近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

長崎県長崎市(三菱長崎造船所)編

旧長崎製鉄所機械場竪削盤(同左)
長崎市飽の浦町 安政3年(1856)
鋳鉄製工業機械 不詳/NSBM社(オランダ)
国指定重要文化財/04.12/三菱重工業/静態保存(工業機械)
 長崎で操業した製鉄所の竪削盤用に輸入された機械ですが、その後下関まで移動され、使用され続けてきたという、流れ者の経緯がある作品です。確認されている年代からみても、当然のごとく日本近代初期の工業機械であり、歴史的価値はもはや言うには及ばないでしょう。
 三菱重工業史料館には、現在展示されているこの機械のほかにも年代を追って多くの機械群が展示されています。ごく初期の企業博物館として高い展示レベルを保ったまま、これからも見学者を楽しませてくれることを私は確信します。(28.現地表示板.)

三菱重工業長崎造船所史料館(旧鋳物工場併設木型場)
長崎市飽の浦町 明治31年(1898)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/展示施設(工業施設)
 三菱重工業の発祥の地たる長崎造船所を代表する建物。玄関のキーストーンには竣工年とともに三菱のマークが施され、企業の誇りをここでも感じ取ることができます。建物は早くより史料館として用いられ、産業考古学会から推薦産業遺産の表彰を受けている建物でもあります。
 三菱重工業はかなり初期より企業博物館という考え方をもっており、展示されているものはどれも重要なものばかりです。見学自体はそれほど難しいものではないので、既存の長崎観光に飽きたら。このような施設見学も良いのではないでしょうか。(28.)

三菱重工業長崎造船所機械工場北側壁(不詳)
長崎市飽の浦町 明治32年(1899)頃
煉瓦造/2階建? 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/工業施設(同左)
 現役の施設内になぜか遺っている大きな壁。所員の方にお聞きしたものの、元々工場施設としてあったということ以外にはさっぱりわかりませんでした。この壁以外は鉄骨トタン張の壁となっており、旧状を今ひとつ把握できない状態となっています。
 現在の工場内部は平屋建構造となっており、一見3階建てとも見て取れる窓の、少なくとも中段のそれは採光用のものではないかと推測できます。が、この壁だけでは語られる情報が極端に少なく、今後の詳細な資料紹介が望まれるところです。(28.)

三菱重工業長崎造船所展示室(旧舟型試験場)
長崎市飽の浦町 明治40年(1907)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/展示施設(工業施設)
 三菱重工業長崎造船所工場内には史料館のほかにも数多くの近代化遺産が残っており、これもそれらに数えられるべき作品です。ある種の船舶試験場は必ずある程度の長さを必要とし、九州にはこのほかに九州大学にも同様の煉瓦造り試験施設が遺っています。比較してみると、こちらの施設の方が大きな施設といった印象を受けます。
 現在は建物を大きくふたつに分け、一方は商品展示スペースに、もう一方は事務施設として用いているようです。ここでも起業のあゆみを大切にする一流会社の姿勢が見えてくるように感じます。(28.)

三菱重工業長崎造船所150トン打重機(同左)
長崎市飽の浦町 明治42年(1909)
固定式電動打重機 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.12/三菱重工業/工業機械(同左)
 その偉容から三菱の工場内でシンボル的な存在となっている機械ですが、歴史はかなりのものです。現在は機械類では珍しく、国登録文化財となっており、地域の人々にとってこの機械がもはや風景の一部になっていることに驚きます。
 もちろん今も現役の工作機械。据付けから1世紀近くを経た現在でも船用のエンジンや艤装品の積出しに使用され続けています。まさに町の中心が工場であったことを証明する文化財です。(28.)


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