近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>関門製糖事務所 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

北九州市門司区(小森江・葛葉地区)編

御所神社(明治天皇御座所)
門司区大里戸ノ上一丁目 明治35年(1902)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.12/宗教法人/(同左)
 いわゆる旅人視点から見れば、これが神社以上の用途を果たしていたとは思えないのですが、よく調べてみると本州からいらっしゃった明治天皇がここ大里の地で休憩された際の御座所であった施設を神社として転用されたものだとのこと。確かに言われてみれば神社の社殿にしては若干横長な気もします。何より、神社の規模より明らかに大振りすぎます。
 元々は安徳天皇の御霊を祀る神社であり、その御所も近くにあったとのこと。何とも数奇な運命をたどった建物では、と思えてなりません。(41.)

小森江浄水場(同左)
門司区羽山二丁目 明治44年(1911)
煉瓦造モルタル塗/平屋建ほか 不詳/不詳
/04.3/北九州市/利用未定(浄水場)
 門司区の中でも比較的山沿いに面し、おだやかな空気に包まれた場所にある浄水場で、近くには自然公園もあります。
 北九州地域の中でも門司は港に寄港する船舶の飲料水補給などで、古くから上水道の需要があった区域でした。この浄水場はかつては福智山水系から採取した水を濾過し、市民に新鮮な水を供給する重要な役割を負っていましたが、現在は使用されていません。活用方法は決まっていないようですが、自然公園と組み合わせて市民の憩いの場にすることは出来ないだろうか、と思います。(6.12.) 

旧小森江貯水池取水塔(同左)
門司区大字小森江 明治44年(1911)
煉瓦造取水塔 不詳/不詳
/05.3/北九州市/静態保存(取水塔)
 浄水場と同時期に造られた貯水池。本来であれば貯水池に水が満ちているため、底の取水部分まで見ることは出来ませんが、こちらの貯水池は既にその役目を終えており、このような全容を見ることが出来ます。
 平成13年に小森江子供のもり公園として一般に開放されています。周辺には水門も遺っており、近接して遺る浄水場と合わせ、一体的な水道設備を見学することが出来、活用方法によっては、社会見学などに有効なポイントと言えるでしょう。(41.)

旧小森江貯水池取水口(同左)
門司区大字小森江 明治44年(1911)
煉瓦造 不詳/不詳
/05.3/北九州市/水道施設(同左)
 門司市の上水道が完成した年より長い間使用されてきた水道施設。同じように使用されてきた上部分の貯水池が公園化されると、元々の自然河川からの水をそのまま下に流すため、解体などの処置を施されることなくそのまま使用されており、稼働時の姿を容易に見学できます。
 明治期のダム構造と機能を見学できる、手軽な産業観光施設と言えます。そういったお堅い目的ではなく、公園施設として散歩するのにも適しているでしょう。(41.)

内山医院(同左)
門司区葛葉二丁目 大正期
木造/2階建 不詳/不詳
/05.3/民間/医療施設(同左)
 国道3号線、旧電車通り沿いにぽつんと遺る建物。周囲に当然建物は並んでいるのですが、存在感が違うため、「ぽつん」という表現が極めて適切のように感じました。
 窓周りや屋根裏(?)部分に改装が行われている模様ですが、現役の医療施設のため、これ以上詳しいことは分かりませんでした。しかし、この国道ど真ん中で建て替えもなく数十年、よくぞ持ちこたえたものだと感動を禁じ得ません。こういう建物こそ、登録文化財にふさわしいと思います。(41.)

和生産業(豊国館→第二銀映)
門司区風師三丁目 大正期
木造/2階建 不詳/不詳
/06.6/民間/事務施設(商業施設)
 北九州市内には何軒かの映画館が今もなお営業を続けていますが、戦前からの建物は営業しているものとしては存在して折らず、建築としてもこの施設のみとなっています。だいたいの外観はそのままのようですが、この外観を見ても映画館であったとは思いも寄らないでしょう。
 外観が大きく変更されており、また企業所有のためになかなか身近な施設とはなりませんが、元々は映画館であったからか、地域の中では目印となっているようです。(41.)

