近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>帝国ホテル玄関ホール 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

愛知県犬山市(明治村)編

おことわり
博物館明治村は、各地で解体されていく建物の保存を目的として作られた博物館施設です。
ここで紹介されている建物は、すべて各地から移築されたものであり、その時代性と地域性は
各作品によって異なります。
当近代化産業遺産リストは地域性の変遷を見るために各遺産を年代順に紹介していますが、
ここでは明治村公式ホームページに準じた形で各遺産を紹介いたしたいと思います。


旧第八高等学校正門
犬山市大字内山明治村一丁目
(名古屋市瑞穂区瑞穂町)
明治42年(1909)
煉瓦造門柱 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(門柱)
 現在の名古屋大学へ続く系譜を持つ高等学校の正門。現在明治村の正門的役割を持っていますが、ここが開かれることは滅多にないでしょう。象徴的な存在、もっと踏み込んでいうならば、記念写真用の門柱と考えた方が適切です。
 明治村にある建物の取り扱いを顕著に表している、分かりやすい例といえます。ここにある多くの建物は、観光目的で保存されています。生活の匂いは失われているものの、細部にわたりきっちり保存されていることは評価されてよいものと考えています。(20.)

旧大井牛肉店
犬山市大字内山明治村一丁目
(神戸市生田区元町)
明治20年(1887)頃
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(商業施設)
 明治中期のざっくばらんな雰囲気を今に伝える建物のひとつ。アーチは不用意に大きく、玄関は銭湯のように派手。更に2階にはオーダーを配置して、見るものを惑わせ続けます。移築されている建物であり、もしこれが続き建物であったなら、周囲はどのような景観を呈していたか、少々気に掛かるところです。
 元が神戸の牛肉屋ということで、こちらでは2階で牛鍋を食べることができます。建築好きとしては記念に食べて、、見たかったですが、未だかなわず。(20.)

旧三重県尋常師範学校
犬山市大字内山明治村一丁目
(三重県名張市蔵持)
明治21年(1888)
木造/2階建 清水義八/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(教育施設)
 中央部と左翼部が保存されている教育施設。周囲の建物と間隔がそれほど無く、それ故に切り取られた様が少し哀しそうに感ぜざるを得ません。保存建築の展示場として、特徴を見せることがメインであり、完全保存を目的としていない事を顕著に表しています。
 中央ベランダ部を支える三連アーチが建物の顔を作り出しています。よく部がたとえあったとしても、中央部に少し重きを置きすぎたというくらい、頭でっかちという印象を持ちます。(0.20.)

旧近衛警察署別館
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都千代田区皇居坂下門内)
明治21年(1888)
木造/平屋建 中村達太郎?/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 正面のアーチ構造は一種独特な趣を感じさせ、建物の全体的な印象を決定づけています。正面が扁平で柱が大きいために、鉄筋コンクリート造とも考えてしまいますが、これは木造の構造物です。
 皇居内の施設のため、周辺の雰囲気は比較的近いものを持っているはずなのですが、細かなアクセサリーが違和感を起こさせます。付属建物も遺っていれば、もう少し竣工時の雰囲気が掴めたのですが、ちょっと不満な保存方法となっています。(0.20.)

旧赤坂離宮正門哨舎
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都港区元赤坂)
明治41年(1908)
煉瓦造/平屋建 片山東熊/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 明治村には保存の手法に首を傾げる構造物が、残念ながらいくつか見受けられました。これもそれらの中に数えられるものです。門のすぐそばにあった衛兵の常駐する建物であったはずなのですが、周りに何もないと、何のためのものなのか見た目ではっきりとしません。説明もない、状況も分からない、ただガイドブックのみ解説を持つ。これで説明を行っているといわれれば、それはないよと言ってしまいます。
 明治村にはこの他にも数点の未説明施設があります。ええっと担当者の方、少し考えてくださいよ。(20.)

