近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>永福水管橋 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明(文末に参考文献ナンバー)

台湾台北市中正区(自來水園区)編

自來水博物館(台北水源地喞筒室)
台北市中正区思源路 明治41年(1908)
鉄筋コンクリート造/平屋建
(地下一階)
野村一郎/不詳
国定三級古蹟/09.7/国/静態保存(水道設備)
 雄大なネオルネサンス様式の水道施設。大胆な築庭と合わせ、ヨーロッパにいるような気分になるのは私だけではないかと思います。
 現地の案内板では鉄筋コンクリート造とのこと。確かに作り方や内部構成を鑑みて初期鉄筋コンクリート造の施設かな、と納得も出来るのですが、日本でもこのような鉄筋コンクリート造の施設をなかなか作れなかったこの時期、台湾で大規模な施設を作っていたことには驚くほかありません。(77.)

観音山蓄水池(同左)
台北市中正区思源路 明治41年(1908)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/国/水道施設(同左)
 蓄水池という名称を過分にして初めて聞いたもので、いろいろ調べてみたところ、現在で言う配水池と同じ用途と考えて妥当なようです。形から配水池ではないかとは思うのですが、外国という思いこみがあるもので、どうなのだろうかとどうしても逡巡してしまいます。
 水道公園の中にあり、高台に位置しているので見晴らしがよいと思って登ってみたものの、木々が生い茂りそれほどではなかったのが残念でした。かつては市街地が一望できたのかもしれません。(現地案内板.)

観音山蓄水池水位量測室(同左)
台北市中正区思源路 明治41年(1908)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/国/水道施設(同左)
 日本では量水室という名称で呼ばれている施設でしょう。明治末期に造られた建物なので、名称がはっきりしていなかったものをそのまま使用しているか、もしくは中国語での名称をそのまま使用しているのかもしれません。 水道土木(しかも中国語)は専門の範疇から外れているので、あまりここら辺は詳しくないのが口惜しい限りです。
 現地の注意書きから察するに、どうも現在も使用されている節が見られます。だとすれば日本時代からの水道の歴史を身を以て伝える現役の施設として、重要な遺産と言えるでしょう。(現地案内板.)

観音山蓄水池排気室(同左)
台北市中正区思源路 明治41年(1908)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/国/水道施設(同左)
 






 (現地案内板.)

観音山蓄水池消毒室(同左)
台北市中正区思源路 明治41年(1908)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/国/水道施設(同左)
 上水道をポンプ室(現在の博物館施設)から配水池から供給する際に、塩素などを注入して水質を安定化するための施設です。



 (現地案内板.)

高圧電源配電用配電盤(同左)
台北市中正区思源路 明治末期か
鉄骨・石造電気設備 不詳/日本製
/09.7/国/静態保存(水道設備)







 (現地案内板.)

清水第一抽水機(同左)
台北市中正区思源路 昭和15年(1940)
鉄製水道設備 不詳/日立製作所
/09.7/国/静態保存(水道設備)







 。(現地案内板.)

観音山軍事施設(同左)
台北市中正区思源路 昭和戦前期
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
/09.7/国/静態保存(軍事施設)
 作り方から察するに、当初は高射砲陣地として作られた施設ではないかと推定できます。迷彩色で彩られているのは、現在も使用中の施設なのか、保存処置後雰囲気を出す為のものか、私には判断がつきません。
 現在でも高台の位置にあり、現役の水道施設を近隣に抱えているため、個人的には軍事施設があっても不思議ではないかな、とは思います。ただ、どうにも人気がないため使用されている感じはないと言えますが。


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