近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造/階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)
福岡県中間市編
中間水門(同左)
中間市中間二丁目
文化元年(1804年)
木造瓦葺
一田久作/福岡藩
県指定有形文化財/03.4/中間市/水門(同左)
市街地にありながら、結構ひっそりとした位置に遺されている水道土木遺産。築造に当たっては岡山市に現存する倉安川の水道施設を参考にしており、両者を比較すると姿形はかなり似通った構造をしています。当時筑前を統治していた黒田藩が元々岡山近郊に地盤を持っていたことから、このような技術移転がなされたようです。
遠賀堀川自体が市街地に近接している土木遺産のため、当時の雰囲気をたどることが難しくなっていますが、この水門の周辺はちゃんとした親水空間となっています。(4.)
新日本製鐵中間ポンプ場(八幡製鐵)
中間市下大隅
明治43年(1910)
煉瓦造/平屋建
不詳/製鐵所直営
/06.3/新日本製鐵/ポンプ場(同左)
目立ちにくいポンプ場建築のひとつ。一度内部を拝見させていただいたことがあるのですが、外部の厳めしさとはうってかわって荘厳な教会の雰囲気を持つ、見応えのある施設です。ただし、残念ながら現役の水道施設と言うことなので。設備が設備だけあって、完全に非公開、しかも写真を撮ることもまかりならない、難しい施設となっています。
現役で使用され続けていることに価値がある施設ですので、これから見学できるようになって欲しいと思う反面、このままでも良いのかな、などとも考えています。(4.)
新日本製鐵遠賀川水源地取水塔(同左)
中間市下大隅
明治43年(1910)
煉瓦造/平屋建
不詳/製鐵所直営
/03.9/新日本製鐵/水道施設(同左)
ポンプ場に隣接して遺されている取水設備の上屋建築。基礎が鉄筋コンクリート造っぽいところと窓の部分で古さが見えないところから後年の改造によるものかと思っていたところ、最近写真を見直すと、上屋部分は煉瓦造と考えるに妥当な意匠などが確認できました。ペンキで真緑に塗られているものですから、それに惑わされてしまっていたわけです。
企業が所有する現役水道施設の中では、日本国内でもかなりの古さを持っているのではないでしょうか。実に貴重な遺産です。(4.)
筑豊本線遠賀川橋梁(同左)
中間市遠賀川上
明治24年(1891)
(鉄橋は1923年に架替)
煉瓦造(橋梁は鉄骨造)
鉄道院/横河橋梁
/04.5/JR九州/交通施設(同左)
現用の鉄道施設の割には華奢なトラスを持っていることから、古い構造物であることが判断できるかと思いますが、それ以上のポイントは煉瓦造の橋台にあります。この橋台は筑豊本線の前身である筑豊興業鉄道が築造した数少ない遺産として大変貴重なものです。
トラス橋が楠連も並ぶ様は遠賀川の風物詩となっており、地域景観にも貢献している土木構造物であると言えるでしょう。これからも眺めていたい郷土の代表的景観です。(d.4.)
JR中間駅危険物品庫(同左)
中間市御館町
大正3年(1914)
煉瓦造/平屋建
不詳/不詳
/06.3/JR九州/交通施設(同左)
モルタル塗装されていることから、きわめて目立ちづらい施設となっていますが、鉄道院が当時各地で作っていた危険物品庫の典型的な姿をしていることがたたずまいから容易に判別できます。
構造物(屋型施設)としては、門司港駅上屋と並んで地域内最古級の鉄道施設と言えます。目立たないからと言ってぞんざいにするのではなく、これからも大事にして貰いたい施設です。願わくば、赤煉瓦の構造体を見ることが出来るようにしてくれれば文句ないのですが、、これは日本人の赤煉瓦好きが言うわがままでしょうか。(4.)
JR中間駅構内跨線橋(同左)
中間市御館町
大正4年(1915)
鉄骨造跨線橋
不詳/不詳
/06.3/JR九州/交通施設(同左)
シンプルな跨線橋。後年のもののようにガラスで完全に囲われているわけではなく、鉄骨材もそれほど仰々しく付けられていません。しかし通路の幅は大規模駅にもあって不思議ではないくらい余裕がもたれており、石炭景気に沸く当時を偲ぶ重要な遺産のひとつと言えます。
構造物自体は昭和7年に大規模な改修工事が施され、床面や通路面の木材はその時のものを使用しているとのこと。しかし現存する他の跨線橋は概ねこれ以降に大幅な改装を受けているため、この跨線橋は比較して貴重な姿をとどめていると言えます。(4.)
日本国有鉄道C11−260号蒸気機関車(同左)
中間市大字垣生
昭和19年(1944)
鉄製タンク式機関車
不詳/日本車輌
/08.7/静態保存(交通設備)
戦後に出来た大規模都市公園である垣生公園の中央部に安置された蒸気機関車。道路際にないため、公園の利用者かつ公園内を歩き回る方しかこれを見ることはないかと思います。
九州内の主要幹線で旅客用に広く使用されていた機関車で、現在の仕様は門司鉄道管理局式デフレクターと呼ばれる改良型の除煙板を取り付けています。雨ざらしの現状にあって、このまま放って置かれると、ぼろぼろになってしまうことは間違いなく、早期の移設が望まれる遺産と言えます。(b.)
中間隧道(同左)
中間市蓮花寺一丁目
昭和9年(1934)
煉瓦・コンクリート造トンネル
不詳/津田工業
/04.12/民間/資材倉庫(トンネル)
炭鉱地帯である筑豊地区と北九州とを結ぶ主要幹線道であった中間引野線のトンネル。現在は新しく4車線のトンネルができたため、このように使用停止、反対側は資材倉庫として用いられています。
ポータルの美しさに目を奪われがちですが、昭和初期当時砂岩層からなる岩盤をくり抜き、全長100Mの隧道を完成させるのに2年半もかかったことは工事自体の難しさを今に物語っています。
先人の苦労を偲びつつ、八幡側のポータルの半分は埋められ、かろうじて残っているという現状に哀しさを覚えます。(4.)
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