近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>海響館 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

山口県下関市編

旧火の山砲台兵舎壕(同左)
下関市藤ヶ谷 明治中期か
石張煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/03.12/下関市/静態保存(軍事施設)
 自然石をうまく利用した、今現在の視点から見ても美しく仕上がった遺構です。軍事施設としては、結局のところ「抜かずの宝刀」として終わってしまった感のある関門要塞ですが、当時この地域を要所として重要視していた事が今でもわかる、非常に丁寧な造りをしています。
 自然石を利用していますが、内部は煉瓦造を採用しています。断熱材としての煉瓦の特性を利用したのでしょうか、それとも技術移行へのひとつの流れだったのでしょうか。
 軍事施設に対する機密性が守られたため、現在もわかっている事が少なく、今後の調査が待たれる所です。(18.)

下関南部町郵便局(旧赤間関郵便電信局)
下関市南部町 明治33年(1900)
煉瓦造/2階建 三橋四郎/岩崎組
国登録有形文化財/01.8/日本郵政公社/郵便局(同左)
 簡素な造りながら、所々の細工に古さを感じさせる明治建築です。現存する現役郵便局の中では一番古いものとの事。19世紀20世紀と2つの世紀をまた越して、今この世紀をどのように感じているのでしょうか。
 郵便局には珍しい、中庭に特徴があると思います。煉瓦造ですが、モルタルで覆われており、外壁は復元時にかなり手を加えている模様。周辺は交通量も多く正面から写真を撮るのに少々骨が折れます。(5.8.18.)

めぐみ幼稚園第二園舎(旧バブテスト伝導社団神父レイ邸)
下関市上田中町二丁目 明治38年(1905)
木造/2階建 E.ワーン/不詳
国登録有形文化財/04.3/学校法人/幼稚園(住居)
 ピンクの幼稚園からさらに丘を登るとこの建物が見えます。こちらは個人宅であったことが何となく想像できます。コロニアル風のベランダを支えるアーチが見るものに軽快な印象を与え、また港町特有の少し熱い風を感じさせます。
 窓サッシも当時のままのようで、向かって左側の八角形窓を見るとどうしても内部が気にかかるところです。外国人居留地の建築様式を関門北九州地区で見ることのできるかなり貴重な例と言えるかもしれません。(8.18.)

旧下関英国領事館(同左)
下関市唐戸町 明治39年(1906)
煉瓦造/2階建 W.コウワン/不詳
国指定重要文化財・市指定建造物/01.8/下関市/展示施設(領事館)
 下関の中ではもっとも赤煉瓦チックな建物だと思います。町の中心部に位置しており、一時は取り壊しやむなしと言う動きもあったようですが、かろうじて保存が決定、現在は重要文化財として唐戸の中心部に花を添えており、半解体修理による工事が行われ、休館が長く続いた後再オープン致しました。
 バスや車が行き交う建物の周辺のなかで古い建物が二、三残っている様は、奇跡とも言いたくなるようなそんな感じがします。 (5.8.)

下関市水道局高尾浄水場4号円形濾過池付設調節井(同左)
下関市春日町8−1 明治39年(1906)
煉瓦造調整井 瀧川釛二/不詳
国登録有形文化財/04.9/下関市/水道施設(同左)
 行政施設の壁に阻まれた奥にそびえる華麗な施設。棒瓦を用い、二重の屋根に微妙な角度を付けることで、赤煉瓦の持つ素材の美しさが倍増されているという印象を与えています。
 貯水池のそばに建ち、水辺に移る煉瓦建築の美しさはいかばかりでしょう。なかなか見ることができないという水道施設が持つ魅力は、その貴重さばかりではなく、デザイン性にあることを決して見逃してはなりません。この作品はもちろん、将来の重要文化財候補群であるといえるでしょう。(18.)

吉田メディカルクリニック(旧宮崎商館→ロダン美容室)
下関市田中町4−10 明治40年(1907)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/01.11/民間所有/医療機関(事務所)
 下関市役所から関門トンネル方面に向かい、少し裏通りに入ったところにある赤煉瓦建築です。かつてはこの隣には下関商工会議所の建物、さらに今も遺る旧下関郵便局電話課分室と古い建物の街並みを見ることが出来た様ですが、真中の建物が取り壊され、歯抜けの印象を与えます。
 二階部の五連アーチもかなり魅力的ですが、右側の奧事務所へと続く防火壁との間に残る空間がとても情緒がある様に感じました。(5.8.18.)

