近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>門司駅(解体現存せず) 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

北九州市門司区(大里地区)編

日本製粉門司工場原料倉庫(旧鈴木商店大里製粉所)
門司区大里元町 明治43年(1910)
煉瓦造/2階建 林栄次郎/前田組
2010年頃解体/03.5/日本製粉/倉庫
 道路側からはほとんど見ることのできない建物でしたが、日本製粉工場棟の解体工事が完了したことで、その姿が明らかになりました。この工場敷地には製粉所ができる前に煉瓦工場が立地していたようで、これら遺構の中にはもしかしたら煉瓦工場当時のものも含まれているかもしれず、それならば竣工期は10年近くさかのぼることができます。そんな施設でしたが惜しくも解体されてしまいました。
 海際に整然と広がる石造築港は明治中後期のものと思われ、こちらについては現存しています。石でできたボラードが非常に愛着深いものとなっています。(a.5.8.)

日本製粉門司工場工場棟(同左)
門司区大里元町 明治43年(1910)
煉瓦造/6階建 林栄次郎/前田組
2004年5月解体/03.5/日本製粉/工場施設
 白亜の製粉工場。モルタルが塗られていますが、中身は堂々とした6階建煉瓦構造物で、在りし日は煉瓦でこのような構造物を拝むことができることに感慨を覚えたものです。事務所棟の解体後、こちらも同様に解体されたため、このような姿を見る日はもはやありません。
 製粉をはじめとした粉ものの食料工場施設は、このように階高のある建物が多いですが、自然流下を材料加工に利用していた時代の工夫のひとつと見ることが出来ます。かろうじて現存する倉庫と共に関門地区煉瓦造り建造物群に彩りを添えていました。(a.5.8.)

日本製粉門司工場事務所棟(同左)
門司区大里元町 明治43年(1910)頃
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
2002年頃解体/01.秋/日本製粉/工場施設
 いい加減な写真を掲載するな、とお叱りを受けかねないのですが、きっちりと撮影する前に解体されてしまったものですから、もうどうしようもありません。解体原因が道路拡幅によるものか、それとも工場閉鎖に伴うものか若干不明ですが、工場施設ながらデザインが多く施されたもったいない建物であったようです。
 正面は看板建築風にモルタル塗装されていますが、煉瓦造りであったことは、解体時の煉瓦によって明らかになっています。またこの事務所棟内にあったマントルピースが現在土地を管理している会社の倉庫に保管されているとのこと。(a.41.)

関門製糖株式会社工場倉庫(旧鈴木商店大里製糖所)
門司区大里元町 明治末期
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.7/関門製糖/工場施設(同左)
 日本製糖工場へ続く国道沿線上に静かに佇む建物です。大日本明治製糖の子会社という位置づけの施設であり、連続した煉瓦造構造物群のなかでは少し印象が薄いように感じます。その中でもこの建物のポイントとしては、海に直近していることです。海の青さと赤煉瓦は実によく映えます。
 製糖関連の工場群は何棟も重要な遺構があるにもかかわらず情報が少なく、謎が多すぎて掲載が難しい部分も未だ多くあります。個人的に情報提供を願いたいところです。(a.5.)

関門製糖株式会社工場棟(旧鈴木商店大里製糖所)
門司区大里元町 明治末期
煉瓦造/4階建 不詳/不詳
/04.3/関門製糖/工場施設(同左)
 国道199号線にそびえる煉瓦工場群の中でもっとも密度の濃い工場群。敷地内見渡す限りの煉瓦と言うところが実に豪儀です。しかも現在も食品工場として使用されていることにも敬服します。
 もともとはこの工場施設を含めた地域一帯が鈴木商店という、かつて日本有数の総合企業体であった企業の一大工場群でした。赤煉瓦の古びがその事実を僅かに伝えています。歩道の整備具合は何とも微妙ですが、赤煉瓦ウォッチングに国道を歩いてみるのも良いかもしれません。(41.)

和幸運輸株式会社事務所(門司税関大里仮置場詰所)
門司区大里元町 明治43年(1910)頃
鉱滓煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.3/関門製糖/工場施設(同左)
 石積み護岸の角に佇む煉瓦造りの建物。これだけでも相当雰囲気がよいのに、歴史的にもなかなか貴重な物件ですから、もうたまりません。不用意に赤く見えるのはペンキで塗られていることに依るもので、また海際に面しているからか、外壁もかなり傷ついています。
 国内で関税を掛けずに加工し輸出するための「保税倉庫」設備のための施設として建てられたとのこと。鈴木商店が国有数の物流企業体として成長を遂げていったメルクマールのような施設で、それがまだ事務所として使用しているところが実に心憎いです。(41.)

