近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>大阪歌舞伎座 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大阪市中央区(船場地区)編

適塾・旧緒方洪庵住居(同左)
大阪市中央区北浜三丁目 江戸末期
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/03.10/大阪大学/静態保存(同左)
 かの緒方洪庵が主宰した適塾ということで、その場所はすぐにわかるものと思いこんでいましたが、実にひっそりとした裏通りに佇んでいました。この建物の周囲から幕末の空気を感じ取ることはもはや難しいものとなってしまいましたが、建物周辺は都会のオアシスとして親しまれているようです。
 適塾自体の保存方法はごくありふれたものですが、隣接した史跡公園は前述した通りなかなか素晴らしい造りになっています。都市計画を志すひとは一度訪れてみてはいかがでしょうか。(a.)

大日本製薬・蒸留釜(同左)
大阪市中央区道修町二丁目 明治17年輸入
鉄製蒸留釜 不詳/不詳
/04.8/大日本製薬/静態保存(工業機械)
 製薬会社の建物内に、オブジェのような形で保存されている作品。本社のロビーに飾るには、確かに非常にふさわしい作品と言えます。このようなものをちゃんと飾っている会社はなかなかなく、会社の真摯な姿勢に拍手を送ります。あと、写真撮影を快諾したロビーのお姉さんにも、感謝。
 大阪のこの辺り一帯は製薬会社が立ち並んであり、それは今も同じです。大日本製薬はその本社も以前は趣を持ったすばらしい建築だったようです。現在は残念ながら建て替えられていますが、その一部壁面が記念碑的に保存されています。(現地表示板.)

銭高組高徳寮(小西平兵衛邸)
大阪市中央区伏見町四丁目 明治21年(1888)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.8/銭高組/住居(同左)
 中層建築が立ち並ぶ中で、異空間を呈しています。面取りを行った多角形の角地は、それだけでなかなかのインパクトを持っています。近代大阪商人の住宅という点で、小西儀助商店と同様に大切に保存していくべきものだといえます。
 ただ、ここまで囲まれてしまうと、孤立感を持たざるを得ません。今後どのように保存していくべきか、と言われるとここにあることが果たして本当に建物にとり幸せなのか、私には断言できません。
 今後遺されていく中で、考えていくべき事は多いです。地域の歴史を伝える上では、何らかの対策をしていくべきでしょう。(0.35.) 

大阪市立愛珠幼稚園(同左)
大阪市中央区今橋三丁目 明治34年(1901)
木造瓦葺/平屋建 中村竹松/大阪土木
/04.8/愛珠幼稚園/幼稚園(同左)
 一見してみる限り寺院の類のようにしか感じられない外見で、近代化遺産の枠ではとらえづらい建物です。寺の附属幼稚園なら納得もいきますが、大阪市立の幼稚園であることには驚きました。
 日本で最初に出来た幼稚園といわれ、その歴史的価値、建築学的価値はもはや語るには及ばないでしょう。幼稚園というものが当時の人々にどのように受け入れられたのか、この建築はその一端を物語ってくれる作品です。一度見学してみたい建物です。(a.25.)

旧小西儀助商店(同左)
大阪市中央区道修町 明治36年(1903)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
国指定重要文化財/03.10/コニシ/商店(同左)
 その外装から「烏御殿」との別称もある大きな商家建築です。大通りから見える黒々とした外観は、もともとは隣接する幹線道路である御堂筋拡幅の際に建物を一部取り壊し、補修した際に施されたもので、この建物がもともと持っていた意匠ではないようです。
 登録文化財の過程を経て現在は重要文化財に指定されています。大阪商家の代表作として、都市の中心部にある姿には、大阪の誇りと美学を感じます。(a.19.22.)

