近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>JR門司駅(解体) 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

北九州市門司区(門司港地区)編

三井物産門司支店倉庫
門司区東港町 明治24年(1891)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.9/JR九州/展示施設(事務所)
 関門地区でもかなり古い時期に建てられた煉瓦造倉庫。同じ煉瓦造の九州鉄道記念館と比較してしまうと、港町のはずれにあることもあってか、閑散とした、うらぶれた印象を持たざるを得ません。
 この建物の裏手には売り出し中の観光地・門司港レトロ地区があり、活用の方法はいくらでもあるように感じましたが、所有者は土地の利用のみを考えていたようでした。取り毀されてしまうと、改めて倉庫建築の「土地のみでの」利用度の高さを思わせます。果たしてこれで良かったのでしょうか。(5.8.)

九州鉄道記念館(九州鉄道本社)
門司区清滝二丁目3−29 明治24年(1891)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.8/JR九州/展示施設(事務所)
 関門地区最古級の建造物で、フランス積みの外壁や蛇腹の装飾など、外壁に見るべき特徴は多くあります。九州鉄道の本社として九州初めての鉄道をずっと見守りつづけてきた建物で、現在もその風格を保っています。
 国鉄清算事業団の事務所として使われた後、展示施設として改装される際に、建築基準法などの関係上内部に残る装飾が全て失われてしまいました。まさか捨てては無いと思いますので、何らかの形で使っていただけるとありがたいなあ、と思います。(4.5.8.)

旧三井物産社宅
門司区谷町二丁目 明治40年(1907年)頃
木造/2階建 不詳/不詳
2010年解体/04.7/個人所有/住宅(同左)
 4軒8家族が今も住まう西洋館。坂を上り見る風景は北九州が横浜・神戸に対抗できるなかなかのものだと思いますが、ここからは海が見えない事は少し残念なところでしょう。少しアンバランスな印象を受ける長屋群は、窓回りに大きな特色が見られます。
 かつては門司三井倶楽部が道路を挟んだ向かい側にあり、周辺の空間を一変させるほどのインパクトを誇っていましたが、現在倶楽部は駅前へ。これら社宅群も老朽化に伴い順次解体、現在その姿を望むことは出来ません。民間所有の現状ではどうにも好転せず、観光地門司港の可能性はまたひとつ失われました。(5.8.)

旧明治屋門司支店
門司区港町 明治42年(1909年)
煉瓦造/2階建 曾禰達蔵/清水組
2005年解体/03.12/明治屋/
 隣の空き地から側面の構造が見えるようになったため、煉瓦造りの建物であることがはっきりと分かるようになりました。戦時中ファサードが損傷を受けたためモルタルを塗っているとの記述があります。
 小規模ながら気品さえ感じられる建物です。これも設計者曾禰達蔵氏の努力の賜物でしょう。正面からはわかりにくいですが、事業所としての奥行きはかなりのもので、その全てが煉瓦造りの構造物となっていました。活用するとか何とか言われながら、あっという間に取り壊す手法は、門司港地区の信用を堕としてしまいます。かくして、まがい物ばかりがもてはやされるのでしょうか。(5.) 

料亭岡崎(同左)
門司区老松町11−7 明治末期
木造/平屋建 不詳/不詳
/07.5/民間/商業施設(住居)
 門司港の中でも丘側に位置した地区には閑静な住宅街が広がっています。その中で、かつてはYMCAのあった丘の上にある料亭です。もとは地元有力者の邸宅として建てられた施設で、現在は料亭と、なかなか敷居の高い建物なのですが、現在は一部をカフェに改装しているので、昼間は気軽に見学することが出来ます。
 ここから見る夕日は確かに美しく、料亭ならではのものであると思います。このような食文化の豊かさあってこその料亭業、さらにはそれを成立させている港町・門司港だと再認識する次第です。(41.)

旧門司税関(同左)
門司区東港町1−24 大正元年(1912年)
木造瓦葺/2階建 妻木頼黄・咲寿栄一/清水組
/北九州市/01.3/休憩所・展示施設(事務施設)
 周りに建物がたて込んでないせいか小さく見える建物ですが、そこは国と国とを繋げる橋渡し役である税関施設。装飾性と偉容は申し分ありません。その用途は現在に至るまで転々とし、レトロ地区の花形建築として陽の目を見る前は民間の所有倉庫となっており、窓も床も抜けた状態は見るも無惨な状況となっていました。
 改修・復元に至るまでの過程は、洋風建築再利用の模範例として全国的に有名になりました。レトロ地区の商業的な成功の象徴的存在と言えます。(4.5.8.)

