近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>大牟田市石炭産業科学館 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

福岡県大牟田市編

旧三井三池炭鉱大浦坑記念碑(旧大浦坑油小屋など)
大牟田市三川町 明治14年(1881)
(大正15年記念碑建立)
煉瓦造・基壇石造 不詳/不詳
/04.7/民間/記念碑(炭鉱施設)
 元々の構造物は明治14年に大浦坑内に造られた油の保管庫で、閉坑後記念碑を造る際再利用され現在に至っています。煉瓦構造に貼り付けられた石碑には、三井三池炭鉱の代表的経営者である団琢磨筆の文字が、誇らしげに飾られています。
 三井港倶楽部の敷地に静かにたたずむこの石碑は、企業宣伝という意図もあるでしょうが、三井三池鉱が日本の産業を支えたのだという自負と、自らが持つ歴史に対する敬愛の念を感じさせます。三井港倶楽部の存続危機、との情報が耳に入りましたが、そのニュースを聞いて、戦前期の方はこういった歴史リスペクトが大多数の人々の考え方にあったのでは、と思ってしまいます。(27.) 

旧三池集治監石垣(同左)
大牟田市上官町 明治16年(1883)
石造基壇 不詳/直営
県指定有形文化財/04.7/県/石垣(同左)
 近代的な刑務所設備製造を考えた明治政府が作ったかなり初期の遺物。作られた集治監(刑務所)では、多くの服務囚が宮原坑まで炭鉱労働にかり出されました。それら遺構のうち石垣と煉瓦壁のみが現存しています。
 もともと刑務所であった施設には、現在三池工業高校が建てられています。石垣や煉瓦壁はそのまま使用されていますが、高校も監獄も管理がしやすい方がよい、いうことでしょうか。なんとも複雑な感じが致します。(4.) 

旧三池集治監擁壁(同左)
大牟田市上官町四丁目 明治16年〜28年
煉瓦造擁壁 不詳/不詳
/09.6/福岡県/教育施設(行政機関)
 暗褐色の外観が印象的な赤煉瓦造の外壁。長大な壁は教育施設のそれに似つかわしくなく、いったい内部で何が行われているのか、と心配になりますが、この壁自体が刑務所時代の遺構と考えれば、杞憂も仕方ないところでしょう。
元々は三池監獄の外壁でしたが、炭鉱での囚人労働が禁止されると共に刑務所は閉鎖。その後は三池工業高校の外壁として使用されています。三池工が甲子園に初出場初優勝したときもこの壁は野球部の練習を見守っていました。(大牟田の近代化遺産ウェブサイト.)

旧三井三池炭鉱宮浦坑煙突(同左)
大牟田市西宮浦町 明治20年(1887)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.7/大牟田市/事務所(病院)

 雄々しくそびえる煙突は、初期炭鉱の持つ力強さを現在に伝えます。現在は公園の中にある作品で、周囲の緑、そしてかつての炭鉱設備展示の中では、この煙突はやはり一番象徴的に映ります。
 煙突としては筑豊にかつてあった炭鉱設備群に比べると、それほど高くも大きくもありません。ただ、筑豊にあったその煙突達は既に殆どが取り壊されており、この煙突はここに存在することでその価値を文化財足るべきものにしていきました。なによりも竣工年の古さで言えば全国でも一番と言って過言ではないかと思います。これからもそうであり続けることだと私は固く信じています。(12.現地案内板.)


旧三井三池炭鉱勝立坑第二竪坑櫓基礎(同左)
大牟田市新勝立町四丁目 明治28年(1895)
煉瓦造竪坑台座 不詳/不詳
/08.3/不明/放置(鉱業施設)
 閉塞された煉瓦のアーチを見れば、さすがにかなり古い構造物だな、と容易に類推がつきそうな、退色感の強い炭鉱遺跡。明治20年代と聞けばなるほどと唸るほかありません。歴史ある大牟田の炭鉱遺跡群の中でもかなりの年代物と言えます。
 基礎部分の煉瓦構造は明治期、上部に付けられたコンクリート部分は戦後の一時期に再稼働した際に作られたのではないかと考えられます。(聞き取り.大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブウェブサイト.)

