近代化産業遺産 総合リスト |
<写真がここに入ります。(下は例)> | 現在の建物名称(昔の建物名称) | |||
住所(移設の場合、旧所在地) | 建築年代 | |||
構造/階層 | 設計者/施工者 | |||
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/ 使用状況(建造当時の用途) |
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建物説明。(文末に参考文献ナンバー) |
唐人屋敷・福建会館(同左) | ||||
長崎市館内町 | 明治元年(1868) | |||
煉瓦造/平屋建 | 不詳/不詳 | |||
市指定有形文化財/07.3/民間/余暇施設(同左) | ||||
敷地がゆったりと作られていることから、階段に腰を下ろしたくなる公園のような雰囲気を持っています。こちらの建物、かつては辛亥革命を指揮した孫文も訪れたことがあるという、実に由緒正しき施設です。実はそのときの孫文の写真が集合写真で、階段に腰を下ろしていたものですから、ほら、やっぱりまねしたくなりますよね? 建物は他の2棟の煉瓦造施設より大振りな寺院建築と言えるでしょう。付属棟は唐人屋敷周辺を紹介するビジターセンターとなっており、唐人屋敷近辺を散策する際はまずこちらを訪れることをお薦めいたします。(長崎・唐人屋敷公式サイト.) |
唐人屋敷・天后堂(同左) | ||||
長崎市館内町 | 明治39年(1906) | |||
煉瓦造/平屋建 | 不詳/不詳 | |||
市指定史跡/07.3/民間/宗教施設(同左) | ||||
煉瓦で囲まれた門構えとこれまた煉瓦で造られた建物。小規模な作品ながら、囲まれた煉瓦の壁面がうまく構成されており、その造りよりも威厳を持って見学する人たちを迎えます。 中華風で構成されている建物のため、煉瓦を使用しているにもかかわらず近代の雰囲気を見せていないところが、いかにもと言うべきか、不可思議と称するべきか。なるほど、長崎という町は和華蘭ところだと言えますね。唐人屋敷内に保存されている他の施設と比較すると、施設の景観効果の高さが分かるでしょう。(長崎・唐人屋敷公式サイト.) |
浦上天主堂遺壁(同左) | ||||
長崎市松山町 (長崎市本尾町) |
大正3年(1914) 戦後移築 |
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煉瓦造保存壁面 | 鉄川与助/鉄川与助 | |||
/07.3/長崎市/静態保存(宗教施設) | ||||
現存していれば、鉄川与助の最高傑作とも言われた浦上天主堂の遺構です。現地案内板によると、建物の回廊中部付近の腰壁と壁の一部がモニュメントとして移設されたもののようです。 遺されている遺構の一部だけでもよく見てみると、石造の細かな装飾具合などみるべきところが多く、建物が健在であったときは、さぞ荘厳であったことだろう、などと考えます。この遺壁の他にも、市内の各所に浦上天主堂の遺物が分散して保存されており、当地の信仰の厚さを伺わせます。 もと浦上天主堂にあったものを爆心地に近いこの場所に移設し、原爆被害のすさまじさを今に伝えています。つくづく戦争というもののむなしさ、悲しさ、怒りを覚えます。(長崎平和宣言サイト.) |
唐人屋敷・観音堂(同左) | ||||
長崎市館内町 | 大正6年(1917) | |||
煉瓦造/平屋建 | 不詳/不詳 | |||
市指定史跡/07.3/民間/宗教施設(同左) | ||||
小規模な作品ながら、アーチ門の採用など近代的なところも見られる、おもしろい華洋折衷の遺産と言えます。内部はこってり観音堂、と言っても中国風の内装で構成されているので、日本の観音様とは大きく異なるのですが、それと外に出たときの幼稚園とのギャップというのは、実におかしく、おもしろいと言うしかありません。 玄関部分に付けられている蟇股の意匠というのは、日本固有のもののようで、中国風の外観の中で、一つ日本にあることを強調するものとしてどどんと構えているようです。(長崎・唐人屋敷公式サイト.) |