近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

沖縄県島尻郡南大東村編

東洋製糖2号機関車(同左)
南大東村字在所 明治40年(1907)
タンク式機関車 不詳/雨宮製作所
/08.1/南大東村/静態保存(工業設備)
 他所で使用されていた機関車を東洋製糖がさとうきび運搬線を作る際に譲り受け、戦後ディーゼルカーに取って代わられるまで使用されていたものです。
 現在ある機関車のオリジナルの部分は台座のみで、残りはレプリカだそうです。そのレプリカの部分でさえ、錆がすっかり進行してしまい、ぼろぼろになってしまっています。せっかく覆い屋根が作られているのに、ここまで錆が進行してしまうとあまり意味がないのかも知れません。トラスト活用などによる、いち早い補修が望まれます。(b.)

旧機関車倉庫(同左)
南大東村字在所 大正中期以前
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/大東糖業/工業施設(同左)
 20年以上前に廃止された貨物専用の鉄道跡で、これだけはっきりとした構造物が確認できるのは、九州でもそう多くありません。ましてこの地はかつて鉄道不毛の地と言われた沖縄県の東の端。こんなところにちゃんとした鉄道関連遺産があるなんて、現地に行かないとなかなか信じられません。よくぞ今まで遺っていてくれたものです。
 かつては裏側にディーゼルカーの残骸が数機放置されていたそうですが、2000年代の鉄材枯渇によってすべて売り払われてしまったそうです。一度見たかったな、と言うほかありません。(66.)

シュガートレイン軌道敷ポイント跡(同左)
南大東村字南 大正中期以前
軌道敷跡 不詳/不詳
/08.1/大東糖業?/放置(工業設備)
 正確には「東洋糖業さとうきび運搬鉄道軌道敷ポイント跡」と書くべきなのでしょうが、私はこのシュガートレインという言葉の響きが好きで、資料としての名称には不向きの観もありますが、敢えてここは名称表記に我を通させていただいています。
 南大東島を一周していくつかの支線を持っていた運搬鉄道もトラックの普及により昭和58年には全線で廃線となり、軌道敷の多くも撤去されていますが、島内には道路との交点や畑の境界など僅かにその名残をとどめているところがあります。(66.)

機関車関連倉庫(同左)
南大東村字在所 大正期
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/大東糖業/工業施設(同左)
 機関車車庫の近傍にある倉庫建築で、扉部分や軒の部分などに改修の痕跡が見られます。逆に言えば改修の数だけ使用頻度が激しい施設と考えることが出来ます、その客観的証拠として、島嶼部では珍しい自動販売機が設置されています。
 珍しいと言えば、扉部分が改修され、内部への進入に対して厳しくなっているところも施設の重要さを表しているのかもしれません。報告書によると内部は木のトラス構造を持っており、外観に似合わず洋風建築の類と称して良いでしょう。(66.)

給水塔設備?(同左)
南大東村字在所 大正期
石造給水塔施設 不詳/
/08.1/大東糖業?/放置(工業施設)
 その形状と隣接して建物があったことから、ただの水タンクと考えることも出来ますが、機関車倉庫に近接していることと、旧軌道敷(写真タンクの裏側)奥部に工場があることから、蒸気機関車用の給水塔台座であったと考えた方が妥当です。
 モルタル塗布されていますが、石造の施設のようです。ナローゲージながら国鉄の給水塔と大きさもそう変わらず(もちろん、こちらの方が小さい)、往時を想像するに十分な施設と言えます。鉄道記念館を近くに作っておくと、見に来る方も多いのでは、と感じます。

大東糖業施設(同左)
南大東村字在所 大正期
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/大東糖業/工業施設(同左)
 工場構内にある石造施設で、最初はただの倉庫かな、と思ったのですが、当初からのものと思われる窓形状とそこから見える内部から、倉庫と事務所機能とが同居した施設であるようです。
 奥部にちらっと見える工場施設は既に更新されているようですが、工場敷地内には軌道敷の跡や昔の機械設備などもあるのではないかと若干期待しています。こちらの施設も中を見学できれば、色々と発見があるのではないかと思うですが、それは次回の宿題になりますね。(66.)

農業倉庫(不明)
南大東村字在所 大正期
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/JA/工業施設(同左)
 スーパーや郵便局、村役場などが集中する、文字通り島の中心部に遺された施設で、単なる倉庫と言うよりは農協の事務的機能も担っているようです。一見小さそうな建物からは、農業機械が顔を出したのをこの目で見てびっくりしました。
 L字型に造られた建物で、それぞれで機能が分かれているのかも知れません。壁からして頑丈そうな建物で、台風対策で屋根勾配もかなり緩やかになっています。それからも長く使用され続ける建物はないかと思います。(66.)

