしょうか。窓枠や破風に特徴がありますが、防火壁にも注目です。まさに見所満載の建物といえます。(34.)

早野ビル(同左)
熊本市練兵町 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/4階建 矢上信次/直営
国登録有形文化財/05.11/民間/事務施設(同左)
 角地を上手く利用した、象徴的な建物。熊本初の貸事務所として使用されてきた経緯もあり、なかなか趣を持った施設です。民間の貸しビルながら銀行建築にも負けないこの偉容は、戦前の熊本が九州の中心であったことを十二分に伝えています。
 3、4階から屋上塔屋に繋がる部分の建物構成に注目です。角地を強調するための階段状の仕上げ方は、効率一辺倒の現代ではなかなか出来る手法ではありません。色々な意味で豪奢な建築であると言えます。(34.)

三井住友銀行熊本支店(住友銀行熊本支店)
熊本市魚屋町 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造(地下1階建)/3階建 長谷部竹腰建築事務所/大倉土木
/05.11/三井住友銀行/金融機関(同左)
 方形の建物の中に平坦な部分とはっきりとした意匠とを組み合わせ、メリハリをきかせた良い作品に仕上げられています。金融機関では頻繁に用いられている窪みアーチ+コリント式オーダーの取り合わせは、近代の伸びやかさを表現するに適切なのでしょう。
 三井住友銀行では近代建築に対する合併の影響も予想より少なく、他行のような建物の一斉解体も表面上は見られませんでした。最も好景気になると方針が変わる危険性もあり、注意が必要です。(a.)

住本歯科医院(同左)
熊本市町 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/05.11/民間/医療機関(同左)
 アールがとられた角地の構成とタイルで覆われた外観が愛らしい、洗馬橋のたもとに特徴的な病院建築です。戦前から続く窓周りの使用方法のおもしろさ、建物としての遊び心が生かされている、なかなか見応えのある作品ではないかと思います。
 周辺にある歴史的な建物群のうち、いくつかは取り壊される中で修復されているものも目立つようになりました。こちらも、メンテナンスは行き届いているようで、これからも大事に使用されて欲しいと願います。(34.)


戻る