北浜レトロビル(桂隆産業)
大阪市中央区北浜一丁目 明治45年(1912)
煉瓦造/2階建(地下1階) 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.8/民間/商業施設(同左)
 どこから語ればよろしいでしょうか、、まず真夜中寸前の写真で、画質に関しては宜しくありません。次に隣にあったはずの西田三郎商店を目指して出かけたものの、既に無く、、。隣の真新しい建物を見るに、恨めしくもあり、哀しくもあり。
 近代的なビルに挟まれ、どことなく寂しそうに見える建物だと思いました。しっかりと活用されており、それ自体はとても有意義なことだとは思うのですが、、周囲のスカインラインと比較すると、スケール感が狂ってしまい、やはり窮屈に感じてしまいます。
 建物の保存形態を考える上で、周囲の景観とのギャップは市街地の中で考えていくべき課題であると思います。大阪市がその良い試金石となることを心より祈ります。(0.25.) 

シェ・ワダ(旧大阪教育生命保険)
大阪市中央区高麗橋二丁目 明治45年(1912)
煉瓦造/2階建 辰野片岡建築事務所/直営
/03.10/民間/事務所(同左)
 過剰な位のドーマーが印象的な作品です。この建物の周辺には愛珠幼稚園や八木通商など近代建築が今も目白押しといった状態で、外観はどれもかなり良好に保存されています。この写真からは浪花教会が見えるのがわかるでしょうか。この建物も上手く再活用されています。
 赤れんがで華のある建物、、、と呼ぶには、少々電線が多すぎます。下町の弊害とでも言いましょうか、建物を眺めて歩く時に少し気がかりな部分です。(a.船場デジタルタウンHP.)

八木通商大阪本社(旧大阪農工銀行)
大阪市中央区今橋三丁目 大正7年(1918)
鉄筋コンクリート造/3階建 辰野片岡建築事務所+国枝博/
不詳
/03.10/八木通商/事務所(同左)
 一度大幅な改築が行われ、この写真から見えている部分は改築後国枝氏設計によるメインファサードと言われている部分です。三階部の増築された部分が実に情けなく、また悲しい気分にさせられますが、建物の重厚さ、華麗な素材の表現法は壁からあふれんばかりです。
 外壁の色合いは、むしろ現代のセンスに適ったもののように感じました。遠くから見えるその姿には、ガラス窓がよく似合います。(25.)

旧日本短資大阪支店(東京貯蓄銀行大阪支店)
大阪市中央区平野町二丁目 大正9年(1920)
煉瓦造石張/2階建 不詳/清水組
2007年3月解体/03.10/不明/(同左)
 コンパクトながら表現に富んだ、親しみの持てる建築ではないかと思います。金融系機関を想像させる威厳性と小型建築が持つ凝縮されたデザイン性が上手くかみ合わされ、上品なショートケーキのような作品に仕上げられています。
 見学当時は全く用いられておらず、今後の動向を気にしていたところ、案の定と言うべきか、やはり取り壊されてしまいました。大阪の中でもこの地区は近代建築が実に豊富なところなので、あだや疎かにはしないとは思っていたのですが、、、残念です。(a.35.船場デジタルタウンHP.)

青山ビル(野田三郎邸)
大阪市中央区伏見町二丁目 大正10年(1921)
鉄筋コンクリート造/3階建 大林組/大林組
国登録有形文化財/04.8/民間/事務施設(住居)
 近代化遺産とはいえ、このようにツタに絡まれていると何が何だか分からないかとは思いますが、立派な商業施設です。階段ホールやバルコニーに際だった意匠を持っている、と物の本には書かれていますが、この写真からは何の事やら分からないですね。
 もともとは個人宅として造られたものですが、現在は貸しテナントとして使われています。うっかり夏場に行ってしまったばかりにこのような写真になってしまいました。外装の意匠を見たい方々は、是非冬の来訪をお薦めいたします。(0.55.) 

新井ビル(報徳銀行大阪支店)
大阪市中央区今橋二丁目 大正11年(1922)
鉄筋コンクリート造/
4階建(地下有)
河合浩蔵/不詳
国登録有形文化財/04.8/民間/事務施設(同左)
 北浜地区の金融街に遺された栄光のかけら。かつては証券取引所を中心にして商都大阪を象徴していた街区だったことを今に伝えています。その歴史的価値も確かですが、金融機関としてお約束の様式建築の縦長な形態と言うところも注目すべき部分でしょう。現在は雑居ビルとして使用されています。
 近年建替が着々と行われている中で、この建物を見ると安心感を覚えてしまいます。出来るだけ長く見ていたい建物のひとつです。(0.35.) 

