近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>旧大分県立図書館 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大分県大分市編

JR九州西大分駅(同左)
大分市大字生石 明治44年(1911)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.4/JR九州/交通施設(同左)
 典型的な明治の木造駅舎です。地方都市でも中規模以上のところには明治期にこのような駅舎が建っていたのですが、都市規模が大きくなるにつれて、また老朽化などでどんどん取り壊されていき、現在明治期の駅舎で現存するものは残り少なくなってきました。自転車が並ぶ姿は生活感があって良いものです。
 同タイプの駅舎である亀川駅も解体寸前といわれています。ここより若干小振りな東別府駅が指定文化財になったからでしょうか、ここの存亡が気に掛かって仕方ありません。

ブリックブロック(旧煉瓦造倉庫)
大分市生石五丁目 明治期
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.4/民間所有/ライブハウス(倉庫)
 大分港の中にぽつりと立っていて、ツタが絡まっている姿は一種独特なものがあります。港にかつてあった煉瓦造り倉庫群の中でも現存する数少ないものとのことですが、報告書などの記載がないため、詳細に関しては一切不明です。
 建物の外観だけでは現在の用途を知るすべがない様相でしたが、たまたま扉に張られた張り紙はここでのライブスケジュールを記載したものでした。港湾部というある種殺風景な空間の中で、なかなかにおもしろい活用法ではないかと思います。(ブリックブロックサイト.)

富士紡績大分工場事務所(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/事務施設(同左)
 窓の桟、赤白の外壁が見せるコントラスト、玄関部の質素ではあるが気品あるたたずまいを見るにつけ、本当に工場内の事務所建築なのかと感慨に浸ってしまうほどあか抜けた建築です。
 旧青年学校と比較するとそれ相応の補修がなされているものと考えられますが、下手な改装に手を出していないため、竣工時の輝きを少しも失っていません。そこも非常に好感が持てます。企業側に文化財に対する理解があってこそのこの名品、一度工場の外からでも見てみることをお薦めします。(31.)

旧富士紡績大分工場診療所(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/倉庫(教育施設)
 工場に勤務する人々の教育施設として用いられ、その後診療所、現在は倉庫として用いられている施設です。周囲はみどりで覆われており、やもするとみどりに埋もれてしまうのではないかという感じさえ覚えます。
 事務所の凛とした美しさに比べると、いささか趣に欠ける感もありますが、そこは元々が教育施設という用途が持つ「手堅さ」から来るものではないかと思います。見たところ老朽化が進んでいるように見え、今後が心配な建物です。(31.) 

富士紡績大分工場ボイラー室(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/工場施設(同左)
 工場稼働当時からほとんど変わっていないと言われている施設。所々のアクセントに色違いの煉瓦が用いられており、その他意匠にもこの工場施設全体の見た目に配慮した施設設計に彩りを添えています。
 質の良い工場施設は造園の一種に似ているものを感じます。そこを通る人々にとって導線を邪魔せずに快適な空間を提供する、みどり多きこの工場は実に心地よい空間として一見の私には感じ取れました。(31.0.) 

富士紡績大分工場第一工場(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
煉瓦造/平屋建 不詳/大林組
/04.4/富士紡績/工場施設(同左)
 鋸型の屋根に分類されている工場施設ですが、特筆すべき点として、切妻部分で階段状の装飾が施されている事が挙げられます。この一点をもって工場棟を特殊なものとならしめているといっても過言ではないでしょう。ただの鋸屋根に段差がつくだけでこれほどSF的に見えてしまうものなのかと思うくらい、何か新しいものを感じさせます。
 残念ながらこの装飾を生み出した設計者について詳しいことは分かっていません。話によるとどこかの大学教授の関与があったとのこと。(31.0.)

富士紡績大分工場変電所(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/工場施設(同左)
 電線が入り乱れる一角に立っており、現役施設としての姿をまざまざと見せつけています。外観レベルでの特徴といえば、2階部分上部の明かり採り窓にあるくらいで、他には大きな特色は見られません。
 この工場内を見回すと、装飾性を持った施設群が豊富にあり、そんな中でこの変電所はかなり特異なものに見えます。本来ならば、この明かり取り窓だけでも工場施設にしてはよくやったと誉めているところですが、、、この工場全体のレベルが高すぎると言いますか、もっと多くのものを期待していただけに残念なところです。
 

富士紡績大分工場塵突(旧大分瓦斯紡績)
大分市大字生石 明治45年(1912)
煉瓦造塵突 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/工場施設(同左)
 塵突とは、糸くずや埃などを集中して廃棄する設備のことで、紡績工場特有のものです。工場の規模にあわせてか、かなり大規模なものであるように見受けられます。
 やはり現役の施設という事で、排出部に若干の改装が見られますが、かえって造形のおもしろさを喚起しているようにも感じられ、これはこれで非常におもしろい作品に仕上げられています。
 よくよく見てみるとこんな塵突にまで、僅かながら意匠を用いています。工場に美しさを求めようとした設計者の姿勢にただただ感服するばかりです。

大分銀行赤レンガ館(旧二十三銀行本店→府内会館)
大分市府内町 大正2年(1913)
煉瓦造スレート葺/2階建 辰野片岡建築事務所
(佐伯與之吉)/直営
国登録有形文化財/04.4/大分銀行/銀行・ギャラリー(銀行)
 辰野事務所の中で、後に佐伯組を設立した佐伯與之吉の作品。辰野テイストがそこかしこに用いられ、大通りの銀行本店として十分の貫禄を誇っています。一時期は存廃の岐路に立たされていたこともありますが、所有者の賢察と地域住民の愛情によって現在の姿に生まれ変わりました。
 内部構造は現在使いやすいように改造されています。外観保存の代表例として採りあげられるべきでしょう。辰野建築のあでやかさは中心街にこそ映えるものだと思わせる一品です。(31.55.) 

富士紡績大分工場天皇陛下行幸記念館(同左)
大分市大字生石 大正7年(1918)
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.4/富士紡績/
 大正天皇の工場訪問の際、特別に作られた安在空間。天井を見ると和のテイストを感じさせる部分もありますが、正直なところ、よく分からない建物でした。
 往時の写真を見る限り、休憩所といった色合いが強いのでは、と感じます。開放的な構造は四阿以外の何者でもないでしょう。現在もひっそりと立っているこの建物に、和と洋の混合的美しさを感じてしまうのは、その造りの確かさによるものではなかろうかと思います。(0.)

みずほ銀行大分支店(旧大分県農工銀行)
大分市都町一丁目 昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/2階建 国枝博/大林組
/04.4/みずほ銀行/銀行(同左)
 大分市中心部に残る数少ない近代建築のうちのひとつ。この作品の肝要な部分はひたすらに模様の怪しさにあるといって良いでしょう。窓の上下に配置される渦巻文様もそうですが、一番の決め手は建物の内部。天井いっぱいに広がる幾何学紋様にあります。なるほど、アールデコの典型といわれているだけの建築ではあります。
 正面玄関部に一部改装は見られるもののおおむね竣工時の姿をとどめています。いつまでも変わらぬ姿であってほしい蠱惑的作品です。(31.)


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