旧聖ヨハネ教会堂
犬山市大字内山明治村一丁目
(京都市下京区河原町通五條)
明治40年(1907)
煉瓦造+木造/2階建 J.M.ガーディナー/不詳
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(宗教施設)
 おとぎの国から飛び出したような教会建築、ということが第一印象でした。もともとが都心部にあった教会で、敢えて派手目に作られたのかもしれません。京都から移設された教会がここには2件ありますが、こちらの作品の方が作り込まれています。2階が会堂、1階は公民館のような施設となっていました。
 1階部分は煉瓦で作られているのですが、2階は完全に木造で仕上げられています。しかも会堂はむき出しのヴォールト屋根で構成されており、地震国日本の中で荷重をかけないための様々な工夫がなされています。
 設計者ガーディナーは教会建築を中心に日本で数多くの建築物を遺しており、それらの多くは現在文化財指定されています。(20.)

旧学習院長官舎
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都豊島区目白)
明治42年(1909)
木造/2階建 不詳/石井権蔵
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(住居)
 和洋折衷型公共建築のひとつ。個人的には山口県知事公邸に似ているな、と思います。外見にはペンキが用いられず、和の雰囲気が勝っている感がありますが、内装は全く洋風建築のそれに仕上げられています。玄関部分に多少唐突さのもありますが、落ち着いた建築物にカテゴライズされると思います。
 時間が足りずじっくり見られなかったことが実に残念でなりません。リベンジ必須ですね。(0.20.)

旧西郷從道邸
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都目黒区上目黒)
明治10年代
木造/2階建 J.レスカス/鈴木孝太郎
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(住居)
 明治村を代表する建築のひとつであり、そのまま文明開化を代表する建築だと言えます。コロニアル調のベランダ部分は、まさに明治の洋風建築を背負って立つインパクトに溢れており、訪れる人々を見飽きさせることがありません。
 高台にあった建物だと言うことで、ここ明治村でも入鹿池を望む丘に位置しています。弧を描き大らかにのびるベランダ中央部から、周りを優しくも威圧する印象は、この建物ならではのものといえましょう。(0.20.)

旧森鴎外・夏目漱石住宅
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都文京区千駄木町)
明治20年(1887)頃
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存()
 由来も何も無しで見ると、ガラスデザインに「近代」を感じる普通の木造和建築なのですが、この由来、文豪二人が住んでいたという事実に訪れる人は感銘を受けます。
 明治の文豪を代表する二人が、ひとつの建物を使用していたことに驚きます。その使用時期こそかぶることがなかったにせよ、建築学的な価値以前に、日本文学の中で占める位置に大きなものがあります。(20.)

旧二重橋飾電燈
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都千代田区皇居内)
明治21年(1888)
鉄製飾電燈 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存()
 明治村の花形建築・三重県庁舎の真向かいにあって、鉄道省の御料車群の展示を見ようと思えば、これが目につくように仕向けられています。燈飾を花のつぼみのようにデザインしているところは、文明開化の雰囲気をそのままに伝えているようです。
 皇居の二重橋というと、地方の人間が一番最初に浮かぶ東京名所であったと聞きます。そこに飾られた電灯ということで、ある種象徴的な保存物だと言えるでしょう。ただし、現在の保存方法については余り納得のいくものとはなっていません。せめて使用されていたときの雰囲気なりを修景していただけないと、このような小規模の構造物では周辺の雰囲気を一挙に変えるだけの力強さが無く、唐突さを感じてしまいます。(20.)

旧鉄道局新橋工場
犬山市大字内山明治村一丁目
(東京都品川区大井町)
明治22年(1889)
鉄骨造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(工業施設)
 いくら工場建築だとはいえ、明治の建築物で「鉄骨造」という言葉を使うことに違和感を禁じ得ません。しかしこれも立派な明治建築。工場建築の中ではそれほど珍しい存在ではなく、これ以降も明治期の鉄骨建築は数多く存在します。
 鉄道記念物に指定されているものを始め、明治村の鉄道遺産がこの建物内に集中しています。鉄道マニアには答えられないでしょうね。(20.)