JR門司港駅(門司駅)
門司区西海岸一丁目5−31 大正3年(1914)
木造銅板葺/二階建 鉄道院九州鉄道管理局工務課/菱川組
国指定重要文化財・市建築文化賞/01.3/JR九州/駅(同左)
 現役の鉄道駅としては初めて重要文化財指定を受けた建物です。文化財指定のきっかけになった特徴は、その重厚な外観ばかりではなく、木造建造物を石造に見せかけた多くの意匠的趣向にもあります。所々に、煉瓦や石で造られた建物であるかのような、キーストーン的意匠が施され、建物に彩りを添えています。
 普通に旅行で来る方は、頭端式の駅ということに感銘を受けることでしょう。九州の鉄道はここからはじまり、ここで結ばれています。(4.5.8.)

北九州市旧大阪商船(大阪商船門司支店)
門司区港町7−18 大正6年(1917)
煉瓦・コンクリート造/2階建 河合幾次/内海鶴松
国登録有形文化財/01.3/北九州市/展示施設(事務所)
 門司港レトロ地区が現在のような賑わいを見せた結果は、その一つひとつの建物が魅力あるものだったことに起因しています。そのなかでも特に一歩抜けて気高くそびえた建物ではないでしょうか。道路に面した端部の塔屋は、灯台としても利用されていたものです。
 レトロ地区整備事業の中で真っ先に改装工事を行い、外観は建造時当初の姿を取り戻しました。1階部分は休憩所、2階部分はギャラリーとして利用されています。構造的にも煉瓦から鉄筋コンクリートへの移行過程を示すような特殊な構造をしており、現在は登録文化財として評価されています。(4.5.8.)

旧料亭醍醐(同左)
門司区清滝三丁目 大正6年(1917)
木造/2階建 不詳/不詳
/06.7/民間/住居(商業施設)
 建物としても美しい料亭建築ですが、私の感覚で言えば、門司港で最も立派な石垣を持っている建物という印象が強いです。現在は民家として使用されていますが、位置関係から考えると、いつ観光利用されてもおかしくないところにあります。
 門司港にはかつて多くの料亭が軒を連ね、港を利用する財界人に愛されてきました。この建物は立地の良さから多くの著名人が利用していたようですが、残念ながら料亭の機密性の高さから、その詳細は明らかになっていません。(41.)

北九州市門司三井倶楽部(門鉄会館)
門司区港町7−1 大正10年(1921)
木造スレート葺/2階建 松田昌平/不詳
国指定重要文化財/01.3/北九州市/展示施設(迎賓館)
 駅の真ん前に倶楽部建築などあるはずがない、と一喝するのが基本のように感じますが、これも移築されたものですから仕方がないと言うほかありません。門司港レトロ地区の開発に際して山手にあった建物を駅前に移築したものがこれです。
 移築に際して建設当時の形状に出来るだけ戻す前提の下、ハーフティンバー状の柱は白から茶に変わりました。それだけで印象が変わるもので、私としては、以前の方が建物としての輪郭がしっかりしていて好きでした。(4.5.8.)

旧岩田商店(同左)
門司区東本町二丁目6−24 大正10年(1921)
木造/2階建 石田要三・外部千松(大工)
市指定有形文化財/03.12/民間/空家(同左)
 建物だけを見れば、近代和風建築の一つに数えられるべき和風建築の典型でしょうが、それにそぐわない程大規模な煉瓦造りの防火壁が特徴的です。
 角地にあって北壁と西壁が防火壁で完全に遮断されているため、孤高の砦といった印象さえ持つことができます。建築物としても黒壁にうだつを持ったやはり面白い造りをしていますが、台風で防火壁が一部剥落。復元の予算が立たず、難しい限りです。(レトロ基金委員会HP.84.)

旧二十三銀行門司支店
門司区港町 大正11年(1922)
鉄筋コンクリート造/3階建 佐伯組/佐伯組
2006年3月解体/03.12/大分銀行/用途未定(銀行)
 装飾性は他の建物に比べて少なく、見た目だけでは戦後作られたものとも考えがちですが、れっきとした大正期建築物で、正確には外壁部分が煉瓦造の純ラーメン構造です。二十三銀行が建造し、その流れを引く大分銀行が2001年まで使用していましたが、銀行の支店統合の影響もあり、遂に取り毀されました。
 国道3号線のレトロ地区側には、この建物以外にもNTT、福岡中央銀行などいくつかのレトロ建築が遺されていましたが、軒並み取り壊されました。(5.8.41.)