明治屋大阪店(同左)
大阪市中央区南本町二丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/7階建 曽根中條建築事務所/
竹中工務店
/04.8/明治屋/商業施設(同左)
 門部の面を丸く取ることにより、柔らかな印象を持つことができた建物。縦に長い建物のため見落とされがちですが、軒の部分にもしっかりと装飾が付けられており、細部にまで気の抜かれているところはありません。個人的には1階から2階にかけての腰壁装飾とそれより上とのギャップがかなりお気に入りです。
 明治屋の建築は大阪はじめ全国各所にあり、つい最近まで現役の商店建築として遺っていたのですが、ここ数年で次々と取り毀され、現在では数えるばかりとなりました。この作品もうかうかしていると、もう見られなくなるかもしれません。(0.35.)

大阪倶楽部(同左)
大阪市中央区今橋四丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/
4階建(地下有)
安井武雄建築事務所/大林組
国登録有形文化財/04.8/民間/余暇施設(同左)
 上質のケーキのような、美しいたたずまいを見せる建物。南欧風のデザインといわれるこの建物は、扁平な外見ながら窓周りに多彩な装飾を施し、かといって過剰になることなく全体的に窓を小さくとることで、壁の質感から為す落ち着きを保たせています。採光を重視する従来型の「日本式洋館」からは考えられない手法で、設計者のただならぬセンスとそれを認めた近代大阪財界のすごさを感じます。
 現在も純粋なクラブ建築として使用されています。このようなスタイルが現在も活かされていることに感激します。(0.25.) 

清水猛商店(同左)
大阪市中央区淡路町三丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/3階建 小川安一郎/不詳
/04.8/民間/商業施設(同左)
 大阪には小規模縦長のビルディングが多く、そういった建物には必然的に縦長の窓が似合います。その中でもかなり「和」のテイストを意識し、意識的反抗を試みた作品といえるのがこれでしょう。うだつをデザイン的に採用したり、一階玄関上部に瓦を置くところなどは、設計者の意欲的な魂の強さを感じます。
 設計者の小川安一郎は、現在の京都工芸繊維大学第一期生として住友営繕部で活躍した建築家で、関西圏を中心に多くの作品を遺しています。作風としては、モダンな建物を多く造っているようで、それらの中でこの作品はかなり異色だと言えます。京都あたりにあると名建築としてもてはやされるでしょうか、和洋のバランスがとても良い作品です。(0.35.)

伏見ビル(旧澤野ビル)
大阪市中央区伏見町二丁目 大正13年(1924)頃
鉄筋コンクリート造/3階建 長田岩次郎/不詳
国登録有形文化財/04.8/民間/事務施設(商業施設)
 デザインがハッキリとしている建物ですが、いかんせん扁平に過ぎているようで、前時代からはのっぺりとしすぎると言われ、後年からは模様がノイズに聞こえるようです。窓の形を少しずつ変える事で、角度によって見る人たちに違った印象を与えさせています。
 周りの建物が高層化してきたため、もはや目立つ造りではなくなりましたが、竣工当時はこのモダニズムが斬新なものに見えたことでしょう。少しずつ改装されながらも安定してテナントが入居しているようです。(0.35.)

旧大阪市消防局東消防署今橋出張所(同左)
大阪市中央区今橋四丁目 大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/04.8/大阪市/用途不明(行政施設)
 意匠だけを見ると少しアジアテイストが混じっているような、味のある建築。他のサイトでは結構はっきりとデータを述べられているところがあるのですが、私が不勉強なせいで元データが判りませんでした。正面の伸び上がるような表現性の豊かさは、見上げたときによく分かります。
 同じようなガラス多用型デザインを近年の事務ビルで見ることはありますが、決定的な違いは細かな意匠、左官技術の確かさでしょう。この点に於いて、どれほど建築技術が向上した現代でも職人技に及ぶことはありません。効率重視型建築に至っては言うまでもないでしょう。(大阪街角風景サイト.)