旧三井三池製作所鍛冶工場外壁(同左)
大牟田市東新町一丁目 明治28年(1895)
木造/平屋建 ドイツ人技師?/不詳
/04.7/イズミ/静態保存(工場)
 かつて大規模な煉瓦造工場があった事を今に伝えるモニュメント。
歴史的構造物の保存方法に一石を投じるような、かなり衝撃的な光景です。もともとあった工場の外壁をこのように横に倒し、一部保存するという形式を取っています。やはりもの悲しさは否めません。
 夏のこの時期に撮影してしまったばっかりに草ぼうぼうで、ますますみすぼらしさを出してしまっています。仕方ないこととはいえ、だれかこの草取ってくれないでしょうか。柵に囲まれているため、私には取ることが出来ません。(4.) 

旧三井三池炭鉱宮原坑竪坑(同左)
大牟田市宮原町一丁目 明治34年(1901)
鉄製竪坑 不詳/不詳
国指定重要文化財/04.7/大牟田市/静態保存(炭鉱設備)
 周囲はかつて石炭産業の中心であったという痕跡も薄れ、みどりがただ目立っているという印象を持ちました。そんな空間に抗うかのごとく雄々しく立っているのがこの竪坑です。
 大牟田の主観産業であった石炭を産出し続けた竪坑設備で、周辺にはこの竪坑の他にも数基の設備が現存しますが、この竪坑は重要文化財に指定されています。
 平成11年当時の竪坑設備の重要文化財指定はかなり画期的な出来事であり、九州における土木構造物の文化財指定としては記念碑的な施設のひとつといえます。現在はボディが塗り直され、竣工当時の美しさを取り戻しています。(4.) 

旧三井三池炭鉱宮原坑捲上げ室(同左)
大牟田市宮原町一丁目 明治34年(1901)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国指定重要文化財/04.7/大牟田市/静態保存(炭鉱設備)
 立派な竪坑設備に寄り添うように建てられた捲上げ設備。この建物の一番のポイントは、巻き上げ用の設備が現在も残っている事ではないでしょうか。一歩中にはいると、まるで時間が止まったかのように、ひとつひとつの設備が油臭さと共に私たちに挨拶してくれます。
 当時の雰囲気をとどめるという意味もあり、この施設は普段非公開です。もし見学したいと思う場合は、イベントなどの機会をじっと待つほかありません。(4.)

三池港閘門(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
開閉式閘門 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/港湾設備(同左)
 干満の差が激しい有明海に面した三池港では、干潮時には船底が海底に引っかかり航行不能となることがあります。それを防ぐために作られたのがこの施設。満潮時には門を開き港湾と海を繋ぎ、干潮時には締め切ります。日本でパナマ運河のような開閉式の水門があるのはここだけです。
 貴重な港湾施設なのは間違いないですが、一番の驚きは当時の施設をこのように現在でも同じように使用し続けていることです。この写真では閘門は開かれています。(4.)

三池港補助水堰(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
堰止式水門 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/港湾設備(同左)
 煉瓦で形作られた構造物というものは、見るものを落ち着かせる何かがあるようです。この補助水門もそれらのうちのひとつに挙げられるでしょう。構造で言うとごくありふれた水門ですが、何ともいいようのない華を感じます。
 竣工時期は隣接する閘門と同時期の構造物で、やはり貴重な史跡のひとつです。急激な干満差の時には水門は開放され、スムーズな水の移動を促します。それ以外にも管理上の都合で頻繁に開閉を繰り返しているようです。(4.)

旧三井港倶楽部(同左)
大牟田市三川町 明治41年(1908)
木造/2階建 清水満之介/清水組
市指定有形文化財/03.9/民間/レストラン(迎賓館)
 三井炭鉱の隆盛を今に語る優美な建築です。ハーフティンバーの色合いを前面に打ち出した、やや大振りの2階部分は、訪れた人々を圧倒させた事でしょう。元は海員用の倶楽部だったそうで、山手にもうひとつ倶楽部があったそうなのですが、こちらは戦災で焼け現存していません。
 現在はレストランや結婚式場として広く一般に利用出来るようになっており、昼食の月替わりメニューは大変好評なようです。お近くにお寄りの際は訪れてみてはいかがでしょうか。(4.)

