近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>JR名古屋駅タワービルディング 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

名古屋市中区・東区編

本町橋(同左)
名古屋市中区三の丸一〜二丁目 明治44年(1911)
煉瓦造アーチ橋 不詳/不詳
/03.10/名古屋市/道路橋(同左)
 名古屋市内に遺る唯一の煉瓦造りアーチ橋といわれています。市内の行政地区に属しており、昭和12年にはコンクリートによって拡幅されています。欄干の雰囲気だけでもかなりの気高さがあり、側面も見ていれば良かった、と悔やむばかりです。
 橋の下には昔名古屋鉄道の路線があったとのこと。廃線探訪の方々は、この橋にも注目してあげてください。決して損はしないだけの質が、そこにはあります。(12.) 

愛知県議員会館(旧大喜多寅之助邸)
名古屋市東区東外堀町 大正9年(1920)
木造/平屋建 神保技師/不詳
/05.7/愛知県/行政施設(同左)
 元々は個人の邸宅であった洋館。名古屋の中でも中心部に位置する建物のため、さぞや名士かと思っていたら名古屋市長の個人宅兼弁護士事務所であったとのこと。現在は県の議員会館として使用されており、一般には公開されておりません。
  『愛知県の近代化遺産』では諸般の事情により掲載できなかったとのこと。こんな書き方を公共施設で為されると、すわ取り壊しか、とどうしても気になってしまうところです。観光ガイドには意外と書かれており、市政資料館と一緒に見てみるのが良いでしょう。(a.46.)

名古屋市市政資料館(名古屋控訴院・地方裁判所区裁判所)
名古屋市東区白壁一丁目 大正11年(1922)
煉瓦鉄筋コンクリート造/3階建 司法省営繕課/
金刺森太郎、加藤和夫
国指定重要文化財/05.7/民間/商業施設(同左)
 実にごてごてした、いかにもと言うくらいの赤煉瓦建築。赤煉瓦は仕上げ材として使用されているようで、構造材は鉄筋コンクリートです。
 控訴院と呼ばれる時代の建築物は意外と少なく、私が見たのはここ名古屋と札幌市の2件のみです。
 煉瓦建築と言うことで細かな装飾に期待していましたが、既に様式脱却の流れを受けているからか、全体のシルエットの割には単調なデザインの繰り返しが多く、少々物足りないというのが偽らざる印象でした。(a.46.)

UFJ銀行金融資料館(名古屋銀行本店)
名古屋市中区錦三丁目 昭和元年(1926)
鉄筋コンクリート造/5階建 鈴木禎次/竹中工務店
/05.7/UFJ銀行/展示施設(金融機関)
 まさに名古屋の地場建築、といった色合いを持った施設。建物の設計は都市計画にも携わった鈴木氏、施工は尾張藩からの伝統を持つ竹中工務店、そしてUFJ創業の場所とも言える金融資料館です。5階部分と4階以下では分離したような印象も見られますが、これは元々の造りのようです。
 栄地区も再開発の影響からか、不自然な空き地が目立つようになり、古くからの街並みもその痕跡を辿りづらくなっています。町の記憶を遺す施設として、まだまだ矍鑠な姿を期待したいものです。(46.)

坂文種報徳会本町ビル(坂文種報徳会)
名古屋市中区丸の内三丁目 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/3階建 広瀬商会/不詳
/03.10/民間/商業施設(事務施設か)
 戦後高度経済成長期に商店建築の中で、同様の手法が多く用いられた、縦線を協調した建築物。窓の配置でアクセントを付けているようですが、正面に付属建築物がはみ出しているため、その苦心もおおかた台無しという状態になっています。それでもかろうじて、良質な建物であるという雰囲気だけはとどめています。
 古い建物だという印象があって撮影した作品。後に文献で調べ、作品名とデータが判明致しました。たまたま撮った作品としては、印象深いものとなっています。。(0.46.) 