旧藤本ビルブローカー銀行門司支店
門司区浜町 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/2階建 武田五一/竹中工務店
/03.12/福岡中央銀行/金融機関(同左)
 小規模ながらも縦軸を強調した、堅実な建物です。全体的に直線的な感触を強く受けますが、そんな中で玄関上部分の半円状の窓や階段室にぽっかり空いた小判状の小窓は重要なインパクトを持って私達にせまります。
 装飾性で言えば、門司のレトロ建造物の中でも一番中間的な建物だと感じました。うるさくもなく、かといって物足りなさも感じさせません。そういった意味で良質な作品であると言えます。しかしながら銀行の移転に伴い建物はあっさりと取り壊されました。実に残念この上ありません。(5.8.)

NTT西日本門司電気通信レトロ館(門司郵便局電話課)
門司区浜町4−1 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/3階建 逓信省(山田守)/橋元組
市建築文化賞/01.3/NTT西日本/事務所(同左)
 山田守の初期作品として、また防火設備を完備した土木技術上でも非常にインパクトのある、重要な建造物です。所有者のNTTは門司港レトロ地区に関連する事業にもいち早く参画し、この建物は資料館的要素を備えたものとなりました。
 端部の処理や玄関回りの装飾性は際だって優れ、現在も新しさを失っていません。3階のホールはイベント会場としても使用されており、今後も美しい建造物として残されることでしょう。(5.8.)

出光美術館(出光商会資材備蓄庫)
門司区東港町2−3 大正期か
不明/平屋建 不詳/不詳
市都市景観賞/01.3/出光興産/美術館(倉庫)
 正直に言ってしまうと、取り分けて印象もない普通の古い倉庫です。この建物が脚光を浴びたのは、倉庫再活用の代表として、またそこに出光美術館が入居したことにあるでしょう。
 改装後の外観は以前とそれほど変わらないものですが、内部は美術館として実に素晴らしいものへと変貌しました。半分解体され改装中ですが、施設自体も出光美術館の魅力のひとつとして、門司の文化に貢献することは間違いありません。(23.41.出光美術館ウェブサイト.)

門司郵船ビル(日本郵船門司支店)
門司区港町7−8 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/4階建 八島知/大林組
/01.3/日本郵船/事務所(同左)
 駅前にそびえ、降り立った観光客に門司港レトロ地区が贈る名刺代わりの建物がこれです。実に扁平な外観を持っていますが、これは改装によって装飾性が失われた結果だそうです。白く現れたその外観はまさに「名刺サイズ」です。
 エレベータは当初のものがそのまま使われているとのこと。1階部にはコンビニも入居し、事務所建築として今も現役のままて利用されつづけています。(5.8.)

門司税関1号上屋(同左)
門司区西海岸一丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/2階建 大蔵省営繕管財局工務部工務課/清水組?
/03.7/北九州市/倉庫(待合所)
 以前は大連航路の待合所として使われていた建物で、昭和初期の作品ながら装飾性を多く持った、注視すべき建物の1つです。この写真で言うと道路部分まで海岸線がせまっており、船舶はここから海外へと船出していきました。修復の上公開が予定されています。
 壁に描かれている絵は、レトロ地区が観光地として有名になってからのもので、地元出身のイラストレーターであるわたせせいぞうの絵も塗られています。絵自体は落書き防止の観点もあり賛意は示すのですが、色あせてしまうと問題に感じてしまいます。(6.8.)

門司区役所(門司市役所)
門司区清滝一丁目1−1 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/3階建 倉田謙/大林組
国登録有形文化財/03.7/北九州市/役所(同左)
 九州帝国大学で多くの建物を設計した倉田謙の作品で、比較的工学部本館によく似た建物です。しかし、こちらの方が扁平な印象をぬぐい去ることができず、これは創建時のスクラッチタイルが失われたことに起因しています。現在喪失部分に色違いのタイルを入れていますが、創建時程のインパクトを得られていません。
 しかし玄関回りの壮麗さはなかなかのもので、登録文化財となっていることにもうなずける造りとなっています。市街地からは少し高い部分に位置しており、地形効果をも威厳性にうまく利用しています。(5.8.)