旧長崎税関三池支署(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/日本コークス工業/事務施設(同左)
 工場内に取り残された近代化遺産。税関業務を執り行う支署として建設されたもので、三池港の完成とともに建設されました。ここ福岡県は税関の管轄区域が二つに分かれており、有明海区域は長崎税関、それ以外の区域は門司税関の管轄となっています。この建物は長崎税関の支署であったわけです。
 税関支所の新築移転によって、この建物は三井鉱山の関連施設として使用されているようです。実際のところは、どうなのでしょうか。所々打ち付け板は剥げているようですし、屋根も波打っています。今後の動向がかなり心配です。(大牟田の近代化遺産サイト.

サンデン本社屋(旧三川電鉄変電所)
大牟田市新港町 明治42年(1909)以前
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.7/サンデン/事務施設・倉庫(変電所)
 解体の危機にあった変電設備を地元下請け会社が引き取り、本社屋として現在も使用されています。変電所施設であった時の外観、及び内装は出来る限りそのままの形で、中にプレハブの事務所施設を建て事務機能はその中で行い、それ以外の部分は倉庫として使用していました。
 まだ近代化遺産の保存活用例がそれほど注目されなかった時代の貴重な活用例であり、現在は登録文化財として変わらずに大事に使い続けています。(4.)

三池式快速石炭船積機3号機
大牟田市新港町 明治44年(1911)
鉄骨造運搬機 不詳/不詳
2004年11月解体/04.7/三井化学/港湾機械(同左)
 港湾で石炭を迅速に船舶に積み込むため造られたローダーと言われる機械。設計者といわれる團琢磨と黒田恒馬の名字から「ダンクロローダー」と呼ばれ、市民に愛着をもたれていました。
 当然これより新しい機械設備はあり、見たところそちらの方が頻繁に使用されていました。私の目から見ればこの設備が現在もそのままの形で残っていることが既に奇跡のように見えましたが、やはりというか、2004年に解体されてしまいました。(4.)

JR大牟田駅危険品庫(同左)
大牟田市不知火町一丁目 明治44年(1911)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/08.11/JR九州/不明(交通施設)
 かつては列車の灯火用燃料保管に用いられた油庫施設ですが、現在も危険物品の保管に使用されているところはなかなかの気概を感じます。この類の施設は九州でも少なからず現存していますが、現存する施設の多くはホーム側に入口を設置しており、この施設の向きはそれらと大きく異なります。おそらくは、駅の面積にそれなりの余裕があったため、ホームから直接油庫に入らなくても良かったのかもしれません。使い勝手はどうだったのか考えるところもありますが、かなり貴重な事例と言えます。(大牟田の近代化遺産ウェブサイト.)

泉橋(同左)
大牟田市泉町−旭町一丁目 大正5年(1919)
鉄筋コンクリート造桁橋 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/道路橋(同左)
 かつて写真奥・泉町側にあった三井の附属病院へと続く道路に作られた象徴的な橋梁。病院のエントランス的位置づけも担っていたのかも知れません。そうでなければ、このように難しい造りをわざわざ鉄筋コンクリートで仕上げる必要性はないのでは、と思います。
 現在でこそ造形に多様性が表れている橋ですが、大正当時鉄筋コンクリートの特性を活かしこのようなラッパ型に仕上げる事は容易な事ではなかったと思います。あだや拡幅で簡単に取り壊すべきではない橋梁でしょう。(大牟田市パンフレット.)

旧三井三池炭鉱宮浦坑大斜坑(同左)
大牟田市西宮浦町 大正12年(1923)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/静態保存(斜坑)
 静態保存されている公園内炭鉱設備のうちのひとつで、斜坑として利用されていた設備です。斜坑は竪坑と並立して作られた場合とそうでない場合とがありますが、宮浦坑では両方ともが存在していたようで、痕跡が残っているのは斜坑だけです。
 静態保存とはいえ、コンクリートで埋められた姿はどことなく無惨なものを感じさせますが、この姿こそ日本における石炭産業そのものを表しているかのようです。ちなみにこのすぐそばには炭鉱で使われていた人車が保存展示されています。(現地案内板.)