船場ビルディング(同左)
大阪市中央区淡路町 大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/
5階建(地下有)
村上徹一建築事務所/竹中工務店
国登録有形文化財/04.8/桃井産業/事務施設(同左)
 外装より内装にポイントがある建物。正面玄関より中に入りしばらくすると、南欧にでも迷い込んだかのような、華のある中庭空間にでくわします。外側からもセンスの良さを匂わせる、スッキリとした姿をしていますが、やはり内部のこじゃれた吹き抜けには及びません。
 美観的なことも考えて中庭が造られたこともありますが、機能面においても荷馬車やトラックの搬送に便利だと言うことでこのような建物になったのだそうです。機能美の生み出した傑作だと断言します。(0.35.現地パネル.)

辻学園調理技術専門学校中之島校(旧大林組本社屋)
大阪市中央区北浜東 大正15年(1926)
鉄筋コンクリート造/6階建 平松英彦/大林組
/04.8/辻学園/教育施設(事務施設)
 川沿いに建っているため、また高さ制限の関係上周囲に建物が並びすぎているため、スケール感が狂ってしまいますが、6階建てという言葉の通りかなり大規模な建築です。外観が単調にならないよう造られた、中央部の縦筋モザイクは、この建物を印象づける一番の見せ所と言えます。
 現在も大手建設会社として君臨する大林組ですから、その造りの確かさは間違いないものです。調理学校として使用されている現在でも矍鑠とした姿を見せていられるのは、当然のことと言えるでしょう。(0.25.) 

三共商事株式会社(同左?)
大阪市中央区北浜三丁目 大正〜昭和期
鉄筋コンクリート造か/3階建 不詳/不詳
/03.10/民間/事務所(同左)
 小規模な土地から有効にオフィススペースを作り出そうとした結果、飾り気の少ない建物(中央右寄り建物)が誕生しました。この建物の場合、作られた時代がよりインターナショナルな外壁を求めていたのだ、と言えるのかもしれません。いたってシンプルな建物です。
 現代では安全基準の観点から、このような建物を望むことは難しいかもしれません。だからこそ、余計にいとおしく感じます。シンプルであるが故に、万人に親しまれるスタイルを持った建物ではないかと思います。(a.)

高麗橋野村ビル(同左)
大阪市中央区高麗橋二丁目 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/
6階建(地下1階建)
安井武雄建築事務所/大林組
国登録有形文化財/03.10/民間/事務所(同左)
 洋風建築でありながら、どこか和風の匂いも感じさせます。造られた年代から考えても、時代性が成したと造形というよりは、設計者の冒険心が建物に現れた形として今に受け継がれたものと推測します。
 瓦とモルタルが作り上げた和のスタンスは、しかし設計者にとってメジャーにはなり得なかったようで、現在この建物は他に見られない固有のスタンスを持ち、登録文化財に指定されるに至りました。建物を見ると、このスタイルがもし都心高層建築に拡がっていたら、、、なんて想像が働いてしまいます。(a.22.)

芝川ビル(芝蘭社)
大阪市中央区伏見町三丁目 昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/
3階建(地下有)
渋谷五郎・本間乙彦/
竹中工務店
/04.8/民間/事務施設(教育施設)
 日本の建築とも、西洋ともにつかないデザインを持った作品で、どこにその香りがあるかと考えると、1階部分のデザインにありました。単純にライト風と言うことは可能ですが、それを超越した独自の完成が開花しているような、とにかく一度見ると忘れられない建物です。
 大阪のこの地区の中では、ベスト3にはいるくらい、個人的には気に入っています。混淆した意匠を持つたたずまいは、進取の気性を持つ大阪ならではの感覚でしょう。(0.) 

武田道修町ビル(旧武田長兵衛商店本店)
大阪市中央区道修町二丁目 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/
4階建地下1階
片岡建築事務所/不詳
/03.10/武田薬品工業/事務所(同左)
 もともとのビルは手前側の3階建て部分で、奧側は後年の増築によるものです。1階の部分を除けばきわめて寡黙な建物ですが、その一階が窓枠から、玄関周りから雄弁に建物を語ってくれているため、退屈のしない作品となっています。
 近郊にある八木通商に比べると増築に際して一定の配慮が行われたようで、不自然な感じを与えることはありませんが、出来ればもう一歩、と欲張ってしまうのは私だけでしょうか。(1.25.)