旧三重県庁舎
犬山市大字内山明治村一丁目
(三重県津市栄町)
明治12年(1879)
木造/2階建 清水義八/青木平兵衛・鈴木幸右衛門・伊藤平左衛門
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 かつては明治村一番の代表的建造物としてパンフレットにも多く採り上げられた建物。実際擬洋風建築の代表格のように仕上げられており、重要文化財に指定されています。
 設計者の清水義八は大工の出身で、三重県庁の土木課に勤務し明治村にも遺る2建築等に携わりました。内務省設計家の林忠怨の影響を受けた建物と見られ、明治の大規模建造物としても貴重な作品だと言えます。(0.20.)


旧千早赤阪小学校講堂(旧堀川尋常小学校)
犬山市大字内山明治村二丁目
(大阪府南河内郡千早赤阪村)
明治30年(1897)頃
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(教育施設)
 2階建ての外観から講堂という用途はいきなり考えづらいですが、現在のピロティー付き体育館を想像していただければ、わかりやすいかと思います。体育館という形で用いられているわけではなかったので、それほどの強度は必要としなかったのでしょう。
 旧東山梨郡役所からのメイン通りに面して、その大規模な構造を生かし展示施設として用いられています。中に飾られているものを見るに付け、良くも悪くも地方の歴史民俗史料館という印象を持ちました。(20.)

旧第四高等学校物理化学教室
犬山市大字内山明治村二丁目
(石川県金沢市仙石町)
明治23年(1890)
木造/平屋建 山口半六・久留正道/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存()
 煙突の存在で実験教室ということが分かる、明治の教育施設。実験系の施設はその用途から煉瓦造である方が多いのですが、木造施設でこのような姿を拝むと華奢のようにも感じられます。これは明治中期の時代性を表しているのかもしれません。
 内部は古い学校の教室(机がすり鉢状に配されているところは、高等教育機関ならでは、と言えるのでしょうか)という匂いを各所に感じさせます。明治村の良いところは、建物の内部も簡単に見ることが出来るところですね。(0.20.)

旧東山梨郡役所
犬山市大字内山明治村二丁目
(山梨県山梨市日下部町)
明治18年(1885)
木造/2階建 不詳/土屋庄蔵・赤羽芳造
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 明治中期、地方都市の中にも洋風の意匠を積極的に用いた建築物が続々登場するようになりました。この建物のそれらの系譜に属するものです。ヴェランダを持ち両翼部を途中で曲げて偉容を見せているところは、三重県庁舎を始めとした官公庁建築に良く用いられるパターンです。
 群という、現在では有名無実の存在が機能していた時期を示す重要な記念物として、また隅石積を始めとした擬洋風建築の特徴を色濃く遺した施設として重要文化財に指定されています。(0.20.)

旧清水医院
犬山市大字内山明治村二丁目
(長野県木曽郡大桑村大字須原)
明治30年代
土蔵造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(医療施設)
 壁と窓枠とのバランスが、少し恐ろしくも見える明治の医院建築。構造や意匠のひとつひとつはシンプルでありますが、一番明快に近代を表現した例ではないかと考えています。それはつまり、窓(アーチ窓)と壁の存在です。
 外部空間と内部との差は壁と窓の存在によって明確に分断され、この概念に基づいて近代の建物群が形作られたと言えます。この建物の存在は近代建築の仕組みを見る者に分かりやすく伝えています。(20.)

旧東松家住宅
犬山市大字内山明治村二丁目
(名古屋市中村区船入町)
明治34年(1901)頃
木造/3階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(住居)
 名古屋に古くからあった3階建ての商店建築です。表通りに面し、元々は油問屋として使用されていたものだとのこと。家々が立ち並んでこそ建物としての魅力が増すのでしょうが、この状態は少々かわいそうな気がします。内部は吹き抜け構造が一部用いられ、最高への配慮を感じます。
 少し気になったことは、この建物の隣の敷地がきれいに整地されていたことです。他の写真では庭が造られていたように見受けられますが、はてさて、新しく建物を移築する予定があるのでしょうか?(20.)