名古屋市役所(同左)
名古屋市中区三の丸三丁目 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/5階建 市建築課/大倉土木
国登録有形文化財/05.7/名古屋市/行政施設(同左)
 塔屋の中央部に東洋風の屋根が取り付けられています。いわゆる帝冠様式の建築で、中央部分にかなりの装飾的要素が集中しています。軒に施された装飾や中央最上階部分のせり上がり方などは、戸畑区役所や大牟田市役所にかなり近似した意匠を持っており、共通のたたき台があったのでは、と推理できます。
 帝冠様式とは言われていますが、破風が各面に張り出し、中国の楼閣の雰囲気が香ります。私的に注目すべきは、取り付けられた時計。素朴ながら、全体の景観にアクセントを付けています。(0.)

三井住友銀行名古屋支店(三井銀行名古屋支店)
名古屋市中区錦二丁目 昭和10年(1935)
鉄骨鉄筋コンクリート造/2階建 曾禰中條建築事務所
/竹中工務店
国登録有形文化財/05.7/民間/商業施設(同左)
 名古屋の金融街である栄地区には、今も戦前期の勇壮な建築群がいくつか現存しており、この建物もそのうちのひとつ。イオニア式オーダーは銀行建築で好んで用いられる手法で、旧三井銀行では特に美しい柱が作られています。
 最近旧第一勧業銀行系の建築を中心に銀行建築が次々と取り毀されています。これは景気回復と金融機関の合同による重複店舗の売却によるものですが、建物に価値を見いだすことは日本ではまだまだ見られず、実に辛い状況を迎えています。(46.)

桜橋(同左)
名古屋市中区丸の内一丁目他 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート橋 前田屋外美術・名古屋市土木局
/山田組
市都市景観賞/03.10/名古屋市/道路橋(同左)
 アールデコの橋梁として、都市の中に一種独特な空間を形成しているように見えます。橋梁の周囲には、近代的な、悪くいえば画一的でおもしろみのない建築が並んでいますが、それらの中で一本筋の通った、桜をこれでもかというくらいアレンジしたデザインは、周りの構造物を圧倒して存在感を示しています。
 名古屋市の代表的な都市景観として、平成元年には名古屋市の都市景観賞を受賞しました。いつまでも残って欲しい都心のオアシスといえます。(名古屋市サイト.) 

愛知県庁(同左)
名古屋市中区三の丸三丁目 昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/5階建 愛知県建築課/戸田組
国登録有形文化財/05.7/愛知県/行政施設(同左)
 正面に広がる名古屋城を意識したことがあからさまに分かる作品。やはり帝冠建築の代表的作品といわれ、時代的背景から国威発揚の表れといわれてもいますが、この作品は、戦災によって焼失する前の旧名古屋城が持っていた圧倒的な存在感を、そのデザインを引用することで、周囲と調和させようとしたのではないでしょうか。
 建物が見据えた名古屋城は既にレプリカとなりました。その偉大さを知る手がかりとしてこの作品は遺されているのではないか、そう私は考えています。(0.)

明治屋名古屋栄ストア(明治屋名古屋支店)
名古屋市中区栄三丁目 昭和13年(1938)
鉄骨鉄筋コンクリート造/6階建 西尾建築事務所/清水組
/05.7/明治屋/事務施設(同左)
 いかにも明治屋、といった癖のある建物のひとつ。どこがどのように、といわれると言葉に迷うのですが、タイル壁と2枚セットの窓周りや、低層部分の石張とかが挙げられるのですが、ふと考えてみるとそれは大正から昭和期のかけての様式建築に共通してあげられる特徴のひとつであり、この私が感じる明治屋らしさとは何なのか。しばらく勉強してみたいと思います。
 昨今全国の明治屋建築が次々に取り毀されており、この建物も大丈夫とは言い切れません。都市の「艶」のひとつである明治屋建築が大切にされることを切に願います。(46.)

料亭川文(同左)
名古屋市中区丸の内二丁目 昭和12年〜25年(1950)
木造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/民間/商業施設(同左)
 元々あった料亭は既に空襲で焼け落ちていますが、建物の持つ雰囲気は近代の香りそのままです。昭和12年当時の設備は、厨房施設のみだそうです。周辺部は再開発の波に呑まれつつあり、駐車場や工事中の土地が増えているようで、その中でこの建物の存在は実に心強く見えます。
 私が偶然通りかかった時は文化財登録原簿に載っていない隠れた建物でしたが、帰ってしばらくすると登録文化財になっていました。こういった経験は最近結構増えつつあります。(登録文化財リスト.)


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