愛日小学校
大阪市中央区北浜四丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/3階建 大阪市建築課/清水組
/04.8/大阪市/事務施設(教育施設)
 都心部の愛らしい小学校建築。装飾性が豊かなのは、都心にあるからということもあるでしょうが、大阪がどれだけ栄えていたかを示す指標とも言えたのでしょう。私の写真の取り方が酷かったせいで、表側の様子を見せられなかったのが残念で仕方ありません。今ご覧になっているのは建物の裏側で、昔校庭だった部分です。
 私がぐずぐずして文章を書かなかった+写真撮り直しに行かなかったばかりに、建物紹介が解体までに間に合わず、こんな姿しか紹介できないことになりました。今はただその事だけが残念です。(a.35.)

日本基督教団浪花教会(同左)
大阪市中央区高麗橋二丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/3階建 竹中工務店/竹中工務店
/03.10/民間/教会(同左)
 旧大中証券ビルの隣にあって、一種独特のたたずまいを見せています。やはり電線が気になるところですが、それが建物の質を落とすと言ったことはなく、一本きちんとした線の通った作品という印象を与えます。
 大ぶりな外装の大胆さから想像がつくところではありますが、内装にもかなりの特色がみられるとのこと。都心部に今も息づく教会建築の粋な部分を、是非一度見学したいものだと思います。(a.35.船場デジタルタウンHP.)

生駒ビルヂング(同左)
大阪市中央区平野町二丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/
5階・地下1階建
宗建築事務所/大林組
国登録有形文化財/03.10/生駒時計店/商店(同左)
 角地に位置しており、南側の時計塔が控えめながらも時計店であることを語ります。時計ベルトの様にも見える3階から5階まで続く装飾は、古めかしい意匠でありながら、現代にも通じるキッチュな魅力を感じます。
 私がこの建物を見つけた時はもう夕暮れがせまっていました。写真からは白熱灯の明かりが暖かく見えます。私にはその灯りが、昔の高級店が持っていた「あこがれの光」のように感じました。(22.船場デジタルタウンHP.)

三井住友銀行大阪本店(住友ビルディング)
大阪市中央区北浜四丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/5階建 住友合資会社工作課/大林組
/04.8/三井住友銀行/銀行(同左)
 巨大な建造物です。計画当初は階高をもっと上げる予定だったとの話があり、もしそれが実現していれば、東京(近代東京の建物は、「皇居を見上げない程度の高さ」が要求されていた)にもないような勇壮な建物が期待できたことでしょう。もちろん、これでも十分なボリュームで私たちに迫ります。
 現代建築にも通じるスタイルの中で敢えて今との違いを挙げるならば、素材の「質」だと思います。銀行建築として恥じないだけの贅沢な造りは、残念ながら現在の効率社会では望むべくもありません。(a.25.) 

小川香料(同左)
大阪市中央区平野町二丁目 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/4階建 竹中工務店(本間乙彦)/
竹中工務店
/04.8/小川香料/事務施設(同左)
 1階部分と2階以上にデザインの使い分けが見られます。建物を使用する人間と通り過ぎる人間とでその印象は大きく異なることでしょう。もちろん、質感の確かさが際だった建物のひとつであることは両者で共通する認識だと思います。
 玄関上部にあるステンドグラスを始め、建物の各箇所にアールデコの意匠が残り、ひとつひとつのクオリティは高いものがあります。外観がシンプルな分だけ、第一印象の引っかかりはない建物なのかもしれませんが、詳しく部分的なところを見ていけば、だんだんと建物の魅力にとりつかれていくような、そんな味のある作品です。(0.35.) 