旧京都中井酒造
犬山市大字内山明治村二丁目
(京都市中京区御幸町通)
明治3年(1870)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(醸造施設)
 見ればなるほど、江戸期から続く京都の町屋建築。内部の構造も従来型の建築物で、町屋建築の見学という点ではまさにうってつけの施設です。この周辺に関しては並び方もありがちな雰囲気を留めており、明治村の中でも一番写真映えのする空間になるのは、当然の帰結と言えます。
 内部は休憩所となっています。ありがちの利用形態ですが、酒蔵使用当時の空間を復元している所は、さすが明治村、と感心。機能最優先の時代以前の移設であったことも良かったのでしょうね。(20.)

旧安田銀行会津支店
犬山市大字内山明治村二丁目
(福島県会津若松市大町)
明治40年(1907)
土蔵造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(金融施設)
 地方の銀行建築で、和風の意匠が用いられていることが特徴です。明治も後期になったとはいえ、地域住民にとって親しみやすい建物はやはり和風のそれであったのでしょう。とりわけ土蔵型の造りにしたことで「お金を預ける」行為に対する利用者の安心感を得ることが出来たのではないかと考えられます。
 このような建築タイプは長浜市でまちづくりに活用されている黒壁プレイスなどいくつか挙げられますが、その絶対的な件数が少なかったからか、近代の銀行を語る上で貴重な存在と言えます。(20.)

旧札幌電話交換局
犬山市大字内山明治村二丁目
(札幌市大通)
明治31年(1898)
石造/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 日本では西洋建築を受容する際、煉瓦という素材を受容することはできましたが、石材のそれに関しては、余り用いられることがなかったようです。その例外が鹿児島と北海道というのが、少し皮肉な感じがします。
 外観の特徴は何と言っても腰蛇腹の装飾と石材の質感だと言えましょう。内部は電話電信の歴史を伝える資料が展示されており、実際通話の状況がこのようなものであったか、トランシーバーのように話すことが出来ます。親しみやすい文化財施設だと言えます。(20.)

旧京都七條巡査派出所
犬山市大字内山明治村二丁目
(京都市下京区七條)
明治45年(1912)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 赤煉瓦の派出所として使用された建物。京都といえば伝統的な日本家屋を想像する方が多いかもしれませんが、他の地域よりも赤煉瓦造りの建物群が各地にふんだんに遺っています。これを古いものを大切にする京都人の美意識の表れと見ることも出来るでしょう。
 小さな作品ながら、とてもユーモラスに作られています。現在ある位置は、少々殺風景な角地風の場所にありますが、かえって当時の京都の賑わいを思わせる何かがあり、これはこれでいいと思います。(20.)


旧京都市電
犬山市大字内山明治村三丁目 明治28年(1895)
木造電車 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/電車(同左)
 日本で最初に路面電車が走ったのは京都市です。その京都市電で長年使われ続けた電車がここ明治村に移り、観光電車として現役のまま使用されています。
 この文化財の価値は、何を言っても現在も動いているところでしょう。日本で電車の保存は数あれど、稼働可能なものはそれらの中でも極端に少なくなります。これはSLに比べると驚くべき値を示します。それだけ電車は住民の生活に密接しており、耐用年数も短かったのでしょう。それだけこの存在はとても貴重なのです。(20.)