旧運輸省第四港湾建設局下関機械整備事務所乾船渠(同左)
下関市阿弥陀寺町 大正3年(1914)
無筋コンクリート造(一部石造) 不詳/不詳
/下関市/用途不明(乾船渠)
 このドックほ街中に面し、簡単に見ることは出来ますが、その由来を辿ることは難しいでしょう。。かつて周辺一帯は官公庁関連の施設があったようですが、現在はほぼ更地となっています。ドッグ左側は新設された唐戸市場の駐車場となっており、この遺構も将来訪れるであろう活用の機会をうかがっているのではないでしょうか。
 このアングルでは見えづらいですが、五段に分けられた側壁の下四段はコンクリートで造られています。関門北九州地区でのコンクリート使用は全国レベルと比べてもかなり早い時期であるようです。(5.8.18.)

下関市観光情報センター(旧秋田商会)
下関市南部町 大正4年(1915)
鉄筋コンクリート造/3階建
(一部地下1階)
新富直吉/関門商事
/01.8/下関市/観光センター(住居兼事務所)
 素晴らしい建物だとは思いますが、奇妙な建物とも言えます。大正年代に屋上緑化の発想(上層部の自宅に日本庭園を持ちたいという欲求が優先されたからでしょうが)があり、西日本で早期の鉄筋コンクリート建築であったことは、ある種のすごさを感じさせますし、一瞬耳を疑う程不可思議な印象を与えさせます。
 とりあえず、色々とコメントを述べるよりも一階建物の中に入ってみることをお薦め致します。下関唐戸地区の建物の中では間違いなく、一番輝いたアイデアを活かした建築物であると思います。(5.8.18.)

やまぎん史料館(旧三井銀行下関支店)
下関市観音崎町 大正9年(1920)
鉄筋コンクリート造/2階建
(一部地下1階建)
長野宇平治/竹中工務店
/04.3/山口銀行/事務所?(銀行)
 窓から与える建物のインパクトは上に沿っていくと雄牛のレリーフに突き当たります。ひたすらに重厚な作品です。当時銀行が必要としていた(今も当然必要ですが)信頼性を建物で表現しているという点では実に成功を収めていると言えるでしょう。大通りからはひとつ道を隔てていますが、存在感はいくらも損なわれていません。
 ひとつ惜しむべき所はやはり電線。これからの観光化を考えると、一刻も早く地中化を推し進めるべきだと断言します。(8.18.)

下関市立近代先人顕彰館・田中絹代ぶんか館
(旧下関郵便局電話課分室→下関市役所第1別館)
下関市田中町 大正12年(1923)
鉄筋コンクリート・煉瓦造/3階建 逓信省営繕課/不詳
市指定有形文化財/01.11/下関市/事務所(同左)
 柱状の装飾が縦に向かう建物の力強さを強調させます。長い間取り壊しに関する議論が続いていましたが、この度市の有形文化財となり保存が決定しました。今後どのような活用方法を行うべきかという議論が進むものと思われます。
 設計は逓信省営繕課が行ったとあります。一説には山田守の設計という話もあり、そうであれば、関門を隔てた両端に氏の建築が並んでいると言うことになります。時代の生み出した建築ロマンを感じさせます。(5.8.18.)

JR西日本下関旧山陽ホテル(旧山陽ホテル)
下関市細江町三丁目 大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/3階建 辰野葛西事務所(伝)/不詳
2011年1月解体/03.10/JR西日本/事務所(ホテル)
 現在の下関駅からはかなり距離のある下関警察署前。この建物のみがかつての駅前の喧噪を伝える唯一の建物となりました。細かい装飾は重厚な外見に負けることなく、鉄道ホテルの格調の高さを現在に伝えています。車寄せ部分が鉄製なのは、鉄道会社ならではと言うべきでしょうか。保存が議論されたこともありましたが、一度火災を受けた影響もあり、惜しくも解体されました。
 建物右側にあった旧下関駅は移転、元の建物は戦災で焼失し、工場群と駐車場が立ち並んでいます。建物左裏側にあった貨物ヤード一帯は再開発が行われ、コンベンションセンターに生まれ変わりました。(8.18.)