神鋼メタルプロダクツ施設(神戸製鋼所門司工場変電所?)
門司区小森江二丁目 大正6年(1917)頃
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/神鋼メタルプロダクツ/工業施設(同左)
 国道三号線に近接した施設。現用途は今ひとつはっきりとしませんが、頑丈な煉瓦の厚みと工場内の位置的な要因などからかつては変電施設ではなかったかと類推しています。ちょうどこのくらいの規模の施設で工場内で使用されていた簡易変電施設が日本各地に遺されており、おおよそ間違いではないと考えています。 
 現在トタン葺きではありますが、かつては瓦葺きで、モルタル塗布されていなかったのではないかと思います。或いは、時期的なことを考えると鉱滓煉瓦造かも知れません。一度見てみたい建物と言えますね。(41.)

旧日本セメント門司工場変電所(同左)
門司区風師一丁目 大正7年(1918)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.2/太平洋セメント/?(変電所)
 さて、、基本的には出版されている文献重視で年代設定を行っているこのコーナーですが、今回少々考えるところがあって、採用しておりません。
 ふだん「建築MAP北九州」という名著から建物データなどを採用していますが、これに関しては、「鉄筋コンクリート造・事務所」という記載。これには少々首をひねってしまいました。
 地図で確認してみたところ、この建物は工場の敷地外に位置づけられています。隣には工場付属のお稲荷様。他の文献から考察して、私はこれを変電所ではないかと推察しています。
 まあ、どちらにせよ、工場のシンボル的要素を持った建物であることは間違いないでしょう。小規模ながら、遠くからでも存在感を持った建物でしたが、惜しくも解体の憂き目にあってしまいました。白っぽく見えるのは、セメントがこびりついていることによるものです。(41.)

旧浅野セメント門司工場(同左)
門司区風師一丁目 大正7年(1918)ほか
煉瓦造/3階建ほか 不詳/不詳
/06.9/太平洋セメント/放置(工業施設)
 国道からも、JRの車窓からもよく見える施設。だのにこの施設のことを正しく知っている人間の如何に少ないことか(私自身も含みます)! 日本で最初にロータリーキルンを導入し成功を収めた工場であり、関東大震災後には日本のセメント需要の多くを担った工場としても重要でした。
 非常に歴史ある施設でしたが、段階的に解体され現在は更地となってしまいました。それなりにまとまった敷地でしたから、再開発を行う際には一棟くらい残して欲しかったものです。日本の文化度とは、この程度のものなのでしょうか。(41.)

田原印刷(同左)
門司区風師三丁目 大正15年(1926)
木造/2階建 不詳/不詳
/06.6/民間/商業施設(同左)
 近代和風建築の印刷所建築。さすがに使用を続けている一階部分は大幅な改装を受けていますが、大振りな外観の雰囲気をそのまま維持している点で貴重な近代和風建築と言えるでしょう。
 おそらく、この建物だけは参考書籍を購入していただいた方々の中で「何でこの建物を載せたんだ」とおしかりを受ける対象にあるかもしれません。確かに、ストイックに戦前期・洋風建築中心に一覧作成を行っている北九州の近代化遺産内では、異色の建物ですが、印刷所として長らく営業を続けてこられているという経緯を見て、立派な地域の産業遺産であるという観点から掲載しています。(41.)

神鋼メタルプロダクツ株式会社事務所(旧神戸製鋼所門司工場)
門司区小森江二丁目 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/04.2/神鋼メタルプロダクツ/事務施設(同左)
 モダンの流れを汲んだ建築の中では、北九州で最も造形美に富んだ建物と言えます。長く伸びた車寄せや縦方向に並んだ4つの丸窓など、外観各箇所に設計者の遊び心を感じさせます。
 さて、この建物の造られた年代ですが、、、わかりません。「日本近代建築総覧」にも、他の主要書籍群にも載っていません。これは本格的に図書館などで調べなければ、どうしようもないような、そんな気がいたします。なまじ造形美を感じさせる建物であるが故に、、、はい、頑張ります。(41.)

旧磯部竹次郎邸(同左)
門司区風師三丁目 昭和8年(1933)
木造/一部3階建 磯部竹次郎他/不詳
/06.6/個人/住居(同左)
 大規模な個人宅であり、また玄関ポーチや屋根形状など、個人宅とも思えないようなデザインがふんだんに使用されている、非常に雰囲気の良い建物。急傾斜の丘の上にあるため、ちょっと離れた国道沿いからも見ることが出来ます。
 『北九州の近代化遺産』の出版企画を具体化させる最中に見学を試みた施設で、一回師匠筋と所有者の方にインタヴューを行った、思い出深い建物でもあります。棟札が今でも遺っているという話があり、一度でいいから見学したいなと今でも思っています。(41.)