旧第四高等学校武術道場無声堂
犬山市大字内山明治村四丁目
(石川県金沢市仙石町)
大正6年(1917)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(教育施設)
 ここ明治村には金沢からの建築物が、多く移築されています。愛知なら話も分かるのになぜか、というと明治村の提唱者である、土川氏と谷口氏の出身校がこの旧制第四高等学校だったことからに由来しています。
 ここ明治村では建物使用時の雰囲気に近づけるため、時折実際に使用させるイベントがいくつかの施設で行われています。ここもそのうちのひとつで剣道大会が毎年催されるとのこと。こういった部分は現在の建物保存の流れに即したイベントであると言えます。(20.)

旧日本赤十字社中央病院病棟
犬山市大字内山明治村四丁目
(東京都渋谷区広尾)
明治23年(1890)
木造/平屋建 片山東熊/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(医療施設)
 明治期の病院建築、と言うよりは美しい明治木造建築という風に紹介した方が適切なように感じます。病棟の構成や立ち並ぶ雰囲気が最も重要な部分だったと考える私は、建物を見てキレイだとは感じますが、その用途や往時の雰囲気を感じるところにまでは至りませんでした。
 設計者は赤坂離宮を始めとした明治公共建築の旗手・片山東熊。その造りは実に丁寧で、だからこそ単体でもここに保存する価値があると思うくらい素晴らしい外観です。(0.20.)

旧歩兵第六聯隊兵舎
犬山市大字内山明治村四丁目
(名古屋市中区二の丸)
明治6年(1873)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(軍事施設)
 明治・文明開化期の渦のただ中に作られたにもかかわらず、さっぱりとしたデザインで作られています。その用途が軍事施設であることがデザインを決めた大きな原因と言えます。
 地理的要因からか、明治村には愛知県や京都府からの建物移設が多く、敷地内に散在しています(一番多いのは東京都なのは、まあ当たり前とも言えますが)。どうせなら各地域ごとにひとつにまとめられなかったものかと思うのは、私だけではないのではと推察いたします。(20.)

旧六郷川鉄橋
犬山市大字内山明治村四丁目
(東京都蒲田・神奈川県川崎)
明治10年(1877)
鉄製ワーレントラス橋 ポール/ハミルトン社(英)
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(鉄道橋)
 鉄橋は鉄橋でもこちらにある橋は、現在使用されていないものです。保存方法としては完全な静態保存で、歩道を歩く私たちの加重は一応鉄橋に伝わっているものの、手すりは別途設けられているため、少々寂しげに感じます。
 それ程使用に堪えられないものなのか、と感慨に浸りながら保存の必要などあるのか、とも考えます。これについては異論のある方もいらっしゃるかもしれません。(12.20.)

旧鉄道寮新橋工場・機械館(機関車修復所)
犬山市大字内山明治村四丁目
(東京都品川区大井町)
明治初年頃
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(工業施設)
 明治村が密かに誇る、産業遺産の展示室。この中には重要文化財指定されている機械類が保存されており、それらの中の一部は動態保存されています。
 明治村はその趣旨から機械遺産も多く受け入れられ、それらだけでも一級の博物館にできるほどの質と量を誇っています。機械に興味のある方は、この建物の見学に十分な時間を割くことをおすすめ致します。(20.)

旧工部省品川硝子製造所
犬山市大字内山明治村四丁目
(東京都品川区北品川)
明治10年(1877)頃
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(工業施設)
 明治期のガラス工場。外見だけを見ると素っ気ない感じも見られますが、これは保存手法によるもので、建造当初の煉瓦建築が並ぶ様を想像すれば、こんな建物があっても不思議には思えないでしょう。
 近代を代表する素材であるガラスの製造工場と言うことで、その存在価値はもはや言うに及ばないでしょう。この工場が出来るまではカラスは全て輸入に頼っていたと言うから、驚きです。明治村を代表する工場建築のひとつです。(20.)

