近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>重要文化財田中邸 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

徳島県徳島市編

JR四国富田川橋梁(同左)
徳島市富田浜四丁目−幸町三丁目 大正2年(1913)頃
鋼製プレートガーター橋 不詳/不詳
/05.10/JR四国/鉄道橋(同左)
 三河病院の向かい側にある橋梁は、なにやら由緒ありそうな煉瓦橋脚を持っています。元々の由緒をたどれば、国有化直後の省線仕様のようで、なるほど簡略化された橋脚は全国至る所で見たことがあるような。橋脚の両端は緩くカーブがつけられており、水切りの機能を果たしています。
 ここ徳島は関西に近いせいか、人口規模に比べ比較的早い時期に鉄道が敷設されています。私鉄徳島鉄道の開業は19世紀。三河病院と共に先進的な地域を象徴しています。(57.) 

徳島市水道局佐古配水場ポンプ場(同左)
徳島市南佐古六番町 大正15年(1926)
鉄筋コンクリート造/平屋建 中津喜平/不詳
国登録有形文化財/05.10/徳島市/水道施設(同左)
 勇壮たる煉瓦建築。柵と道路を挟んで建っている民家などと比べると、インパクトは正に天と地の開きがあります。見たところ天井高がかなりある施設のようですが、これは中に設備があるためのものでしょう。必要に駆られて発生する「機能美」を象徴する外観です。
 これだけ階高がとられ、窓が大きな建物だと内装が気になります。教会建築のようなたたずまいか、或いは殺風景なものか。謎がある建物は、その外観以上に魅力的にうつります。腰折れ状にとられた玄関上部意匠には、徳島市の市章が描かれています。(12.57.)

徳島市水道局佐古配水場源水井(同左)
徳島市南佐古六番町 大正15年(1926)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.10/徳島市/水道施設(同左)
 そうと言われても今ひとつぴんと来ない施設。やはり景観配慮のため、コンクリート構造の上に煉瓦を貼り付けています。こういったところが現代の土木施設には(根本のデザインを奇抜にすることは出来ても)あまり見られません。
 敷地でいうとポンプ場の中でも奥の位置にあり、はっきり言ってしまうとここまでする必要性はあまりありません。ただ当時の流行というか、土木構造物にふんだんに資本投下する時期であったようでこのような贅沢がまかり通っていたようです。今となっては地元の愛すべき財産となっています。(12.57.) 

徳島市水道局佐古配水場集合井(同左)
徳島市南佐古六番町 大正15年(1926)
鉄筋コンクリート造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.10/徳島市/水道施設(同左)
 円形が持つ形状的特質か、否が応でも注目の集まる建物。外からでも見ることは出来ますが、こんな施設が折角あるのならやっぱり中から見たいのが旅人の心情。しかしながら全体像をしっかと撮るためには、正面はポンプ場が邪魔して少し難しい。結果このような写真となりました。個人的には撮り直し必須です。
 ポンプ場との取り合わせは絶妙で、単なる都市建築にはない魅力を醸し出しています。これもまた、機能美がなせる技でしょう。水道建造物が近年見直されている大きな理由の一つです。(12.57.)

旧室住医院(同左)
徳島市庄町四丁目 昭和2年(1927)
木造/3階建 大工/大工
/11.5/民間/住居(医療機関)
 周囲の住宅群の中でも少し飛び出るような形で地域のランドマークとなっているマンサード屋根の建物。エントランス部分からのアプローチはなるほどかつて医院として使用されていたことを如実に著しており、ゆとりを持って造られています。
 この建物を施工した大工は神戸の異人館の建物群を参考にしたそうで、ハーフティンバーの仕上げもなかなか上品に仕立てられています。昭和53年まで医院として営業されていたようですが、現在は住居となっています。(57.)

三河家住宅洋館(同左)
徳島市富田浜四丁目 昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/3階建 木内豊次郎/不詳
国指定重要文化財/05.10/民間/住居(医療機関)
 設計者・施主ともにドイツでの留学経験を持ち、そのときに得られた経験をもとに造られた建物だとのこと。庭園の疑似岩山や凹凸の多い壁面など、細部の装飾に至るまでドイツ風と言われる要素が多く、そこがこの建物のドイツと言われる所以にあるようです。
 塔屋や曲線を描く3階部分の窓配置など、見るべき部分が非常に多い作品ですが、私が一番好きなのは、正面切妻上部にでんと居座るガーゴイル。拡大してみてみると、なんと舌を出して頬杖をついています。何ともユーモラス、しかも地上からは目視しづらいところにこんな遊びがあるとは。作者の遊び心に感謝です。(a.24.55.57.)