鉱滓煉瓦造倉庫(同左)
門司区中二十町 昭和初期か?
鉱滓煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/09.9/民間/住居?(倉庫)
 どこにでもあるような小規模な煉瓦造の倉庫なのですが、ここに北九州産の鉱滓煉瓦を使用されているところが、この建物の特徴的なところでしょう。多少傾斜が掛かっているため、石垣も付けられているものですから、狭い路地でランドマーク的な建物となっており、建築好きにはかなり輝いて見えるのではないでしょうか。
 北九州市内の建物の場合、このレベルの倉庫建築を紹介することはまずないのですが、素材と用途が面白かったため敢えて掲載しています。後付けの窓から考察すると、どうも部屋として利用されているみたいです。(NRC研究会第3回シンポジウム.)

旧田村歯科医院(同左)
門司区風師三丁目 昭和初期
木造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/民間/不明(医療機関)
 傾斜の多い門司地域ならではの建物。現在更地になっているところにはかつて建物があったのでしょう。その敷地を避けるように医院が作られ、また後には駐車場として利用されていたようです。
 このような形態をとっているからか、現在は医院として使用されておらず、これだけ会談が多いと、建物としての不便さからいずれは取り壊されるかも知れません。しかし傾斜を利用して少しでも面積を広くとり、良い建物を造ろうとした設計者の意志は現在を生きる私にも伝わってきます。(41.)

旧福岡ひびき信用金庫小森江支店(門司信用組合小森江支店)
門司区羽山一丁目 昭和戦前期?
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/06.6/福岡ひびき信用金庫/不明(金融機関)
 正面がタイルで装飾されている建物で、装飾も薄め。主要パーツを見ると戦後でももっと新しい建物とも思われがちなところですが、通用口には渦巻き状の意匠(サイマレクタ)も施されているため、戦前期、或いは戦後初期の金融機関建築ではないかと考えられます。小森江の市街地ではほぼ唯一の金融建築でした。
 現在の用途ははっきりしておりません。門司港の本店が取り壊されしまっている現状を見ると、この建物もどなたかの愛情ある支援がない限りは取り壊されてしまう運命にあるのかも知れません。(41.)

関門鉄道トンネル試験坑道竪坑(同左)
門司区小森江三丁目 昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造竪坑施設 鉄道省/直営
土木学会選奨土木遺産/06.2/JR九州/交通施設(同左)
 小森江駅前の駐車場に突如鎮座している建物。案内板もなければ周囲にその構造物のヒントになるものもありません。ちょっと近代化遺産に慣れ親しんでいる方なら、「掩体壕ですか?」と聞き返してしまう施設ですがそれでもございません。
 こちらの施設は元々関門鉄道トンネルを掘削する際のパイロット坑として作られた竪坑施設として建てられ、本坑道(現在の鉄道トンネル)の開通後は、点検施設として利用されているものです。現役の通気口でもあり、耳を澄まして何分か待っていると、運が良ければ電車の通過音を耳にすることが出来ます(41.)

旧日本セメント門司工場守衛所(同左)
門司区風師一丁目 昭和期?
木造/2階建 不詳/不詳
/04.2/太平洋セメント?/?(守衛所)
 工場入り口に、まるでテーマパークの入場ゲートのような(老朽化しているところとか材質などは考慮せず)守衛所。実に不思議です。一体誰がこのようなアグレッシブな作品を設計したのでしょうか 、、、解体されてしまった今となっては、それを知る術はなくなりました。
 屋根は棒瓦で覆われていますが、比較的新しいものですので、吹き替えが行われているものと思われます。これだけのデザインを持ったものだと、竣工当初の姿がどのようなものであったか、どうしても気に掛かるところです。(41.)

オレンジ薬局(旧門司信用金庫葛葉支店)
門司区葛葉二丁目 昭和期
鉄筋コンクリート造?/平屋建 不詳/不詳
/04.2/福岡ひびき信用金庫/金融機関(同左)
 小口積煉瓦かタイルのようなものが白く塗装されています。大ぶりの窓が小規模ながら自己主張の強い建物に仕上げさせています。
 竣工当初は瓦葺であったと考えていいでしょう。小柄であるが故に、インパクトがある建物に仕上がっており、訪れるたびに気にかかる建物であると言えます。
 旧門司信用金庫が持つ建物群はこれに限らず古い建物が多く残されており、近代建築に興味がある方は、建物めぐりを考えてみるのも良いかもしれません。(41.)


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