旧宇治山田郵便局
犬山市大字内山明治村四丁目
(三重県伊勢市豊川町)
明治42年(1909)
木造/平屋建 白石円治/不詳
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 宇治ということで、京都の建物かと納得しかかったのですが、実際は三重県の建築でした(困)。外観もそうですが、円形ホールの構造が印象的で、当初は訪れた人々を驚かせたでしょう。
 中では一般的な郵便事務をもつ簡易郵便局が機能しており、ここで記念はがきなどを出すこともできます。他にも郵便資料などが保存されており、史料館としてもなかなかすばらしいものを持っています。こういう建築をいっぺんに拝むことができることが明治村のすごいところと言えるでしょう。(0.20.)

旧呉服座
犬山市大字内山明治村四丁目
(大阪府池田市西本町)
明治初年
木造/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/03.10/明治村/静態保存()
 江戸時代の芝居小屋。移築に際しては、当然のことながら実際に使用に堪えうる形で作られているため、現在も舞台などのイベントが催されています。
 現在遺されている芝居小屋建築の中では、建物テーマパーク内にあるためか、知名度もあり、その使用頻度も高いものです。もし現在も大阪にあったなら、果たして使用されていたでしょうか。明治村の存在意義は、取り壊し寸前の建物を救済し続けたという意味でもなかなかのものがあります。(20.)

旧半田東湯
犬山市大字内山明治村四丁目
(愛知県半田市亀崎町)
明治末年
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(商業施設)
 銭湯建築は湿気を多く含むため痛みが激しく、それ故に実に貴重な施設です。とりわけ木造の銭湯は現在急激に失われつつある施設のひとつであり、デザイン的にも江戸時代からの湯屋の流れを汲む施設はとても重要です。これが明治村開設までに遺されていたことがある種の奇跡であると言えるでしょう。
 下町の長屋世界から少しはみ出したような下見板を棹物でまとめた外壁は、とても雰囲気が出ています。時代劇に使われやすいモデル建築のひとつ。とは言っても銭湯ですので、使用方法は限られるかもしれませんが(笑)。こんな建物があった街並みは、さぞかし美しかったことでしょうね。(20.)


旧聖ザビエル天主堂
犬山市大字内山明治村五丁目
(京都市中京区河原町三條)
明治23年(1890)
鉄筋コンクリート造
(元煉瓦造・木造)/平屋建
不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(宗教施設)
 白さの際だつ外観に、ステンドガラスが目立つ建築。この当時の教会建築に特有の「天主堂」と書かれた正面上部は、いかにも古い教会だな、と言う印象を際だたせます。こういったマークのつけ方は、中国に教会堂が出来たときに便宜上付けられたものではないかという説があります。
 移設に際してはかつてあったデザインを維持しつつも、躯体を支える主要部分は鉄筋コンクリートに変更され、厳密な意味では移設と言うよりも復元に近い格好に仕上げられています。しかし内部にはいるとケヤキ材を多用した身廊部分を始めとした木材の温かい雰囲気がそのまま詰め込まれており、これはこれで雰囲気の再現には成功しているのだと断言できます。(20.)

旧金沢監獄正門
犬山市大字内山明治村五丁目
(石川県金沢市小立野)
明治40年(1907)
煉瓦造監視塔付門 山下啓次郎/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存()
 明治五大監獄と言われた一連の建築群のひとつ、金沢監獄を象徴したであろう建物のひとつ。当然この周囲には煉瓦塀がずらりと並び、中身も煉瓦建築群が並んでいた事でしょう。玄関そのものの建築学的価値は間違いなくあるとは思うのですが、この監獄ばかりではなく、明治村の建物群を見るに付け、建物がここにある意味、保存する意義というものを考えてしまいます。
 レプリカでは人は感動しません。それはひとつ定義としてありますが、それ以上の何かを私は求めて止まないのです。(20.)

