近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>多賀神社 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

福岡県飯塚市編

旧直方駅倉庫(同左)
直方市殿町 明治24年(1891)?
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/06.8/民間/不明(交通施設)
 煉瓦造の倉庫施設。規模的なところはそんなに珍しいものでもありませんが、小振りの窓周りなど古さを見せるところも多々あります。
 現在の直方駅は明治44年に移転したもので、筑豊興業鉄道の開業当初は南側の多賀神社寄りの位置にありました。この建物は、当初の駅舎と推定される位置に現存する唯一の鉄道施設であり、竣工期こそはっきりとしておりませんが、明治期に遡るのではないかと考えられます。後年の改造によって老朽化も目立ちます。出来れば補修して大事に使って貰いたいものです。(地元団体資料.)

JR筑前植木駅(同左)
直方市植木 大正2年(1913)
木造/平屋建 鉄道院/不詳
/08.10/JR九州/交通施設(同左)
 鉄道院から国鉄に続く駅舎建築のモデル例の中で、中規模駅舎に属される建物ですが、竣工当初のプロポーションがしっかり保たれている数少ない例。2駅南側にある直方駅が大規模駅舎の例、さらに北側にある折尾駅舎は現存数が少ない2階建駅舎となっており、この路線沿線で多くの歴史的駅舎を見ることが出来る、珍しい地域だと言えます。
 気に掛かるのは、この駅舎の両側駅舎地域で行われている再開発事業。ここ単体だけ遺されてしまっても価値がそのまま保たれるとは必ずしも言いづらく、将来が心配です。(4.)

江浦耳鼻科医院(同左)
直方市殿町 明治34年(1901)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/03.10/個人所有/病院(同左)
 直方の中心街から少し離れた殿町通りにあり、明治建築特有の遊び心、そして和洋混淆の意匠にはっとさせられます。資料で確認できる限りでは地域内で最も古い近代建築で、内装もかなり原型を留めているようです。
 直方市はこの建物がある通りを中心に、一般には知られていませんが、多くの近代建築が残っています。周囲の景観も下手にぎらぎらした建築物もなく、往時の隆盛を肌で感じ取ることが出来るでしょう。(a.) 

直方石炭記念館本館(旧筑豊石炭鉱業組合会議所)
直方市大字直方 明治43年(1910)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/00.12/直方市/展示施設(事務所)
 後のモダニズムに通じるようなのっぺりとした外観は、改修によるものではなく、もともとこのような作品であったようです。しかし蛇腹意匠や玄関部の仕上げには、明治の香りを感じさせる意匠が施されています。
 建物は石炭鉱業組合の会議所から、石炭災害を防ぐための救護施設へ、そして現在では往時の炭鉱を紹介する石炭記念館として、石炭と共に現在へと受け継がれています。紹介・展示されているものはどれも実に重要かつ見応えのあるものばかりです。(a.4.)。

JR直方駅(同左)
直方市大字山部 明治43年(1910)
木造/平屋建 不詳/不詳
/00.12/JR九州/駅(同左)
 見ての通り、典型的な明治の駅舎といった外観です。内部の改装が著しく、往時の姿を留めているのは外観ばかりになりました。物の本によると初代博多駅を移築した作品であるとの記述が見受けられ、そうなると単なる駅舎としてではなく、九州の鉄道史にとって重要な作品と言えるのではないでしょうか。
 由来云々を除いて考えても、炭鉱の都として栄えた直方を象徴する、ゆったりとしたよい作品ではないかと思います。,願わくば、もう少し内装に気を使って頂ければ、、解体撤去の予定があるとのこと。どうにかならないものでしょうか。(a.)