門司信用組合
門司区東本町一丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/2階建 門司市技師/大倉土木
2009年5月解体/03.12/福岡ひびき信用金庫/金融機関
 門司の中小業者を支えつづけた門司信用組合の旧本店で、北九州信用金庫の大同合併により一支店としてかろうじて存続していましたが、支店統合によってあえなく解体の憂き目にあいました。グレー塗装の外観は金融機関の手堅さを現しているように見受けられます。もともとは2階建てであり、3階部分は増築によるものです。
 特徴的な部分は窓の多さと戦後増築された玄関のアーチ部分でしょう。山口銀行門司支店と比べ、使われている手法は全く逆方向で、ギャップがおもしろかったのですが、、残念です。(5.8.)

高野山大光明院鐘楼台座(同左)
門司区庄司町16−16 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造台座 吉賀規矩夫(大工)
/05.2/宗教法人/宗教施設(同左)
 自然石を化粧材に多用した鐘楼の台座。かつてはこの門の真上に鐘楼が取り付けられていたようですが、現在は別の場所に鐘楼が造られており、この台座は寺院の門として使用されています。
 寺自体は傾斜地にあるため、ちょうどかつて鐘楼が置かれていた場所が寺院自体の一階部分に当たります。自然石の使用は石垣代わりの意味合いもあったのでしょうか。私個人としては八幡製鐵所の設計陣との関連があれば面白い、と勝手に思っているのですが、、、(41.)

料亭三宜楼(同左)
門司区清滝三丁目 昭和6年(1931)
木造/3階建 岡田孫次郎(大工)
/04.7/未定/住宅(料亭)
 九州鉄道記念館・門司区役所など通好みな建物が並ぶ国道3号線沿線から少し山側に位置する雄大な建築。延床面積は当初1200平方メートル以上ありましたが、改修工事時に一部を吹き抜け構造にしたため、現在は1000平方メートルほどです。
 傾斜面かつ石垣の上に立地しているため外から見ると5階建てくらいの高さはあるように感じます。  かつては門司随一の料亭として政財界から多くのお客さんが利用し、下宿や個人宅を経て2014年からは料亭として見事復活を遂げました。 (29.41.棟札.)

カボチャドキヤ国立美術館(三井物産寮・菱和荘)
門司区谷町二丁目6−32 昭和7年(1932)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/個人所有/展示施設(住宅)
 三井物産が谷町に建てた建物群の中で一番の白眉は門司三井倶楽部である事は疑うべくもないですが、この作品もなかなかの風情を見せています。三井はかつてこの周辺一帯をドイツ風の社宅群で埋め、一種の箱庭的空間を作り出そうとしていた事が想像できますが、現在は僅かな建物群がその名残をとどめています。
 かつて寮であったこの建物は、解体の危機を逃れ現在画家の展示スペースへと生まれ変わりました。祭日土日しか公開されない施設なので、見学の際には注意が必要です。(29.41.)

老松公園忠魂碑(同左)
門司区老松町3番 昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/06.5/民間/事務施設(同左)
このモニュメントは満州事変の勃発後、日に日に中国との全面戦争が近づいていく中で、戦没者の霊を祀るための施設として建てられました。良く神社の境内などで見かけるこの忠魂碑ですが、門司では広場の一角に設けられています。これは元々この老松公園は陸軍の敷地であったことからの縁でしょう。
 時代背景から威厳を感じさせるものがある反面、船をイメージしたと思わせる丸窓やアールデコ調の窓枠デザインなどに戦前期の竣工物件ならではの豊かさを見ることが出来ます。表側よりも裏側の面に設計者の主義を感じることの出来る、面白い施設です。掲載している写真は、その裏側部分です。

北九州銀行門司支店(横浜正金銀行門司支店)
門司区清滝二丁目3−4 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造/2階建 桜井小太郎/竹中工務店
/01.7/山口銀行/金融機関(同左)
 幅の広い国道に面しているため小規模な作品と見られがちですが、隣接する建物と見比べると。2階建てながらその階高は3階建てに匹敵するものであることがわかります。その造りはきわめて古典的な造りで、また角地に切り込みを入れたようなその外観は横浜正金銀行本店にもよく似ています。
 外観の美しさは北九州地域に残る銀行建築を代表したものといっても良いと思います。昔も今も門司の中心街に位置して、その変わり様を見守りつづけています。(5.8.)

