近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

山口県下関市(長府・内日地区)編

内日第一貯水池取水塔(同左)
下関市大字内日上 明治39年(1906)
煉瓦造取水塔 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.9/下関市/水道施設(同左)
 主要県道沿い(写真対岸上)にあって、これほど目立ちにくい構造物はありません。言われてみないと気づかない、不思議な貯水塔ですが、近くまで寄ってみるとなるほど、存在感があり明治の水道の威厳を感じさせます。
 下関市は日本の都市で9番目に上水道が整備されたとのこと。この施設はそれを現代に伝えるメルクマールのひとつです。歩道部分と復元屋根は近年改修されてこのような形となりました。以前の写真を見ると、どことなく防空監視哨に見えてしまう施設でした。(18.)

内日第一貯水池事務所(同左)
下関市大字内日上 明治39年(1906)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.9/下関市/水道施設(同左)
 内日(うつい)貯水池が作られた当初から遺る建物。全体は下見板張りの素っ気ない風情ですが、玄関ポーチがちょいとしゃれた雰囲気を留めています。今でも現役の事務所として用いられているため、窓周りなどに改修の痕跡が見られます。
 周囲には水道今時竣工を記念した碑文が遺され、また「採りたて」の水を飲めるところもあります。ここの水、かなりおいしいです。これが一番の収穫だったりして(笑)。(18.)

内日上17号橋(同左)
下関市大字内日上 明治39年(1906)
煉瓦造アーチ橋 不詳/不詳
/05.9/下関市/道路橋(同左)
 実に見事な赤煉瓦のアーチ橋です。しかも、主要道路からは離れた、貯水塔の点検にしか使わないようなところにあるという部分がなんとも言えません。まさに、「自分だけの秘密橋」的存在です。正直、掲載にためらいを覚えました(笑)。
 この構造物の面白いところは、煉瓦2連アーチ橋であると言うところでしょう。九州でこのような橋の形状だと、大正期まで石橋の場合が多く、煉瓦の眼鏡橋はかなり新鮮な印象を受けました。水門に隣接した施設のため、普段はこのアングルで見ることが出来ません。(18.)

下関市立長府図書館下関文書館(旧長府町立図書館書庫)
下関市長府宮の内町 大正2年(1913)
鉱滓煉瓦造/2階建 長府町/不詳
/04.7/下関市/行政施設(同左)
 土塀が続く長府の街並みの中で、ある種異様な存在を示す建物。現在もある図書館の書庫として建てられた建物で、鉱滓煉瓦を用いているところがポイントです。ちまたに遺る鉱滓煉瓦建築の中でも、良質なものを使用しているようで、これは長府の景観に併せる形で採用したものではないかと考えられます。ちゃんと上下窓が残っているところにも注目です。
 当然観光マップに載るような施設ではないため、探すときには気をつけてください。長府博物館からは比較的近くに位置しています。(18.)

内日第二貯水池取水塔(同左)
下関市大字内日上 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造取水塔 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.9/下関市/水道施設(同左)
 下関の水道需要増大によって拡張された第2貯水池の取水塔。ほぼ当時のまま遺されていると言うことで、土木学会の遺産リストではAランクの判定を受けています。確かに1号貯水池の取水塔よりもデザイン性に富み、厳然と湖畔に浮かぶ姿は、孤独な軍人を思わせます。
 この貯水池には溢流堰や余水吐も遺されています、、、私はすっかり見逃してしまいました。こちらも登録文化財となっています。見学をお薦めします。(18.)

下関市立長府博物館本館(旧長門尊攘堂)
下関市長府川端一丁目 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/平屋建 潮見長彦/不詳
国登録有形文化財/04.7/下関市/展示施設(同左)
 功山寺に隣接し、周囲は重要伝統的建造物保存地区に指定されている林の中、階段を上ると突如見えてくるのがこの建物です。全体のスタイルは周囲の環境に合わせる形で和のテイストを備えているのは、奈良での景観論争などの経緯を含めて、地域に対する配慮があったものと思われます。
 内部空間は天井高が非常に高く、顕彰施設としてはうってつけであっただろうと推定できます。現在は市立博物館として、中世近代の文化財を展示しています。将来は新博物館に移転する計画があるようです。今後の建物の行方が気に掛かります。(18.)


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