吉野川橋(古川橋)
徳島市上助任町−応神町古川 昭和3年(1928)
鋼製ワーレントラス橋 増田淳/大阪鉄工所(製作)
/05.10/徳島県/道路橋(同左)
 17連に及ぶやたら長い重連トラス橋。こういった橋ほど、写真に撮りづらいものはありません(困)。道路橋としては異例の長さで、重連トラス橋としても近代日本最長の橋梁です。
 近代化遺産を現在も使用されていることには感謝したいと思いますが、いかんせん、橋口の用地が狭いという重大な難点があり、真横からのアプローチでは右左折が極端に規制されています。旅行者の立場としては非常に困る話で。県庁さん、どうにかなりませんか、これ。(12.) 

みずほ銀行徳島支店(日本勧業銀行徳島支店)
徳島市東船場一丁目 昭和4年(1929)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/05.10/みずほ銀行/金融機関(同左)
 前面に施されたアーチと柱で全て、というようなボリュームたっぷりの作品。1階アーチ下が全面ガラス張りであったなら、百貨店建築でも不思議ではないくらい、あか抜けています。徳島市に遺されている建物はどれもどっしりとした印象を持ちますが、この一品には、それと同時に大胆な軽やかさを感じさせます。
 これほどの建物にもかかわらず、知名度がそれ程でない原因は何なのでしょう? 設計施工者が分からないからでしょうか?(大手銀行ですから、調べようと思えば分かるはずですがねぇ)せめて建築学会のデータベースにくらいは載せて貰いたいです。(24.57.)

徳島県立文書館(徳島県庁)
徳島市八万町向寺山 昭和5年(1930)
鉄筋コンクリート造/3階建 佐野利器/大林組
/05.10/徳島県/行政施設(同左)
 文化の森にふさわしい、上品な建築。移築されたときに多少規模は縮小されているのでしょうが、まるで初めからそこにあったかの如く、周囲を取り巻く緑に上手く融け合っています。
 県庁建築をいろいろと見てきましたが、一番おとなしい造りだという印象を受けました。他の県庁建築は圧倒的なインパクトと威厳を嫌と言うほど見せますが、この建物の落ち着きは愛媛県庁を抜き、一番ではないかと思います。茶褐色の色彩もかなりの好感度。県民性が表れているのでしょうか、実に佳いたたずまいです。これで文化財指定されていないのは、不思議でなりません。(a.24.)

旧高原ビル(同左)
徳島市東船場町一丁目13番 昭和7年(1932)
鉄筋コンクリート造/2階建
(一部3階建)
鈴木禎次/大林組
国登録有形文化財/11.5/民間/商業施設(同左)
 昭和初期全国的に流行したスクラッチタイルを多用したデザインセンスあふれる建物。背面の敷地を利用して近年リノベーションが行われ、現代的なオフィスと同居した使い心地の良さそうな建物に生まれ変わっています。
 設計者は名古屋を中心に建築活動を行った名建築家のひとりで、ここあたりに徳島と本州との繋がりの強さを感じることが出来ます。(57.) 

百十四銀行徳島支店(同左)
徳島市東新町一丁目 昭和29年(1954)
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
/05.10/百十四銀行/金融機関(同左)
 徳島市は空襲を受けた影響で、多くの建物が被害を受けてしまい、また市役所はじめ取り壊しも進んでいることから、近代を感じさせる施設は限られています。その中でもこの建物は銀行建築の雰囲気を簡潔な外観に留めています。
 商店街に向かってこの建物、裏側にはみずほ銀行の大アーチ建築が控えています。周辺が往時金融街であったことを今に伝えています。戦後の建物らしく、軒部分を除けば素っ気ない建物と言わざるを得ませんが、末永く大切にして欲しいと思います。(57.)

加賀須野橋(同左)
徳島市川内町−板野郡松茂町 昭和31年(1956)
鉄筋コンクリート桁橋+鋼製開閉橋 不詳/東亜建設
/11.5/徳島県/交通施設(同左)
 戦後の可動橋。稼働している開閉橋の中では全国で4番目に古いものだそうで、船舶が通る際橋桁は80度まで跳ね上がります。写真でもおわかりの通り、かなり橋幅が狭いため、現在新たな可動橋が隣接して建設中で、この橋が役目を終えるときもそう遠くありません。
 開橋時間を見越して訪れたのに、いつまで経っても橋は開かず、、、どうやら橋を通る船舶がない限り、簡単に開くことはないようです。ううむ、残念。 (57.) 


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