旭橋(同左)
大牟田市泉町−旭町一丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造桁橋 不詳/不詳
/08.11/大牟田市/交通施設(同左)
 親柱をはじめとするポイント部分のデザイン性が際だっている作品。近接して交通量の多い国道があるためねこの橋を通る車は少ないですが、見かけてしまうと渡りたくなるような、そんな大正ロマンを彷彿とさせる佳作です。
 土木構造物は建築に比べどちらかといえば地味で、特にこの作品のように商店街にあるわけでもない生活圏にある構造物は、研究者に知られることなく消えていきがちですが、この橋は戦後の使い捨て主義にまみれることなく見事に生き抜いてくれました。(.)

不知火ダンススタジオ(倉庫)
大牟田市不知火町二丁目 大正期?
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/08.11/民間/商業施設(交通施設)
 大牟田駅に近接している倉庫建築で、貨物ヤードにも近いことから、鉄道貨物を取り扱うための倉庫として建てられたものだと分かります。建物妻部上部に記されたマークから、会社名を類推できるとは思うのですが、、、残念ながら思い浮かぶ会社がありません。
 大規模な建物ながら、煉瓦の焼成温度はかなりまばらで、それがかえって電車の窓越しから気に掛かる建物でした。なんと現在は民間のダンススタジオに転用されています。なんとも、びっくりするほかありません。

与州会館(同左)
大牟田市入船町 大正期か?
木造/2階建 不詳/不詳
/08.11/民間/余暇施設(同左)
 見たところ民家とそう変わらない外観ですが、この建物はここ大牟田から遙か遠く、鹿児島は与論島から炭鉱へ出稼ぎ労働のため訪れ、そのまま居住するようになった与論島出身者の交流施設として今もなお使用されています。
 好況期の炭鉱は全国各地から大勢の人を呼び寄せました。炭鉱閉山後の現在その歴史は薄れゆき、語り伝える人も少しずつ少なくなっていますが、その中でこの施設は炭鉱城下町であった大牟田の歴史を色濃く伝えています。(聞き取り.)

旧五月橋巡査派出所(同左)
大牟田市栄町一丁目 昭和初期か
木造/2階建 不詳/不詳
/04.7/大牟田市か?/不明(同左)
 いかにも年代を感じさせる公共建築。戦前期の作品であることは間違いなさそうですが、今ひとつ由来がはっきりしません。現在の街路構成から若干浮いている感じも見受けられるので、現在の国道新設前に作られた派出所で、当時の街路に合わせる形で作られたのかもしれません。
 現在の用途はよく分かりません。倉庫になっているのか、あるいは集会場のような形に転用しているのか、、、建物の今後に不安感を残します。

大牟田銭湯建築(同左)
大牟田市駛馬町 昭和初期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.6/民間/駐車場(商業施設)
 後ろ側にある煉瓦造煙突と言い、排気のための越屋根があることと言い、いかにも銭湯であった施設なのですが、なんと、現在は駐車場として利用されています。
 内装はかなりの部分が遺されており、中でもタイル画がそのまま壁面にあるところは所有者の粋を感じます。天井部分に遺る番台の跡などを見ると、操業当時はデザイン色豊かな銭湯であっただろうと感慨に浸ってしまいました。用途変更の問題があるものの、このままでも集客用の空間に転用したくなる、なかなかの作品です。

大牟田市役所(同左)
大牟田市有明町二丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/4階建 是永雄/柿原組
国登録有形文化財/04.7/大牟田市/市役所(同左)
 規模が大きな建築物なので、国道からある程度間隔があるにもかかわらず、かなり迫ってくるような印象があります。帝冠式建築の流れをくんだもので、地方の官公庁建築の中では大振りの造りだったため、現在の使用にも耐えることが出来、現在もこのような勇姿を見ることが出来ます。
 大牟田市は近代化遺産に対する保存姿勢が県下でもっとも進んでおり、この建物はその象徴的施設だと言えます。当然おいそれと壊すことはなく、これからもあり続ける建物でしょう。(a.4.)