梅の湯
門司区錦町 昭和10年(1935)
木造/2階建 不詳/不詳
2006年7月解体/06.7/民間/商業施設
 門司港のまちなかにあった銭湯建築です。和風のスタイルに親しみを持つ方は多いかと思います。この建物に関しては、解体の直前に見る機会があり、実にほろ苦い思い出があります。遺されていればいくらでも使い方はあったであろう、しかし取り壊される建物はその直前まで解体を知ることが出来ない。そしてそのときになるともう行動は「遅きに失している」、、。
 その後の三宜楼保存活動にとって大きな力になった、とても残念な「解体」でした。(41.)

旭湯
門司区錦町 昭和11年(1936)
木造/2階建 木下亀市/木下組
2005年3月解体/01.7/不動産預/生活施設
 平成14年まで営業されていた、大正時代の贅沢な風呂屋でした。内部はやたら大理石です。排水用に溝の掘られた黒大理石の床面は、酒船石に似た印象を覚えました。スクラッチタイルの外観からまずすばらしく映えていました。内部には貴重なモザイクタイルが何種類も使われており、そのデザイン性のレベルの高さにも感銘を覚えたものです。
 私が内部を覗いたのは、取り壊しの2週間前。やはり、複雑としか言いようがありません。高レベルな材料・意匠を持っていただけに非常に残念な建物でした。(41.)

錦町公民館(錦町券番)
門司区本町3−15 昭和12年(1937)
木造/2階建 不詳/中川組
/05.1/民間/公共施設(商業施設)
 外見だけを見ると、それ程重要な建物だとは思えませんでした。ところが中を見てみると、2階洋風意匠と1階の唐風折上げ天井の広間など、見るべきところは数多くあります。調度品もなかなかのものです。
 元々は芸者さんたちの技能修練施設として作られたものです。その分野は幅広く、踊り、三味線など多岐に及びます。
 ちなみに現在駐車場になっている隣は病院。芸者さんのための施設がここ周辺は整っていたことを今に伝える、重要な施設です。現在は地域のために私設公民館として使われています。(41.)

関門海峡らいぶ館(三井物産門司支店→JR九州第一庁舎)
門司区西海岸一丁目6−2 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/6階建 松田軍平/清水組
/01.3/JR九州/用途未定(事務所)
 竣工当時は九州で最も高いビルだったとのこと。現在は周りに大きなビルが次々とできあがっており、当時の偉容を想像するほか無いですが、今でも大きなビルである事に変わりはありません。階高こそ違えど、アメリカ摩天楼建築の雰囲気をそこかしこに漂わせています。天井高もあり、その当時の商社が門司をどれほど重視していたのかがよくわかります。
 その後長い間国鉄総局、そしてJR九州本社として用いられてきましたが、JR九州の福岡移転に伴い長らく用途未定が続いていましたが、ようやく1・2階部分が活用され、2011年よりオープンしました。現在の状況は必ずしも良いものとは言えませんが、建物自体は余裕を持った構造ですので、状況が変われば上層階の再利用の方法はいくらでもあるように感じます。(4.5.8.関門海峡らいぶ館ウェブサイト.)

門司税関2号上屋(同左)
門司区西海岸一丁目 昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/清水組
/05.3/北九州市/港湾施設(同左)
 当時から税関上屋としての機能を十分果たしており、それは現在でも続いています。隣接する一号上屋がデザイン性の高いものであることと比較すると、あっさりとしすぎていて調べなければ最近の施設化と勘違いしてしまうレベルです。
 2階部分はかつてこの建物が海岸線に近接していた時期に船の甲板から直接に上げするための運搬口として造られたものです。埋め立てが進んだ結果その用途に適ったものではなくなりましたが、建物の歴史を伝える上では貴重な遺構と言えるのではないでしょうか。(41.)

涼山亭(炭鉱主別荘→丸山山荘)
門司区丸山二丁目12−6 昭和戦前期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.2/民間/商業施設(住居)
 元々は炭鉱主の別荘として建てられていた建物が宿泊所に転用され、また現在は焼き肉屋に替わっているという門司港では希有な事例。旅館時代は初代水谷八重子やジャイアンツの選手陣も宿泊されていたようです。中庭を持ち敷地に余裕を持った建物構成は、傾斜地に建てられた外見からはなかなか想像しづらいものです。
 近年北九州に誘致された各種の映画の中でも何回か登場するなど、その存在が徐々にクローズアップされている施設ではあります。しかしながら、少し門司港駅から遠いところが難点、といえるでしょうか。(41.)