蜂谷ビル(東洋捕鯨下関支店)
下関市岬の町 大正15年(1926)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.3/島津海運/事務所(同左)
 市街の中心からは少し離れた小高い丘の上にある建物です。外壁に施された紅白のコントラストがとても美しく、竣工当時は遠くからでも目立った建物だったのではないかと思います。
 暫くの間じっと見とれていると、白と赤のコントラストが段々クジラの骨と赤肉のようにも見えてきます。横軸のラインは背骨でしょうか。造形がしっかりとしているだけに、そのような遊び心も感じ取ることが出来る、よい建物ではないかと思います。(8.18.)

下関市水道局日和山浄水場配水池(同左)
下関市長崎中央町1−1 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/平屋建 西田精/不詳
国登録有形文化財/08.2/下関市/水道施設(同左)
下関市民の遠足の場として有名な日和山公園に隣接する浄水場。市域の増大と共に明治に管制した浄水設備だけでは増える需要に追いつかなくなった下関市が、九州帝国大学教授の西田精の指導を仰ぎ完成された浄水設備で、鉄筋コンクリート造りのシンプルな意匠が特徴です。
 高尾配水池の煉瓦造に比べれば地味な印象を持ちますが、日和山公園の知名度と共に長く市民に愛される施設ではないかと思う次第です。(18.)

めぐみ幼稚園第一園舎(旧下関バブテスト教会)
下関市上田中町二丁目13−26 昭和5年(1930)
木造/2階建 ヴォーリズ建築事務所/不詳
国登録有形文化財/04.3/学校法人/幼稚園(教会)
 看板に導かれ丘を登ると、暫くして個人宅のような門柱が見えてきます。その傍らにあるのがこの建物。ピンクのけばけばしい外観は、幼稚園だと言われれば妙に納得してしまうインパクトを見るものに与えます。一歩間違えると変な建物にも採りあげられそうな色彩配置ですが、建物の元の造りがよいと、それほど浮いて見えないところが実に考えさせられます。
 塔屋部の意匠は創建当時からのものと思われます。やはり幼稚園と言うよりは教会の方がしっくり来るのは、仕方ないことなのでしょうね。(8.18.)

関門ビル(旧関門汽船株式会社)
下関市唐戸町2−2 昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/5階建 不詳/不詳
/01.8/民間所有/事務所(同左)
 この建物のある通りには、三叉路の各端部に旧領事館、旧秋田商会、南部町郵便局など下関の花形建築が立ち並んでいます。その中で、どちらかというとすす汚れた印象を持っていた建物がこのビルでした。
 周辺域は再開発の最中であり、この建物もいつ取り壊されるのかと冷や冷やしていましたが、近年外面塗装の塗り直しが行われたようです。お色直しの後現れた姿は、紛れもなく初期モダン建築の特徴をよく表した建物と言えます。この建物も関門地区レトロ建築群に色を添えることでしょう。(8.18.)

旧下関魚菜中央市場
下関市中之町 昭和8年(1933)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/籠寅組
2002年5月解体/01.8/(下関市)/市場・事務所
 この写真を撮ったのは、ちょうど2001年の夏頃。もう既に市場としての機能は移転したあとで解体を待つばかりといった状況でした。写真右手には亀山八幡宮があり、この建物の屋上部は神社への参道として利用されていた時期もあったそうです。屋上部の燈籠のような飾りはこれに基づいたもののようです。
 周辺域は再開発事業が進んでいますが、まだそこかしこに往時の面影を留めた構造物が残っています。(5.8.)

中国労働金庫下関支店(旧不動貯蓄銀行下関支店)
下関市南部町21−23 昭和9年(1934)
鉄筋コンクリート造/3階建 関根要太郎/不詳
/03.12/中国労働金庫/金融機関(同左)
 この時期では珍しく地下に免震構造を施した貴重な建物です。昭和期に試験的に各地域で導入された免震構造建築物の中でも最古級のものと言えるでしょう。地下室に装置があるそうですが、現在地下室は封鎖されています。
 それを除けば飾り気の少ない建造物と言えます。オーダーも一番おとなしいトスカナ式で、脱様式の時代背景に沿ったもののひとつでしょう。表通りから一本隔てされており、周りはとても静かです。(8.18.)

