近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

熊本県阿蘇郡小国町編

北里文庫(同左)
小国町大字北里 大正5年(1916)
木造/平屋建 横田芳太郎/横田芳太郎
/05.10/小国町/静態保存(図書館)
 熊本県下2番目の図書館として、北里柴三郎が私財を投じて造った建物。現在は博士の功績をたたえた記念施設として使用されています。展示物はよくある記念施設と言った風ですが、図書館としての面影を遺す外観や書庫、備品といったところにかえって興味が注がれました。図書館時代の利用者名簿をみると、北里姓の多いこと! なるほど、地元なんですね。
 丘の上に位置し、また正面玄関からの一枚がどうしても日差しにかかったため、このような姿になってしまいました。朝方の時間帯にもう一度行って撮り直しですかね。(34.)

貴賓館(同左)
小国町大字北里 大正5年(1916)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.10/小国町/静態保存(住居)
 北里柴三郎の帰省用住居兼地域迎賓館として作られた施設。前述した北里文庫と同時期に作られ、こちらは北里を訪れた賓客をもてなすための施設としても使用されていました。地元のために何か貢献したいと願う北里博士の思いがこもった施設として、後年北里研究所等が中心に改修、小国町に寄贈した施設のうちのひとつです。
 小国町は現在ツーリズム大学事業をはじめ観光に根ざした面白いまちづくり施策をとっていますが、それら「おもてなしの心」を大切に考える原点はこの施設にあったのかもしれません。(34.) 

あみだ杉の館(小国銀行本店)
小国町大字宮原 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/05.10/小国町/静態保存(金融機関)
 小国の街中は、現在も古くからある和建築がよく遺されており、そぞろ歩くだけでもなかなか面白いのですが、それらの中でランドマークとしての役割を今も維持しているのがこの建物。茶褐色のタイルが昭和初期の流行を物語っています。
 もともとは銀行建築として建てられた作品で、近年まで肥後銀行の支店として利用されていましたが、現在はまちづくりの拠点施設として町が買取り、まちのシンボルとして親しまれながらも台風で倒壊した「阿弥陀杉」の木を活かしたモニュメントを展示して、現在も町の中心的役割を担っています。(あみだ杉の館ホームページ.)

旧国鉄宮原線菅迫橋梁(同左)
小国町大字北里 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/放置(鉄道施設)
 杉並木に騒然と佇む巨大な橋梁。手入れされた杉に負けないくらい、こんなに高いのにさらにその上を汽車が通っていたというから、何とも驚きです。車窓から見える小国の山々はいかばかりの美しさであったでしょうか。
 文化財登録されているため、完全に放置されているとは厳密には言いがたいのですが、ただ、何かに使われているとはどうしても書けないため、敢えて放置と書いています。ただ、この施設の「放置」は実に適切な「使用方法」ではないかとも思ってしまいます。(34.)

旧国鉄宮原線廣平橋梁(同左)
小国町大字西里 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/道路施設(鉄道施設)
 旧宮原線の中では比較的橋桁数の多いものです(最多は菅迫橋梁)。見映えは相当のものがあるのですが、近くに車で容易にアクセス出来る位置関係になく、延々歩く必要があるため、観光地と称するにはまだまだの感があります。
 近年のウォーキングブームに合わせる形で手摺りを付け、上手く売り出せれば良いとは思うのですが、人のいない今の空間もこれはこれでなかなかの寂寥感があります。活用という言葉にとまどいを覚えてしまう気がいたします。(34.)

旧国鉄宮原線堂山橋梁(同左)
小国町大字北里 昭和13年(1938)頃
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/未定(鉄道施設)
 直下に道路を控える橋梁。もっとも、関心のある方を除いてはこの橋を見てもそれ程の感慨はないことでしょう。他の一部の橋と同様に手摺りを設けており、一応ウォーキングコースとして使用できるようですが、雑草の生い茂る様を見てしまうと、なんとも使用しづらいような複雑な心境を覚えます。
 二重にアーチを配しているのは、後の補強ではなくデザイン的なものがあるのではないでしょうか。旧宮原線に共通する特徴として、親しみの覚える意匠です。(34.)

旧国鉄宮原線北里橋梁(同左)
小国町大字北里 昭和13年(1938)頃
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/道路施設(鉄道施設)
 木々の間に阻まれていますが、五連のコンクリートアーチ橋梁です。ポイントとしては、途中に車道が挟んでいるために橋梁のアーチ間が異なることではないでしょうか。写真を厳密に見てみると、傾斜もあるようです。歩いてみると何の変哲もない橋でしかないですが、意外と面白い橋梁かもしれませんね。
 北里柴三郎記念館にも近く、ちょっとしたウォーキングに最適かもしれません。一方には旧駅設備、反対側には木魂館という簡易宿泊施設もあります。ここで合宿なんて計画もお勧めしたいですね。(34.)