北九州市門司麦酒記念館(帝国麦酒門司工場事務所)
門司区大里本町三丁目 大正元年(1912)
鉱滓煉瓦造/2階建 林栄次郎/不詳
/01.8/北九州市/静態保存(事務施設)
 門司駅前からも見えるこの建物は、もともとはサッポロビールの工場事務所として平成までその用途を変えずにいた建物でした。淡色な外観ながら、赤煉瓦にはない重厚感を醸し出しています。よくみると細かな装飾にも非常に富んであり、今後の文化財指定も間違いないのではないでしょうか。
 存廃の議論も行われましたが、市の区画整理事業の中で再生・活用が決定し、改装の後麦酒記念館として先日無事オープンしました。書籍で見る限り内部装飾も非常に美しいもので、見学をお薦めいたします。(5.8.)

旧サッポロビール九州工場醸造棟(帝国麦酒門司工場仕込場)
門司区大里本町三丁目 大正元年(1912)
煉瓦造/7階建ほか 不詳/不詳
/01.8/NPO法人/静態保存(工場)
 事務所棟と比べこちらの建物には赤煉瓦を使用しています。煉瓦造りの建築物としては、九州ではそれほど大きなものを見る事が出来ず、そう言った点で貴重な近代化遺産と言えるでしょう。大里地区区画整理事業によってその存亡が危ぶまれていましたが、2004年春にビアミュージアム付属施設として新たな相貌を現すことになりました。
 私個人としては、パイプが縦横無尽に這い回っている姿に赤れんがが余計際だって映えているのでは、と考えていましたが、案の定これらパイプは取り外され、静態保存されています。(5.8.)

赤煉瓦交流館(帝国麦酒門司工場原料倉庫)
門司区大里本町三丁目 大正元年(1912)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/05.3/NPO法人/商業施設(倉庫)
 醸造工場の設立当時からのものと思われる、煉瓦造倉庫。切妻部分の装飾は続き棟のように作られていますが、中を見ると写真右側の棟が最初に作られたかのように、独立した構造になっていました。二棟作られたあとで切妻の装飾をやり直したのか(が、そういった痕跡は見られません)、わずかながら、謎の残る建物です。
 平成18年にコミュニティホールとビアレストランとして再生され、地域まちづくりのため利用されています。レストラン里桜では、サッポロビール直送の地ビールも楽しめます。内装は元々の部材を十分に活かしており、建物再生例としても注目すべきでしょう。(4.)

ニッカウヰスキー門司工場倉庫(大里製粉所倉庫)
門司区大里元町 大正期
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.5/日本製粉/倉庫(同左)
 工場棟とは異なり、こちらは煉瓦の姿をそのまま現しています。このように何棟も煉瓦倉庫が並んでいるさまは、国道199号線を煉瓦工場群として印象づけるに十二分たるものでしょう。用途変更による補修を同系色の補填材で覆っているところに、工場に対する所有者の愛情を感じさせられます。
 道路拡幅や工場自体の閉鎖など、いまだこの建造物を取り巻く事情には逆風が吹き続けています。周囲の環境と合わせ、一体的な整備が行われることに期待するほかありません。(5.8.)

ニッカウヰスキー門司工場(旧協和発酵門司工場)
門司区大里元町 大正14年(1925)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.5/ニッカウヰスキー/工場施設(同左)
 元々は鈴木商店の酒類製造工場として作られた施設の一部ですが、鈴木商店破綻後は協和発酵の施設となり、現在は企業統合・再編に伴ってニッカウヰスキーの門司工場施設となり、焼酎を製造しています。余市工場が1934年の設立ですので、奇しくもこの施設がニッカウヰスキー最古の工場となってしまったのです。
 外側から見る限り他の設備に特色を見つけづらいですが、このほかにも煉瓦造の設備が多くしており、それぞれになかなかの魅力を持っています。(5.8.)

旧協和発酵門司工場煙突
門司区大里元町 大正14年(1925)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
2004年12月頃解体/04.5/アサヒ協和酒類製造/静態保存
 小森江駅から容易に見ることが出来たため、一時期は日本製粉の工場棟とともに地域のランドマークとして有名な施設でした。その魅力といえば、何と言っても六角形の煙突形状と赤煉瓦という素材でしょう。赤煉瓦が「近代」の象徴として今も愛される理由のひとつがその造形の美しさですが、この設備にもその事が当てはまると言えます。
 正確な年代についてははっきりとしていませんが、遠くから見てもその偉容には感心させられます。製塩工場のためのもので工場創建当時からのものという説があります。惜しくも2004年末に解体されました。もう残念としか言いようがありません。(5.8.)