TACビル(不詳)
下関市南部町24−10 昭和10年(1935)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/08.2/民間/商業施設(同左)
 あるかポート開発に伴い次々と壊されていく国道から海側の近代建築群の中でかろうじて遺されている建物のひとつ。入居テナントはさまざまですが、ここでは一番目立つ早川設計の名前を紹介しておこうと思います。
 角部に玄関を設け、こざっぱりとした外観となっている、いかにも昭和初期と言うべきモデニズム建築です。出来売ればこれからも長く使い続けていただきたいと思わずにいられません。(18.)

マルハ下関支社(旧林兼商店本社)
下関市竹崎町三丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/3階建
(一部5階建)
石川建築事務所/不詳
2009年10月解体/01.8/マルハ/事務所(同左)
 下関駅の裏側に属し、普段多くの方が見逃してしまう建物ではないでしょうか。残念ながら見た目からは多くのことを伝えてくれません。
 もし下関駅から九州へ、もしくは九州から下関駅へ行く時には下関突端にあるマルハの大きな建物群を見ることが出来るでしょう。遠洋漁業都市下関の雄である会社の歴史を伝える重要なモニュメントと言うべき建物です。位置から考えても、これからも長く遺される建物、と思っていたのですが、ある日いきなり撤去されてしまいました。残念と言うほかありません。(18.)

大洋船具株式会社(同左)
下関市細江町二丁目1−7 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/3階建 不詳/不詳
/07.11/民間/商業施設(同左)
 左右非対称なたたずまいも気になりますし、階段室部分に設けられた丸窓がえくぼのようなアクセントを付けて、全体の印象を決定づけています。国道沿線にあって、目立つ建物の類になるものですが、不思議なほどに付帯情報は定かではありません。
 ましろな外観が印象的ですが、同じようなシンプルなデザインで階高や年代もほぼ一緒なマルハの建物との関連性が非常に気にかかるところです。あるいは、同一設計者の可能性もありそうですね。(18.)

日本基督教団下関丸山教会(旧日本メソヂスト下関教会)
下関市丸山町四丁目 昭和13年(1938)
木造/平屋建(一部2階建) 潮見長彦/不詳
国登録有形文化財/04.9/民間/教会(同左)
 一見鉄筋コンクリートで造られた建物にも見えますが、表面の塗装具合によるもので、実際は木造建築だそうです。地域内で多くの教会建築を作っている潮見長彦の手による作品のひとつで、近年国の登録文化財となりました。
 内部の意匠を覗いていないので、実際の価値を判別するには少々はばかりがありますが、外観デザインの多くは塔屋部に集中しています。地域のシンボルとしては十分といえる作品ではないかと思います。(18.)

西日本シティ銀行下関支店(不明)
下関市細江町一丁目1−3 昭和戦後期か
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
2012年6月解体/07.11/西日本シティ銀行/金融機関
 なかなかの風格を持っていた建物で、いつか内部を見るついでに由来を確認したいと思いながら、ずるずると時間は流れ、いつの間にやら取り壊されていたという、非常に残念な建物となりました。
 様式建築であればジャイアントオーダーを採用しそうな1階から2階部分に繋がる柱もシンプルに仕上げられているところを見ると、戦後復興期の作品ではないかと考える次第です。もっとも、閉鎖登記簿を確認でもしないと、なかなか年代を読むことは難しいかもしれません。 (18.)

新富湯(同左)
下関市新地町5−12 昭和戦後期
木造/平屋建(一部2階建) 不詳/不詳
/08.2/民間/住居(商業施設)
 市街地に近接した銭湯建築。周囲はひっそりと静まりかえっており、位置的には比較的目立つ丘の上にある建物ながら、目的を持って訪れでもしない限り見つけづらいかもしれません。二階部分が住居となっているようです。
 私が訪れた段階で既に銭湯としての営業は終了し、7月末で営業をやめる旨の張り紙がずっと張られています。建物としての役割を終えて取り壊されるそのときまで、この張り紙、そのままかもしれませんね。


戻る