旧国鉄宮原線汐井川橋梁(同左)
小国町大字北里 昭和13年(1938)頃
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/道路施設(鉄道施設)
 こちらはしっかりとした手摺りが設けられ、観光コースへの伏線を感じさせます。実際はマウンテンバイクの競争コースとして使用されてはいるのですが、本格的な運用はされていません。観光として使用できるものか(費用対効果が見込めるか)、小国町の中でも試行錯誤な部分があるのでしょう。
 春秋のウォーキングコースとしては最適だとは思うのですが、いかんせん小国までに到る交通手段がバスに限られるため(だからこそ廃線にはなったわけですが)、需要を呼び起こすまでに到っていません。なかなか難しい問題ですね。(34.)

旧国鉄宮原線堀田橋梁(同左)
小国町大字北里 昭和13年(1938)頃
鉄筋コンクリート造橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/放置(鉄道施設)
 良いさびれっぷりをした橋梁、と言う言い方は、土木構造物に対して全く失礼極まりないのですが、どうしてもそんな言葉が浮かびます。コンクリート剥き出し、塗装もなく、ツタや鉄粉の錆が表面にからみつき、橋の床面には手摺りもありません。いや、それどころか、何と言うことでしょうか。橋の上に木が生えているではないですか! こんな奇妙な光景はそんじょそこらでは拝むことが出来ません。
 菅迫橋梁に近接した位置にありますが、これを見学するには民間敷地や公有地を歩く必要があります。許可なしでの散策はお控えください。(34.)

旧国鉄宮原線幸野川橋梁(同左)
小国町大字宮原 昭和14年(1939)頃
竹筋コンクリート造?橋梁 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.10/小国町/道路施設(鉄道施設)
 耐震強度偽装が過剰に語られる現代では、疑念の橋梁、なんてことを言われるのでしょうか。この橋梁は戦時下物資不足の中作られたもので、コンクリート補強のために用いられている鉄筋に代わり竹を使用されているのではないかと言われています。実際工学院大学がボーリング調査し、竹片が見つけられたものの構造材として断定するまでには到りませんでした。
 事の是非はともかく、造形的にも実に優美な姿を誇っています。アーチを活かした桁間の装飾は、素っ気ないように見えて周囲の自然景観と好対照のリズムを持っています。(34.) 

旧国鉄宮原線北里トンネル(同左)
小国町大字北里 昭和初期
コンクリート造トンネル 不詳/不詳
/04.10/小国町/未定(鉄道施設)
 この状態では、廃線とも廃道とも判別しがたいところではありますが、ガードレールがないところから鉄道の跡であることが分かるかと思います。幅の狭さで鉄道関連のトンネルと分かる人もいるかもしれませんね。
 橋梁と比較すると、目立たない分だけ劣った価値判断をされてしまいがちですが、造りの確かさは廃線後20年を経た現在でも深刻な水漏れを起こすことなく、使用に堪えうる姿で有ることで証明されていると思います。もう少し、顧みられても良いような気がします。

旧国鉄宮原線宮原トンネル(同左)
小国町大字宮原 昭和初期
コンクリート造トンネル 不詳/不詳
/04.10/小国町/未定(鉄道施設)
 写し方(仰角のとり方)が異なるだけで、規格としては北里トンネルと同一のものと思われます。そのまま通るだけでは現在暗くてどうにもなりませんが、電気設備が生きているため、町の許可を得て今回見学することが出来ました。
 写真ではぞろぞろと人が並んでいますが、普段はこんな風景絶対にありません。今回廃線群を撮った写真は、ちょっとしたイベントに同行したときのものです。今後ウォーキングイベントが継続して行われることを期待します。

旧国鉄北里駅ホーム(同左)
小国町大字北里 昭和期
石張ホーム 不詳/不詳
/04.10/小国町/静態保存(鉄道施設)
 近年の整備によって、ホーム状の待合ベンチが設けられ、何となく往時の雰囲気が掴めるような気がいたします(どちらかというと、中途半端という気も、、、)。また片田舎らしい物販施設も近くにあります。
 駅舎があった事を表す広々とした空間に、ホームのちっぽけさがどうもピントに合わず、不可思議な気持ちにさせられます。宮原線自体は木材輸送のため作られたという経緯もあり、そこを勘案した空間の「見せ方」があってもいいんじゃないか、とちょっと不満な気持ちを持ちました。(.) 


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