大牟田商工会議所(同左)
大牟田市有明町一丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/2階建 福岡県営繕課/柿原組
/08.11/大牟田商工会議所/事務施設(同左)
 白色の外観が印象的な現役施設。何と大牟田市役所と竣工年・設計主体・施工が同じだと言うから、びっくりです。商工会議所のウェブサイトに掲載している竣工当初の姿と比較すると、なるほど窓周りなどに大きく改変された形跡があり、元々はスクラッチタイルを取り付けた縦長の窓を持つ、市役所に似た建物であったようです。
 正面は大きく姿を変えていますが、側面は竣工時の姿を僅かに留めています。戦争時にスクラッチタイルを取り外す指示が行われた結果の現状と言えるでしょう。(大牟田商工会議所ウェブサイト.)

松屋百貨店
大牟田市本町一丁目 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/
7階建(地下有)
不詳/清水組
2008年解体/04.7/破産管財人/百貨店
 井筒屋撤退後の大牟田販売業を一手に背負う百貨店でしたが、民事再生法申請を経たものの、先日破産。建物は活用のめどが立たず惜しくも解体撤去されてしまいました。
 アーケードに隠れているためその風格をのぞき見る事は難しいですが、ちょっとした隙間から上を見るとなかなかの造りになっていることが分かります。かつて持っていた産業都市としての力量を伝えるには十分すぎるほどのたたずまいを持っています。出来れば上手い再利用の方法があればよかったのですけど、、、(0.)

三池炭鉱専用鉄道電気機関車18号(同左)
大牟田市東新町一丁目ほか 昭和12年(1937)
パンタグラフ式電気機関車 不詳/芝浦製作所
/04.7/三井化学/機関車(同左)
 写真を見て分かるように、現在も軌道上を元気に走っている機関車で、三井三池炭鉱の動脈であった炭鉱電車として長い間使用されてきました。現在では三井化学の鉄道設備となった一部路線で稼働しています。電気自動車とはいうものの電化設備は現在無く、これら電車は充電池を用いています。
 この電車をはじめとして、専用鉄道では現在も数台の電車が現役として動き続けています。かくしゃくとした姿をぼうっと眺めているのも、それはそれでなかなか乙なものではないでしょうか。(4.) 

三井化学J工場(同左)
大牟田市浅牟田町 昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/7階建 不詳/不詳
/04.7/三井化学/工場施設(同左)
 白亜のモダン建築ですが、後年出来た建物群に比べ主義のはっきりした一本気を感じる仕上がりになっています。近年の工場のようにこの工場が平屋建てではなかったのは、別に敷地面積的な問題があったためではなく、建物が持つ高低差を利用して商品の製造を行っていたからです。勿論現役の施設として稼働中です。
 大牟田市の中でかなりランドマーク的要素を持っている建物で、モダニズム建築の面目躍如といった美しさを保ち続けています。階高がかなり高い建物のため、かなり遠くからでもその姿を仰ぎ見ることが出来ます。近年解体されるとの報道があり、今後が心配です。(4.)

山の神神社(同左)
大牟田市新勝立町三丁目 昭和戦前期か?
木造/平屋建 不詳/不詳
/08.3/日本コークス?/放置(宗教施設)
 三池炭鉱、とくにこちらの施設は勝立坑の山神社的機能を担っていた宗教施設でした。参道の広さといい、鳥居の大きさといい、そんじょそこらの神社など比べものにならない規模なのですが、惜しむらくは炭鉱のお抱え神社であったことでしょう。炭鉱の閉山とともに訪れる人もいなくなり、完全な廃墟になってしまいました。
 現在では三井関連の会社によって管理がなされているようですが、出来うれば炭坑が現役であった時代に周辺の住民を氏子に出来なかったものかと悔やまれてなりません。それぐらい格式のある空間を今も保ち続けています。(聞き取り.)