福原ビル(同左)
大阪市中央区北浜東 昭和5年(1930)頃
鉄筋コンクリート造/5階建 久野節建築事務所/不詳
/04.8/民間/事務施設(同左)
 川に面し、船舶をイメージして建てられたと言われる建物。階段室の細長い部分がマストといわれれば、そう見えなくもありません。イメージ云々はともかくとして、周囲にたてられた建物群と比べても、敷地をうまく生かしスマートな外観を形成している部分に好感が持てます。
 撮影した時間が既に夕暮れだったため、建物の白さを強調させることが出来ませんでした。川沿いに映る白い姿は、なるほど、船舶のようだと言えるのでしょう。次回来訪時に確かめてみたいと思います。(0.35.)

綿業会館(同左)
大阪市中央区備後町二丁目 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/5階建 渡辺節/清水組
国指定重要文化財/03.10/日本綿業倶楽部/余暇施設(同左)
 大阪の中で最高レベルの内装を誇る(本でしか見たことはないですが)、優美で豪華な洋館です。平成15年には重要文化財に指定されました。その豪壮さから日本における製糸産業の、かつての重要性が分かるというものです。外見からは派手さが伝わらないのは、周囲の景観に合わせているからでしょう。玄関から見える明かりには、建物のすばらしさがこぼれてくる様でした。
 私が訪れたのは、第四金曜日。この建物の一般公開日は第四土曜日の午後です、、、入らせてください、、、。(a.22.)

大阪ガスビル(同左)
大阪市中央区平野町四丁目 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/
8階建(地下2階)
安井武雄建築事務所/大林組
国登録有形文化財/04.8/大阪ガス/事務施設(同左)
 モダニズムの方向性を示したエポックな建物のひとつ。水平ルーパーの強調によって、単なる四角の建物からはかけ離れた、特殊な形状を呈しています。とても昭和一桁台の建物だとは思えません。
 設計者の安井武雄は生涯その作風に定型を持たせなかったといわれています。何にもとらわれない作品達は、時代を超えて愛される作品群として生き続けています。昨今大阪でも建物建替時期を迎えているようですが、この作品なら今後もきっと大丈夫でしょう。(a.25.) 

天神橋(同左)
大阪市中央区北浜東−北区天神橋一丁目 昭和9年(1934)
2ヒンジ鋼アーチ・鉄筋コンクリート造アーチ橋 川上暢夫/不詳
/04.8/大阪市/道路橋(同左)
 大阪には多くの橋が存在しますが、ひとつひとつの橋に手間暇をかけ、意匠的に優れたものを多く遺しています。効率重視の現在では望むべくもない、といいたいところですが、土木構造物に関してはデザインと質感重視の考え方が息づいているようです。
 この橋梁も水の都大阪を象徴する橋梁のひとつ。地盤が若干脆弱だったため、全て鉄筋コンクリートで造る予定を一部鋼材を用いることで造られています。(0.35.)

大阪証券取引所(同左)
大阪市中央区北浜一丁目 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/6階建 長谷部竹腰建築事務所/大林組
/04.8/民間/事務施設(同左)
 ガラス多用型ショッピングモールにも通じる角地強調のとり方は、さすが日建設計に繋がる事務所だと感服するくらいにこなれています。訪れた当時はちょうど改修工事が為されていたため、内装に関しては次回のお楽しみとなってしまいました。
 近年の改修を経て、電子取引に対応した近代的取引所として再スタートした建造物。ごたごたが続いているようですが、以前の雰囲気を留めない東証よりはよっぽど応援したくなります(それだけの理由かい)。(0.35.)

本町ビル(早稲田屋)
大阪市中央区本町二丁目 昭和10年(1935)頃
鉄筋コンクリート造/5階建 不詳/不詳
/04.8/民間/商業施設(同左)
 比較的立派なビルであることは確かですが、いかんせん大阪にはよい建物が多すぎ、細かいところまではなかなか目がいきません。建物の構成自体は、角地をくぐるように作られているもので、道路改良などの動きがあれば、すぐにでも取り毀されてしまいそうで、かなり心配です。
 見たところ貸しテナントとしての利用率は高いようです。古くからある建物の最新建築と比較しての売りは既に減価償却が為されており、貸賃を安く打ち出せることでしょう。これからもうまくしぶとく生き残ってくれることをひたすらに願っています。(0.) 