旧天童眼鏡橋
犬山市大字内山明治村五丁目
(山形県天童市天童〜老野森)
明治20年(1887)
石造アーチ橋 和泉周作(大工)
国登録有形文化財/03.10/明治村/道路橋(同左)
 石橋の中でも東北・山形で眼鏡橋として作られた作品。石橋のアーチ構造に関する技術は鎖国時代に長崎から伝えられたものということもあり、その技術は西日本を中心に伝播されていきました。この施設は東北地区に作られた数少ない施設のひとつです。
 後述する隅田川新大橋と比べ、こちらは現在も道路橋として用いられています。移設されながらも機能している分だけ、他の展示施設に比べれば、幸せな土木構造物と言えるのかもしれません。(12.20.)

旧隅田川新大橋
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都中央区浜町〜江東区深川新大橋)
明治45年(1912)
鉄製プラットトラス橋 樺島正義(東京市)/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(道路橋)
 優美な明治橋梁のひとつ、なのですが、こちらでの保存方法は部分保存です。つまり、ワンスパン部を保存し、そこから先は切り取られています。デザインの保存という点では、記録保存に極めて近い形と言えるでしょう。こうなると残すこと自体に残酷さを覚えてしまいます。
 明治村の保存方法については都市工学の分野で賛否両論在るようですが、この橋梁の保存については、手法はともかく残すことに意義を見いだしたものといえるでしょう。(12.20.)

旧川崎銀行本店
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都中央区日本橋)
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/ 矢部又吉/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(金融施設)
 端部をタワーのような形状で部分保存している作品。見た感じだけで言えば、報告書の中でラフスケッチとして書かれているような部分が、そのまま立体化したものというのでしょうか。どうも現実感の湧かない建築です。保存方法についてさぞかし賛否両論あったものだと思われますが、残念ながら私の手持ち史料には詳しいことは述べられていません。
 遺された建物から外観のデザインを感じ取れることはできますが、建物の全体像を把握することはできず、結果として景観保存という面では失敗作だったのでは、と私は思っています。明治村の他の作品群に比べると、どうにもすっきりと納得がいきません。(20.)

旧皇居正門石橋飾電燈
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都千代田区千代田)
明治26年(1893)
鉄製飾電燈 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(電灯)
 これまた唐突に遺されている電灯です。説明のガイドブックを片手に読まないとこれが何であって、どのような目的で作られ、どう使われたのかという肝心なところがさっぱり分かりません。日本野外建築博物館の端緒たる明治村にきついことを言うのは心外であり、また不遜とも言えるのですが、もし自分なら、と思うところがあるのは事実です。
 石橋の飾電燈ですから、石橋の近くにあってこそ然るべきの作品でしょう。位置的にも問題が大いにあると考えるのは当然のことと言えます。移動できそうな順路沿いの橋梁もあることですし、何とかなりませんか、明治村さん。(20.)

旧内閣文庫本館
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都千代田区皇居内)
明治44年(1911)
煉瓦・石造/2階建 大熊喜邦/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 現在の国立公文書館の持っていた役割を長い間担っていた施設。図書館建築といえば、確かにそうといえるような、重厚感。大阪中之島の図書館と同じ雰囲気がしますが、あちらと違って敷地に余裕があるせいか、実際のスケールほど見る者に押し迫ってくるような感じはしません。
 設計者は官公庁建築の名手たる大熊喜邦。やはり手堅く様式建築でまとめられています。内部には公文書館当時使用されていた道具が展示されているとのこと。(20.)

旧東京駅警備巡査派出所
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都千代田区丸の内)
大正3年(1914)頃
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 東京駅の真ん前にあった建物で、その圧倒感に押されるようにこの作品も東京駅のデザインを踏襲したものに仕上げられています。街並みを統一感のあるものに仕上げなければならない、という配慮が作りあげた構造物だと言えるでしょう。
 移設場所が和風建築の並ぶ地区にあるため、浮いてしまっています。明治村の批判理由のひとつに、移設場所に対する配慮のなさが挙げられます。緊急避難的対処にはある意味仕方がないと感じますが、こういう写真を見ると、いたたまれない気持ちになります。(20.)