岡野バルブ工業第二機械工場(大里倉庫株式会社倉庫)
門司区中町 大正9年(1920)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/05.7/岡野バルブ工業/工場施設(倉庫)
 結構大きめの煉瓦造り施設で、見映えがします。なおかつJR門司駅からも近く、電車越しにその偉容を見ることが出来ます。うっすら見える「梶山倉庫」の門司から倉庫用途で使用されていたことは容易に想像がつきましたが、現用途がはっきりとしなかったため、出版をきっかけに調査を行って見たところ、現在は隣接する岡野バルブの工場施設として使用されているようです。
 工場の操業年代より古い工場、なんてねじれ現象が起こっています。これも歴史のある工業古都ならではのエピソードでしょうね。(41.)

大久保貯水池取水口(同左)
門司区大字大里 大正14年(1925)
煉瓦造 不詳/不詳
/05.3/関門製糖/水道施設(同左)
 大日本製糖大里製糖所(現関門製糖)の工業用水補給用貯水池として作られました。現在は城山霊園が周りを取り囲み、貯水池というよりは周辺の何か見晴らしの良い池という印象になっています。よくよく見てみると、大日本製糖の用地杭が残っているため、その由来を知ることが出来ます。
 肝心の貯水池ではなく、放水路の出口(であったところ)側を撮したのには、藤山雷太が揮毫した扁額を乗せたいという筆者の思惑があります。元々のデザイン性も素晴らしかったことがこれで分かるかと思います。(41.)

柳荘(商業建築)
門司区高田一丁目 大正期か?
木造/2階建 不詳/不詳
/06.1/民間/商業施設(同左)
 門司駅から若干山寄りの市街地にあり、しかしながら表通りから一歩奥にある、「いかにも洋館」という雰囲気を持つ珍しい建物。詳しい経緯など分かれば書籍でも紹介したいところではありますが、現段階ではいかんともし難い現状にあります。
 一階部分こそ店舗使用のため往時の姿をとどめておりませんが、二階の壁面には縦長の窓と軒部分にデザインされたライオンが三方に睨みをきかせており、漆喰意匠にも見るべきところが多くあります。
 一階部分の店舗が使用されているかどうか不明で、ここ次第では取り壊される可能性も少なからずあります。なにせ表通りにないものですから、近代建築好きでもなかなかチェックが行き届きづらいもので、いささか将来が心配な建物です。(41.)

日本国有鉄道C57−158号蒸気機関車(同左)
門司区大里本町二丁目 昭和17年(1942)
テンダ式機関車 不詳/川崎車輌
2005年解体/05.3/民間?/静態保存(機関車)
 神社の片隅に埋もれているようにたたずんでいた作品。元々は大里児童館にあったものとの情報がありましたが、静態保存される段階でもともとここに置かれたものか、更に移設されたものかどうか、今のところよく分かっていません。
 ほぼ同時期に作られたC59-1号は九州鉄道記念館に移設。かたやこちらは野ざらしの状態です。その扱われ方の格差に、何ともやるせなくなってしまいます。何とかなりませんか、といっていた矢先に取り毀されたことが明らかになりました。情報を把握できなかったことにただ悔しい気持ちで一杯です。(b.)

旧福岡銀行門司駅前支店(同左)
門司区中町 昭和20年代
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/04.8/民間/不詳(銀行)
 JR門司駅前にあり、かつては福岡銀行の支店として使用されていた建物です。様式の基本を踏襲した建物ですが、同様の形式から考えると、戦後の建物と見て間違いはないでしょう。現在は倉庫になっている可能性もありますが、推定の域を抜け出ません。最近、隣接した岡野商事ビルと合わせ、外壁の塗り替えが行われました。
 トスカナ式オーダーの変形版がファサードの大部分を印象づけています。どちらかといえば、目立たない建物に属するのでしょうが、街の風景として考えていくと、なかなか味のある建築といえます。末永く大切にして頂きたいものです。(聞き取り.41.)

岡野商事(大分銀行大里支店)
門司区中町 昭和20年代
鉄筋コンクリート造/2階建 佐伯建設/佐伯建設
/05.12/岡野バルブ/(同左)
 元々は大分銀行の支店であった建物で、規模・デザインともに門司港の旧大分銀行支店に酷似しています。それもこれも設計施工が同じである事によるでしょう。門司港の支店が惜しくも取り壊されてしまった現在、そのよすがをたどることの出来る、ほぼ唯一の施設と言えます。
 元々岡野バルブに敷地を借りて銀行を営業していたようで、銀行移転後の現在は岡野バルブ関連の岡野商事が建物を活用して使用され続けています。銀行としての用途を終えた後も余生を有意義に利用されている建物でしょう。(41.)


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