近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

愛媛県宇和島市編

旧樺崎砲台跡(同左)
宇和島市住吉町 安政2年(1855年)
石造砲台基壇 村田蔵六/宇和島藩
市指定史跡/03.12/宇和島市/静態保存(砲台)
 写真から見てわかる通り、宇和島歴史民族資料館に隣接(そもそも資料館の建物の方がこちらに移ってきた)した場所に遺る江戸末期の砲台です。
 周辺部が港湾として整備されていったため、砲台周辺の当時の雰囲気を伺い知ることは難しいですが、幸い気団自体は堀を含めてしっかりとした状態を保っており、また当時使用されていた大砲のレプリカも近接して展示され、幕末期の社会の緊迫度を想像できることでしょう。(17.)

宇和島歴史資料館(旧宇和島警察署)
宇和島市住吉町 明治17年(1884年)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.12/宇和島市/展示施設(事務施設)
 長い旅を続けた建物です。もともと宇和島にあった警察署でしたが、使用されなくなると昭和30年代に南にある西海町に移設。平成2年まで西海町役場として使用されていました。現在は場所こそ違えど故郷宇和島に戻り、歴史民俗資料館として使用されています。
 明治初期から中期にかけての擬洋風建築(特に公共系の建物)の特徴が色濃く表れた建物だと言えます。漆喰壁と端部の石積みが明治の洋館としての気品を整え、西洋と東洋との出会いの妙を感じさせます。(17.26.55.)

木屋旅館(同左)
宇和島市中央町一丁目 明治44年(1911年)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/03.12/民間/旅館(同左)
 物の本には司馬遼太郎も泊まったことがあるという由緒ある旅館だったようですが、現在は営業していないようです。しかし、その軒先には今でも古き良き旅館のたたずまいを漂わせています。
 現在の用途が未定であることは、少なくとも取り壊しの危険性もあり得ることを表しており、それが不安であることは間違いないのですが、周辺部には名前こそ分からないものの古くからの建物が多く遺っており、この地域の人々が古くからある建物を大事にしているのではないかと思わせる雰囲気を感じさせます。そういった意味で私はあまり不安を感じませんでした。(17.24.)

乳幼児デイケア施設トロイメライ(旧桑折医院)
宇和島市中央町一丁目 大正期
木造/平屋建 不詳/不詳
/03.12/民間/(同左)
 乳幼児のためのデイケア施設として用いられている建物で、元は病院でした。宇和島城大手門に近接した大通りにあって、地元の方々に密接した用途として現在も元気に用いられています。
 近年用途変更によって外装が塗りかえられたそうで、エメラルドグリーンの色合いを含めて、洋風建築特有の華やかさを十分に表現できているように見うけられます。乳幼児デイケアを地方都市で行うという心意気にも感銘しますし、それに古い建物を用いようという姿勢には誠に頭が下がります。(トロイメライHP.)

日本メソジスト宇和島教会(同左)
宇和島市京町 昭和6年(1931年)
木造/2階建 不詳/請負人・平田助一
/03.12/民間/教会(同左)
 中心街からは少し離れたところに静かに建っている建物。中は幼稚園と教会が併設されており、誰でも入りやすい、暖かさを感じさせました。外装はモルタルで塗られてしまっているため、のっぺりとした印象を持ちます。外壁の横に伸びるラインがかろうじて単調さを回避させています。
 近くには旧樋口病院という明治期の雰囲気を遺したすばらしい建物がありましたが、私が写真を撮りに行ったときにはちょうど解体が終了したところでした。残念でなりません。(17.)


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