旧三菱鯰田炭鉱電気機関車(同左)
直方市大字直方 明治末年輸入
パンタグラフ式電気機関車 不詳/不詳
/00.12/直方市/静態展示(機関車)
 筑豊本線を真横に見ることのできる、直方石炭記念館の裏手にひっそりと安置してある機関車です。輸入時期は明治期と電気機関車の歴史の中ではかなり古いもので、明治期の電車ながら、現代の電車にも通じる系譜のようなものを感じさせます。
 炭鉱を含め貨車目的で使用されていたこの形式の電気機関車は現存数が少なく貴重な存在と言えます。しかしながら、記念館の所有である他の遺産と同じように野外展示されており、その保存状態が非常に気がかりなところです。(4.)。

試験坑道(同左)
直方市大字直方 明治45年(1912)
救護訓練坑道 不詳/不詳
/04.9/直方市/静態保存(教育施設)
 石炭記念館の裏手に円筒状の展示物が見えます。これは元々石炭救護訓練所の試験坑道として使用されていたもので、御殿山といわれている記念館の山を横断している構造物です。
 訓練坑道の大部分を構成する煉瓦造の部分とと鉄筋コンクリートによる増築部によって構成されている施設で、その全長は約二キロに及ぶとのこと。以前一般公開されて殊もありますがその全容については未だ公開されておらず、また公開するためには整備が必要だとのこと。今となっては貴重な炭鉱訓練用の大規模な坑道施設です。(4.73.)

アートスペース谷尾(十七銀行直方南支店)
直方市古町 大正2年(1913)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/03.10/福岡銀行/展示施設(銀行)
 この建物はもともと銀行であったものを改装し、美術館の分館として転用しているものです。外観の仕上げ方から考えても、飯塚市本町の福岡銀行(十七銀行の後身)飯塚支店と同じ設計者と考えて良いと思います。
 もともとは塔屋を配置した、かなり目立つ部類の建物であったようですが、塔屋はアーケード設置の際に削られ、屋根も改修されおとなしい建築となっています。黒タイルで覆われていますが、いわゆる「辰野式」の流れを汲んだ作品と言えるでしょう。(a.14.73.)

向野堅一記念館(讃井小児科医院)
直方市殿町12−19 大正11年(1922)
木造/2階建 小島弘満/大崎金次郎他
/03.10/個人所有/住宅(病院)
 直方市の建築物の中では最も偉容に満ちた建物です。内外装共に美しいのですが、これだけの建物であるにもかかわらず、由来を報告書などで知ることはできません。誰がどう見ても、骨太の素晴らしい建物だと思うはずですが、、、。
 角地にあり、塔屋を配置した左右非対称の建物で、意匠には独自のセンスを窺わせます。現在は所有者も代わり直方ゆかりの偉人を顕彰する記念館として活用されています。これだけ優美な建物がいままで非公開のまま留めおかれていたのが本当に不思議でなりません。是非一度ご覧になって下さい。(地元団体資料.73.)

石原商店(同左)
直方市殿町 大正13年(1924)
木造銅板張/2階建 不詳/田代為吉
/06.8/民間/商業施設(同左)
 隣にある前田園とともに近代の市街地建築景観を現在に伝える施設のひとつ。一見三階建てにも見える建物ですが、これは作業場として用いられていた一階の天井高を高くとっているため、天窓の部分が二階のように見えている、またそう見せていることに由来しています。
 裏側から見ると町の工場施設と言った雰囲気が良く伝わり、大正期の町工場と言った観点では、単なる町屋建築というカテゴリに当てはめるべきではない、重要な遺産です。(地元団体資料.73.)

貝島炭鉱32号蒸気機関車(同左)
直方市大字直方 大正14年(1925)
タンク式蒸気機関車 不詳/Koppel社(独)
/04.9/直方市/静態保存(交通設備)
 筑豊炭田で最後まで操業を続けていた貝島炭鉱で使用されていた蒸気機関車のひとつ。日本に現存するコッペル社製の蒸気機関車の中では最も大きなものと言われています。除煙板のない寸胴型ボディと両脇に取り付けられている補給用のタンクが特徴的です。
 石炭記念館の中では最も重要な展示品と位置づけられているのでしょうか、高台の最も外側に安置されており、直方の市街地からは一番見えやすいところにあります。蒸気機関車の拠点であった機関区を抱えていた直方ならでは、と言える遺産でしょう。(b.現地案内板.)