旧三井三池炭鉱三川坑(同左)
大牟田市西港町二丁目 昭和15年(1940)頃か?
鉄筋コンクリート造門柱 不詳/不詳
/09.6/日本コークス/不明(鉱業施設)
 日本最大級の炭鉱である三井三池炭鉱の主力坑であると同時に、日本最大の労働争議が行われた因縁の地としても知られる一時代を象徴する施設の入口。その時を体験していない私にとっては大きな炭鉱という印象ですが、関係者には言葉に出来ない感情がこみ上げてくるのではないでしょうか。
 内部はかなり解体されているという話を伺いますが、外側から見た限りでは皆目見当がつきません。出版企画にかこつけて中に入れないものかと考えるのですが、、、難しそうです。(大牟田の近代化遺産ウェブサイト.)。

初島(同左)
大牟田市初島 昭和26年(1951)
人工島 不詳/不詳
/07.12/日本コークス/工業施設(同左)
 「昭和の国づくり」とも称された有明海に浮かぶ人工島施設。上空から見るとまん丸な形をしていることが分かります。この施設は、海底炭鉱である三井三池炭鉱の入排気坑(年代によって入気・排気の機能は異なる)として建てられました。竣工当初は海岸から3km離れたところに作られた、まさに海底炭田ならではの構造物と言えます。現在は干拓のため海岸線から1.6kmの位置にあたります。
 ここで掲載している写真は、最寄り沿岸からズームを目一杯かけているため、何となく、全体の輪郭は掴めていますが、、、やっぱり会場からきっちりと撮りたいですね。(.)。

大牟田市柔剣道場(同左)
大牟田市浄真町 昭和26年(1951)
木造/平屋建 不詳/不詳
/09.6/大牟田市/余暇施設(同左)
 玄関周りは洋風ながら、窓を広くとっているところあたりはさすがに武道場という施設の需要に適した造りと言えるでしょう。竣工当初はもう少し和風のテイストが強く出ていたのではないかと思うのですが、白く塗られた姿を見ると、教会や公共の集会施設といった印象を持ってしまいます。なんか、武道場っぽく見えないところがまた面白い。
 竣工期から考えると、この手の施設の中では九州でもかなり古い方にはいるでしょう。木造建築は日々のメンテナンスが必須となりますが、その意味では利用者に広く愛されているからこそ残されている施設ではないかといえます。

三井住友銀行大牟田支店(同左)
大牟田市栄町一丁目 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/04.7/三井住友銀行/金融機関(同左)
 戦前の銀行建築と比較するとデザインの簡素化が進行していますが、縦長の窓と少し長めに延びた庇を見るとモダニズム建築の中でもデザインが効果的に用いられ、質の良い作品だな、と思わせます。もう少し竣工年代が古ければ、イオニア式のオーダーが各窓間の柱に用いられていたのかな、と想像するに難くありません。
 併設して大牟田の銀行協会があるところも、この銀行が大牟田の金融の中心的存在であることを表しているでしょう。大牟田市は昔も今も三井の企業城下町だな、と思わざるを得ません。

旧三井鉱山白坑社宅(同左)
大牟田市宮原町一丁目 昭和戦後期
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/08.11/大牟田市/静態保存(住居)
 セミデタッチドハウスと称される、団地建築の趨りに位置づけられる社宅建築。かつてこの宮原坑周辺にはこのような形の社宅群が立ち並んでいたそうですが、現在はこのひと棟だけが記念碑的な位置づけで現存しています。
 イベント時などで一般公開もされている施設ですが、普段は倉庫のような状態になっているようです。最近、建物側面に「めざせ!世界遺産!」と書かれた看板が取り付けられ、なんとも言えない、少々複雑な気分になっています。

三井三池製作所三池事業所・設計棟
大牟田市旭町2丁目 昭和38年(1963)
鉄筋コンクリート造/5階建 三井建設/三井建設
/04.7/三井三池製作所/事務施設(不明)
 三井三池製作所の設計室として建てられ、かつては煉瓦造工場群(現在のゆめタウンの敷地内)の正門入口部分に位置していました。屋上にあるペントハウス状の建物はエレベータの機械室で、ビル建設当時に設置されたエレベータが稼動していたそうです。一度見学したかった施設ですが、、残念です。
 外観は窓の横軸に重点が置かれており、昭和30年代建築の中でも個性の強い作品に仕上げられています。かつては戦後期のよく分からない建物のひとつでしたが、情報提供により詳しい情報が分かってきました。情報提供に心より感謝します。(メール情報×2.)


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