三井住友銀行大阪中央支店(三井銀行大阪支店)
大阪市中央区高麗橋一丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/3階建
(地下1階建)
曾禰中條建築事務所/
竹中工務店
/03.10/三井住友銀行/銀行(同左)
 いかにも、というべき銀行建築。どこにあっても誰もが銀行ではないかと見当をつけられるような、基本に忠実な見本的建造物です。イオニア式のオーダーとその上にある蛇の彫刻がやたらに威厳を感じさせます。
 江戸時代以来の商人の町、大阪をある種象徴している建物のひとつではないでしょうか。どの公共建築にも負けない位、胸を張っている建物のように見えます。(a.22.)

イトーキクレビオビル(小原化工株式会社支店)
大阪市中央区平野町二丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/3階建
(地下1階建)
小川安一郎/不詳
2009年2月解体/03.10/民間/事務所(同左)
 一階の重厚な外壁と2〜3階部分のタイルが妙に心地よい印象を与えます。石張り部分が縦に間延びしがちな外観を上手く抑え、また彩度の低めな色合いが見る者の目を落ち付かせます。
 この作品には、表通りに面した建物にありがちな、派手な意匠はありません。またそれほど大規模な建物でもありませんが、半世紀の時を経て周囲の景観にとけ込み、私のような一見の人間にも頬ずりしたくなるような親しみやすさを持ち合わせています。少しずつ情報も揃いつつありますが、願わくば、詳しく由来などを聞きたいところ、と思っていましたが残念ながら解体されてしまいました。(a.35.船場デジタルタウンHP.)

中村健法律事務所(同左)
大阪市中央区北浜二丁目 昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造3階建 村野藤吾/不詳
/04.8/民間/事務施設(同左)
 とてもいさぎの良い建物です。村野藤吾の感性が最も卓越していた時期(と言うと怒られるでしょうが)の佳作のひとつでしょう。昭和も10年代という事で、モダニズム建築がだいぶん浸透していた頃に、それを簡潔に表現しつつも細々とした意匠に建築家の個性を示すという、現在でも行政建築で頻用される手法を、約70年前に使用している(しかもかなりこなれている)事にびっくりします。
 一番の問題点は、建物がいかにも現代に通用するスタイルであるが故に、その価値を普通の人は理解し難いと言うことです。ちょろっとで構いませんから、現地に案内板、つけませんか?(0.35.) 

日本生命ビル(同左)
大阪市中央区今橋三丁目 昭和13年(1938)
鉄骨鉄筋コンクリート造/7階建 長谷部竹腰建築事務所/大林組
/04.8/日本生命/事務施設(同左)
 大都市の豪壮なビルです。もしも旧住友銀行の本店が計画通りに施工されていたならば、全体のプロポーションはこのような格好になったのでしょう。スッキリとした外観は現代にも通じるところですが、外壁材の豪壮さが実に羨ましい建物です。
 様式云々を言えるような規模ではないのですが、どこかしら様式建築を思わせる雰囲気を醸し出しています。古典を感じさせる建物というところで、当時珍しかった生命保険会社の建物としては非常に成功しているのだと思います。(0.35.) 

旧三越大阪店(同左)
大阪市中央区高麗橋一丁目 昭和49年(1974)
鉄筋コンクリート造/5階建 竹中工務店/竹中工務店
2006年解体/04.8/三越/商業施設(同左)
 オフィスビルのような素っ気ないたたずまいながら、箇所箇所に取り付けられたテラコッタに百貨店としての艶を持ち、庶民派百貨店といった印象があります。大阪はどっしりとした百貨店建築が多く、それらの中では異色のいでたち。戦後の建物だといわれれば納得です。
 阪神大震災によって大正期竣工の建物が倒壊。名門百貨店も震災と不況には勝てず、2005年5月に閉店されました。それに伴いあっさりと解体。しかし跡地の詳細な調査が行われた結果、補強材として使用された古レールを発見、調査報告が為されました。産業考古学的には画期的発見です。(0.投稿情報.) 


戻る