近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

大阪府堺市・高石市編

(堺市)

南海電鉄浜寺公園駅(同左)
堺市西区浜寺昭和町 明治42年(1907)
木造/平屋建 辰野片岡設計事務所/不詳
国登録有形文化財/04.8/南海電鉄/交通施設(同左)
 浜寺公園は関西圏の中でも有数の海水浴場として栄え、またそうであるが故に鉄道機関も集中(JR、南海電鉄、阪堺軌道)しました。そんなかつての栄光を色濃く反映した駅舎です。
 見た目の派手さも確かに言えますが、それを支えた設計者が何ともなビックネームです。辰野金吾は東京駅や日本銀行を設計した日本建築界の泰斗。そんな彼は浜寺公園に北欧系の静かな観光地を見立てていたのかもしれません。建物は文化財登録されていますが、文句なしに重要文化財候補であることは間違いありません。(35.)

ダイセル化学工業堺工場(堺セルロイド会社工場)
堺市堺区鉄砲町 明治44年(1911)
煉瓦造/2階建他 アクステル・茂庄五郎/不詳
/04.8/ダイセル/工場施設(同左)
 南海鉄道の七道駅から見える広大な煉瓦工場群。名義の工場建築ということで、外国人設計者の関与もあったそうです。これはセルロイドの製造に関して外国技術を導入する際、向こうで図面も書いて貰ったことに依るのでしょう。この時期の工場建築ではよくあるパターンです。なにせ駅越しにしか見ていないため、詳しいコメントは見学した際に、ということにします。
 鉄砲町とはその名の通り、歴史上有名な境の鉄砲鍛冶がここで活動していたことにちなみます。そういった場所に工場建築があると、何かこだわりがあるのでは、と感慨に浸ってしまいます。(35.)

南海電鉄諏訪ノ森駅(同左)
堺市西区浜寺諏訪森町西 大正8年(1919)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.8/南海電鉄/交通施設(同左)
 踏切のポールが激しく邪魔な写真ですが、この側面の部分も掲載したかったが故のショットです。正面部分は他のサイトからででもご覧になってください。小品ではありますが、腰壁部分の石材の使い方といい、内部から拝むことの出来るステンドガラス(海岸と松並木)といい、実に良い味が出ています。
 南海電鉄の駅舎建築は建築愛好者の間で昔から評判を得ているところですが、今回実際訪れてみてその感を私も持つことが出来ました。小規模な空間にひとつの哲学を見た思いがします。(35.)

大阪府堺南警察署浜寺公園警ら連絡所(同左)
堺市西区浜寺公園町二丁目 昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/平屋建 平林亀五郎/直営
/04.8/大阪府/事務施設(同左)
 浜寺公園は明治6年に作られた、恐らく日本でも最初期の公営公園です。それだけの歴史を持つ公園ですから、どこかしら歴史を感じる施設があって当然。建物のレベルでは、南海電鉄浜寺公園駅からまっすぐ公園に向かうその正面玄関にありました。
 ご覧になっている写真の左側に見える門柱もなかなかのデザインですが、この施設のRCを寺院風にアレンジする様もなかなかに見応えがあります。警察関係の施設とは気づきませんでした、、。古縁の松並木にも心地よさを覚えましたが、こういったところにたまには目を向けてみる、というのもいいかなと思う次第です。(88.)

(高石市)

南海電鉄高師浜駅(同左)
高石市高師浜四丁目 大正8年(1919)頃
木造/平屋建 不詳/不詳
/04.8/南海電鉄/交通施設(同左)
 頭端式の駅舎なのですが、かなり中途半端な支線の扱いを受けており、一時期は高架化による取り毀しの危機にも瀕していたとのこと。現在では駅舎のみしっかり保存されて、変わらぬたたずまいを提供し続けています。一連の南海電鉄の駅舎タイプとしては、若干大振りな作品といえます。
 玄関上部にあるステンドガラスですが、こちらの駅では波と千鳥がデザインされています。かつて高師浜で見られた光景でしょうか。駅舎とともに変遷した歴史に思いを馳せられる作品です。(35.) 


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