東洋製糖旧社宅(同左)
南大東村字在所 大正期
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/個人/住居(同左)
 5〜6件程度の家族が入居していた社宅施設。九州では木造下見板張りでハモニカ長屋などと称されているものになるのかも知れませんが、そもそもの木材が極端に枯渇している島嶼部ならではの石造となっています。
 報告書では一部車庫に転用されているとの話もありましたが、老朽化に伴うものか一部このように壊されているため、現在も人が住んでいるのかどうかよく分かりません。大正期の社宅建築として貴重なものですので、何らかの保存措置は講じて貰いたいと願います。(沖縄県の近代和風建築.)

南大東島西港旧ボイラー小屋(同左)
南大東村字池之沢 大正13年(1924)頃
石造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/08.1/南大東村/静態保存(工業施設)
 風向きによって3箇所の港を使い分ける南大東島の主力港である西港に遺された原動機の保管施設。ここで使用されていたボイラーは、台風などが襲来した際、小型船舶を港から陸地に引き上げて避難するために使用されていました。
 石造施設が多く現存している南大東島では、唯一文化財登録されている施設で、現存物件を積極的に複数文化財登録している北大東島とは対照的です。この施設は確かに重要な産業遺産と言えますが、他にも文化財登録しても良いものは島内にたくさんあります。(c.)

大東糖業倉庫(製糖工場倉庫)
南大東村字在所 大正期か
石造/平屋建 不詳/不詳
/08.1/大東糖業/工業施設(同左)
 製糖工場の敷地内にあり、多分現在でも使用されているとは思うのですが、中に何も入っていなかったため、現役のものかどうかどうにも分かりません。たまたま使用されていなかっただけの資材倉庫と考えるのが妥当でしょうか。
 この倉庫の前にある道路は、かつて製糖工場にさとうきびを運んでいた運搬鉄道の軌道敷であったものです。周辺の附属設備で往時の雰囲気が僅かながら分かりますが、これもいずれは失われるのでしょう。 

造林記念碑(同左)
南大東村字池之沢 昭和4年(1929)
記念碑施設 不詳/不詳
/08.1/南大東村/記念碑(同左)
 南大東島は1900年より私企業・玉置商会によって開拓した民間所有の島で、戦後に至るまで村政も施行されなかった、自治権のない島でした。そのような島ですから、開拓当初あった自然もプランテーションによるさとうきびの大規模栽培によってどんどん失われ、大正期には自然環境の再構築は生活を営む上で至上命題となりました。
 大正期当時島を所有していた東洋製糖の製糖所所長であった江崎龍雄はこのような現状を危惧し、住民を交えての積極的な植林事業に乗り出しました。その成果もあって現在、南大東の緑は豊かによみがえり、それを記念して出来た碑文が建てられました。
 この碑文には、東洋製糖のオーナーであった藤山雷太が揮毫しており、当時の南大東島が抱えていた問題の深刻さと人々の努力とが同時に読み取れます。現地に行き、緑に包まれた神社境内にあるこの碑文を読むと感慨もひとしおでしょう。(66.)

上陸記念碑(旧)
南大東村字池之沢 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造記念碑 不詳/東洋製糖
/08.1/南大東村?/記念碑(同左)
 南大東島に玉置半右衛門が率いる開拓団が上陸したのは1900年。それから数年の間にさとうきびの大規模栽培に適した土地が開拓され、現在でも島の主力産業として活躍しています。
 島の開拓に尽力した玉置商会に関連した方々、及び同じように玉置商会によって開拓された鳥島に関する木造の記念碑が置かれていましたが、昭和5年に東洋製糖の大東島糖業所長江崎龍雄によって鉄筋コンクリート製の現在あるものに改築されました。現在でも島の入り口に当たる西港の近傍にこのような碑文が遺されています。(66.)

大東糖業8号ディーゼル機関車(同左)
南大東村字在所 昭和30年(1955)
ディーゼル機関車 不詳/日本車輌
/08.1/南大東村/静態保存(工業設備)
 蒸気機関車に隣接して整備保存されている車輌。762mmのナローゲージを走っていた機関車で、製造会社こそメジャーですが、軽便鉄道法による運行列車保存例としては日本でも数少ないものとなっています。こちらも錆が進行しており、その将来が気がかりです。
 大東諸島ではさび止めのペンキを塗って覆い屋で保管した遺産でも、台風の来襲寺に横なぶり・潮混じりの暴風雨に曝される結果、他地域より錆が進行しやすい状態にあるようです。こちらはオリジナルの車体が遺っているが故に、もう少し支援の手をさしのべて貰いたいと感じます(c.)


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