ロング館(同左)
直方市古町 大正期?
木造?/2階建 不詳/不詳
/06.8/民間/商業施設(同左)
 全体としては、真四角の建物構成をしており、たたずまいには大きな工夫はないようにも見えますが、窓周りや軒の部分にこまごまとした意匠があるため、古典の流れにある建物なのかな、と考えさせられます。屋根が見えないので何とも断言は出来ませんが、看板建築のたぐいではないかと思います。
 直方市内で角地に建てられた建物は結構立派なものが多く遺っていますが、こちらの作品についても当てはまります。欲を言えば、もう少し立面構成に変化が欲しいところですが、あるだけでもよしとすべきでしょう。

前田園(同左)
直方市殿町 昭和元年(1926)
木造銅板張/2階建 不詳/不詳
/06.8/民間/商業施設(同左)
 殿町の道路に面した外壁を完全に銅板で固めている、防火とデザインに力を入れた建物のひとつです。前面の銅板張りは関東などでは良くある造りですが、九州ではあまり多くないパターンです。
 こちらの建物は内部にも面白い建物があり、母屋は出桁りの和風建築の色合いを濃く受け継ぐ建物なのですが、奥部に現存する蔵はキングポストトラスで組まれている洋小屋の造りとなっています。和洋混淆の近代ならではの建物と言えるでしょう。(地元団体資料.73.)

旧菓舗四宮(貝島鉱業事務所)
直方市殿町 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/06.8/民間/不明(同左)
 アーケードの終点位置にあるスクラッチタイル張りが美しい建物。アールをとった角地と階段室(と思われる)に配された菱形の窓がさりげないポイントとなっています。
 窓周りが縦長な所と色合いこそ若干薄色な部分は異なるものの、今は無き若松の麻生鉱業ビルに近い形なのかもしれません。今はアーケードに邪魔されていますが、建物の全体像が気になる建物と言えます。近代化遺産たる建築の数多い直方でも注目すべき作品のひとつです。

C11−131号蒸気機関車(同左)
直方市大字直方 昭和13年(1938)
タンク式機関車 不詳/日本車輌(製造)
/04.9/JR九州/静態保存(交通設備)
 機関車内に水補給用のタンクを抱える形式のタンク型機関車で、都市近郊の路線に用いられた、あまり馬力を必要としない線形を走った機関車として造られたものです。現存する機関車はもう多くはない、貴重な作品のひとつです。
 直方市石炭記念館は、少ない面積をぎりぎりまで有効利用するかのように多くの遺産を展示しています。この蒸気機関車も野外展示作品群のひとつで、メンテナンスは行き届いていないものの、記念館の展示物にふくらみを添えています。(現地案内板.)

直方谷尾美術館(旧奥野医院)
直方市殿町 昭和15年(1940)
鉄筋コンクリート造?/2階建 不詳/不詳
/03.10/直方市/美術館(病院)
 もともとの建物に現代に通じる共通したセンスがあったのか、改装工事の仕方を間違えたのか。玄関回りのイオニア式オーダーを見ないと一見して古い作品のようには見えない、すっきりとした建物です。一度火災を受け戦争直前の時に造られた建物だとのこと。
 意匠の多くは玄関部に集約されています。かといって他に見るところがないかと言えばそうでもなく、内部の構造も、美術館用に改築を受けたとはいえ、洋風へのあこがれを具現化したような間取りを感じ取ることが出来ます。(現地プレート.)

直方歳時館(旧堀三太郎邸)
直方市新町一丁目 平成11年(明治31年)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/03.10/直方市/公民館(住宅)
 炭鉱主として隆盛を誇って堀三太郎氏の旧宅でした、、、「でした」というのは、全面解体工事を行い、多くの部分で新しく材料を新調しているからです。今の状態では保存と言うよりは、旧宅のニュアンスだけくみ取った復元と称した方が正確な言い回しのように感じます。
 もともとの持ち主であった堀氏は、建物を直方市に寄付する際、施設の維持管理費をつけて、公共の福祉に役立てて欲しいと仰ったそうです。現代の有識者にも堀氏の後に続いて欲しいと望むばかりです。(a.建物解体報告書.)


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