旧軍馬水飲み場(同左)
門司区西海岸一丁目 昭和戦前期
鉄筋コンクリート造施設 不詳/不詳
/04.7/北九州市/静態保存(水道設備)
 その名の通り、中国大陸や南方へと運ばれる軍馬の水飲み場として作られた設備であり、もとから現在の位置にあったものではなく、戦後の一時期に移設された物件です。かつては港の周辺にこのような設備が数カ所あったそうなのですが、残念ながら現在はこの構造物が門司港の軍馬の哀しい歴史をかろうじて伝えています。
 現在は門司港レトロ地区の観光地化に伴って周辺の修景が行われ、この施設にもようやく日の目が当たるようになりました。当時の雰囲気を伝えられる写真などあればもっと良いのですけど、、、どなたか持っている方存じ上げませんか?(41.)

マリーゴールド門司港迎賓館(福岡銀行門司支店)
門司区港町2−21 昭和25年(1950)
鉄筋コンクリート造/2階建 徳永庸/不詳
/03.12/民間/商業施設(金融機関)
 門司港を彩るレトロ建造物のひとつ。戦後期の建物ではありますが、古典主義の色合いがかなり強く出ている、颯爽たるレトロ建築と言えるでしょう。元々は銀行建築として建てられ、現在は結婚式場に転用されています。
 門司港レトロ地区の中でも民間による早期の活用事例と言えるでしょう。この建物の活用ぶりを見て他の建物も続いて欲しいと思ったのですが、なかなかそうも行かず、、、取り壊されるパターンが続いています。何とも歯がゆいばかりです。(41.)

萬龍(同左)
門司区本町4−4 昭和25年(1950)頃
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/民間/商業施設(同左)
 港町ながら中華街が形成されなかった門司港において、市内に散らばる中華料理店の中で象徴的な建物と言えます。建築様式としては、一見中華風ながらどこか特殊飲食街の雰囲気をも備える、戦後ならではの雑多な様式が上手い具合に混交している建物であり、また中で提供される中華料理もなかなかのものです。
 この建物の良いところは周辺の雰囲気と合わせて近代の門司港の雰囲気を留めているところではないでしょうか。景観は建物一軒で形成していないということをここに来ると感じてしまいます。(聞き取り.)

旧西日本シティ銀行門司港支店(三井銀行門司支店)
門司区港町 昭和26年(1951)
鉄筋コンクリート造施設 不詳/不詳
/06.9/西日本シティ銀行/金融機関
 門司港地区では現存数が数少なくなってしまった銀行建築。戦後初期の建築物は設計施工者ともに戦前期の第一線であった方々が引き続き担当しており、この建築を見ても分かるとおり、様式建築の名残を見て取ることが出来ます。地方銀行の支店として長らく使用されていましたが、惜しくも解体されてしまいました。
 設計施工ともに不明の建物です。建物が喪われてしまうと、こういったデータを後追いできなくなることが非常に困ります。地域のアーカイブデータを独自に整備しなくては、まちの歴史がその記憶ごと吹っ飛んでしまいそうで、、焦りますね。(8.)

ホームリンガー商会(同左)
門司区港町9−9 昭和27年(1952)
昭和37年増築
鉄筋コンクリート造/2階建
(3階部分増築)
不詳/不詳
/06.5/民間/事務施設(同左)
 戦後復興期に竣工された建築ながら、近代の様式を色濃く遺した建築。この原因は建物の用途と不可分ではないかと考えられます。ホームリンガー商会は幕末期から日本で活動を行っている海事商会で、戦後も事項で活動を復活させる際このような洋風建築を造ることで、かつての臨画が経営していた商会からの伝統を想起させる効果を持っていたのではないかと考えられます。復古的な建築様式の採用が面白い建物と言えます。(5.)

老松交番(同左)
門司区老松町 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/01.7/国/行政施設
 
 老松公園の角部、ちょうど国道に面していた位置に建てられていた特殊な形の交番。おそらくは戦後初期に建てられた交番ではないかと考えていますが、気がついたときは既に取り壊されてしまったため、現在それを知る術は喪われてしまいました。おそらく、3階部分は戦後の増築できないかと考えているのですが、それさえもさっぱり分かりません。
 福岡県における交番施設は、「いつ行っても誰もいない」という批判を受け、近年急激に集約化が進んでおり、以前のような自体は少なくなったようですが、以前まで地域の案内所として、また安心できる場所としてあった交番施設があっという間に取り壊されていくのは、かえって地域の治安を悪化させているのではないかと不安でなりません。
 


戻る