旧金沢監獄中央看守所・監房
犬山市大字内山明治村五丁目
(石川県金沢市小立野)
明治40年(1907)
木造/平屋建 山下啓次郎/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 明治五大監獄のひとつである、金沢監獄から移築された建物。敷地に合わせて規模が変わり、また一部省略されている部分もあるため、雰囲気を伝え切れているかと言えば、難しいといえます。
 中央の看守所から放射線状に監房が延びている形式は、ここばかりでなく近代の刑務所の多くで採用された形式です。監視業務の効率化を考える上で、なかなかに興味深い形式と言えるでしょう。現在は監視カメラが発達している関係からか、このような形式では作られません。(20.)

旧宮津裁判所法廷
犬山市大字内山明治村五丁目
(京都府宮津市本町)
明治19年(1886)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(行政施設)
 外見のそれを見る限り、擬洋風建築と言うよりも、近代和風建築に属する建物です。その用途では裁判所施設として利用されており、内装は極めて近代的、西洋風に造られています。
 裁判制度というものが外国から移入されて以降、法律こそ明文化され官制主導型の無法な自体は少なくなったのかもしれませんが、人情の暖かみは薄くなったのでは、と感じるのはきっと私だけではないでしょう。(20.)

旧菊の世酒蔵
犬山市大字内山明治村五丁目
(愛知県刈谷市銀座)
明治初年頃
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(醸造施設)
 明治村に近代和風建築が建てられたのは、その創業よりもかなり遅れてからのことです。それは、野外博物館の趣旨をまずは理解して貰うために、明治の洋風建築を優先して移築していったということもありますし、雰囲気に似つかわしくないのではないかという意見もあったのではないかと推察いたします。
 建物解体ラッシュであった昭和30年代の駆け込み寺的役割を果たした点で、館の果たした意義は極めて高いでしょう。この施設も明治期醸造業の展示施設として活用されています。(20.)

旧高田小熊写真館
犬山市大字内山明治村五丁目
(新潟県上越市本町)
明治41年(1908)頃
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(商業施設)
 屋根部分に見えるソーラーパネルのような部分は、写真館という特性上造られた天窓です。自然光を最大限に利用した形態を示す、建物の用途に合わせた機能性を示す重要な部分です。写真術自体が文明開化とともに普及された技術ということもあるためか、明治期の建築については先進的な造りを持った建物と言えます。
 お約束ではありますが、写真技術についての展示が行われています。記念写真も受け付けているとのこと。(20.)

旧名鉄岩倉変電所
犬山市大字内山明治村五丁目
(愛知県岩倉市下本町)
明治45年(1912)
煉瓦造/平屋建
(現在コンクリート造)
不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(工業施設)
 帝国ホテル玄関に寄り添うように移築された建物。一見して電力関連の施設であることは分かりましたが、変電施設の中でも簡明なデザイン性をひとつひとつ組み合わせることで、非常におもしろい作品に仕上げられています。
 中は名古屋鉄道の元会長で、明治村設立に多大な貢献をした故・土川氏の業績を集めた資料室になっています。こちらを覗き明治村の志を理解してみることをおすすめします。(20.)

旧帝国ホテル中央玄関
犬山市大字内山明治村五丁目
(東京都千代田区内幸町)
大正12年(1923)
鉄筋コンクリート造/2階建 F.L.ライト/直営
国登録有形文化財/03.10/明治村/静態保存(宿泊施設)
 ひとつの建築物の処遇が二国間を騒がす政治的問題となったことは、日本建築史の中で永遠に消えることのない大事件でした。その渦中の建物が帝国ホテル本館。設計者は世界三大建築家のひとりといわれるフランク・ロイド・ライトです。
 阪神大震災にも倒れることのなかった建物は高度経済成長の波にもまれ、一時は取り壊しやむなしとの声もありましたが、政治判断により現在明治村にその勇姿を一部見ることができます。登録文化財となった現在、名実ともに明治村の代表施設となりました。(0.20.)


戻る