近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

北九州市若松区(本町地区)編


インテリアショップおあしす(旧住友銀行若松支店)
若松区本町二丁目 明治30年(1897)
鉄骨煉瓦造/2階建 住友総本店営繕課/不詳
2015年2月解体/04.1/民間所有/商店(銀行)
 商店街から外観を見ることもできず、もはや現存しないとの話もありましたが、隣接していた旧住友石炭礦業若松出張所(現在手前広場)と情報が錯綜していたことがわかりました。奥行きもあるなかなか大きな建物です。奧にある建物は撮影時点では、商店街が会議所として用いておりました。
 登記簿などを調べていくと、煉瓦造、しかも福岡県最古の金融建築であることがはっきりしてきました。これは詳しく調査を、と言いたいところですが、使用されなくなってあったいう間に取り壊し。これではどうにもなりません。(41.)

旧吉田伝七商店(同左)
若松区本町二丁目 明治30〜33年
木造/2階建 不詳/不詳
/04.1/民間所有/住居(商店)
 南海岸に遺る建物群の中では非常に珍しく、海岸に背を向けている作品です。1階部分は近年大幅に改装が行われ、一般住居風のたたずまいとなってしまいましたが、未だ2階部には欄干の意匠も残り、商店建築の雰囲気を遺しています。
 若松を地域的に見ると一丁目には業務施設、二丁目には商業地区という棲み分けができていたようで、このような建物が周辺には今も散在しています。(5.8.)

旧東谷邸(同左)
若松区本町一丁目 明治30年代
土蔵造/2階建 不詳/不詳
2008年解体/03.9/個人/商業施設
 土蔵造りの大振りな建物。街道筋の豪商が倉庫などで持つ付属施設ならばよく分かりますが、若松の市街地内で本屋より大きく建てられた施設であり、その偉容はなかなか特徴的なものでした。2階部分の鉄扉も近代の特徴的なもので、和洋混淆な所も好感が持てます。
 長くあるものと勝手に思っていた建物だったのですが、いつの間にか立て替えられ、市街地に良くある新建材の建物に建て替えられてしまいました。更地のまま据え置かれるよりはまちにとってベターな選択と考えますが、やはり残念な思いを禁じ得ません。(聞き取り.)

石炭会館(若松石炭同業者組合事務所)
若松区本町一丁目 明治38年(1905)
木造/2階建 不詳/不詳
/00.8/民間所有/事務所
 門司港と比べて若松の近代建築は寡黙にたたずむものが多く、この建物もそれらに属するものだと言えます。かろうじて玄関周りにはオーダーとベランダが並び、インパクトを与えています。
 近くから見れば、もしくは建物の中に入れば、歴史の重みを充分に感じさせる説得力を持った細かな装飾が嬉しい建築で、現存する若松南海岸の洋風建築群の中では最古のものです。
 古くは建物からすぐに海岸があったようですが、建物竣工後少しずつ埋め立てを行い岸壁整備を進めた様です。(4.5.8.)

上野海運ビル(旧三菱合資若松支店)
若松区本町一丁目 大正2年(1913)
煉瓦造/3階建 保岡勝也/清水組
/03.9/上野海運/事務所
 朴訥な外見からは分かりにくいですが、2〜3階の吹き抜け部分が非常に印象的な建物で、北九州地区にある大正レトロ建築物の中でも特筆すべきものと言えます。
 事務所群が複数部屋単位で入居しているビルですので、内部を一部見学することが出来ます。現在も使われている建物ですので、当然多人数でうるさくすることはもってのほかですが、一度は入ってみて空間が織りなす、ある種神聖な光景を見てみることをお薦め致します。(4.5.8.)

弁財天上陸場(同左)
若松区本町一丁目地先 大正6年(1917)
石造荷揚施設 不詳/不詳
/03.10/北九州市/静態保存(港湾施設)
 港湾地域で階段状の荷揚施設を「雁木」と称しますが、こちらの雁木には他に見られない特徴があります。それが中央部分のスロープ。この部分に運搬対象物を置き、両側の階段部から人が引っ張ることでより効率よく重量物を引き上げられ、効率的な設備となっています。近世の代表的な港湾施設に一工夫加えることで、近代船舶が運ぶ重量物にも対応した、実に若松らしい設備であると考えます。
 両側に取り付けられた灯明も江戸時代の常夜灯ではなく、洋風のそれになっているところもポイントでしょう。若松を訪れる際は必見の港湾遺跡です。(84.)

料亭金鍋(同左)
若松区本町二丁目 大正6年頃
木造瓦葺/3階建 不詳/不詳
国登録有形文化財/03.10/民間所有/料亭(同左)
 一見すると和風建築である事は間違いないのですが、どこかしら華があります。明治から大正に至る和風建築の美しさを充分感じさせる艶っぽい建物です。内装は洋風の意匠を多く取り込んでおり、外装からのギャップに明治という時代性を感じさせます。
 街の中心街にありながら、この様な建物が未だ残っていることに感服せざるを得ません。この度国登録の有形文化財となりました。どこか寂れた印象を持つ若松の街にあって、かつての栄光を今に伝えています。(29.登録文化財原簿.)

北九州市旧古河鉱業ビル(旧古河鉱業若松支店)
若松区本町一丁目 大正7年(1918)
煉瓦造/2階建 大林組/大林組
国登録有形文化財/00.8/北九州市/展示施設(事務施設)
 赤煉瓦の外壁が洞海湾の海際にひときわ映えて見えます。鋭角の敷地の端部にそびえる尖塔は、若松の代表的景観とも言えるインパクトを持って私たちに迫ります。
 長い間存廃問題が議論されていましたが、市民による熱烈な保存運動により、市が買い取りコミュニティセンターとして整備されました。改修工事の際、図面などが発見され、設計に関する重要な手がかりを得ることができました。(4.5.8.建物報告書.)

あやどりマーケット(園山呉服店)
若松区本町二丁目 大正7年(1918)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.1/民間/水道設備(同左)
 商店街の中に埋もれている遺産。登記簿記録によりますと、竣工年代は大正期と記録されていますが、現在の外観となったのは昭和10年代ではないかと推定いたします。ここでは便宜的に大正期の竣工年代を使用しています。
 このように敷地がこまごまと分けられ使用されているため、全体のプロポーションは分かりづらくなっています。だからといって取り毀されるときは一瞬だということは麻生ビルの例ではっきりしました。さて、この建物も心配と言わざるを得ません、といっていたところ、まさかの焼失。無念です(41.)

杤木ビル(同左)
若松区本町一丁目 大正9年(1920)
鉄筋コンクリート造/
3階・地下1階建
松田昌平/不詳
/00.8/民間所有/事務所(同左)

 若戸大橋のたもと、海岸線に背を向けるようにして建てられています。関門地域では最古級の鉄筋コンクリート造の作品で、どちらかというと装飾は少なめですが、玄関周りに時代性を感じさせる建物です。中の階段は狭く、高級感などといったものからはほど遠いものがありますが、実用性を重視した堅固な造りという印象を受けました。
 よく間違えやすいですが、「とちき」ビルです。朽木ではありません。まったく、日本近代建築総覧の間違いが、30年近く経った現在でも多用されるとは、、嘆かわしや。(4.5.8.)

旧麻生鉱業ビル(同左)
若松区本町一丁目 昭和11年(1936)
木造/2階建 不詳/清水組
2006年12月解体/03.9/北九州市/事務所
 古河鉱業ビルの鋭角と対照的に鈍角を利用した左右対称型の建物です。ファサードは地味ながら、時代性を感じさせる建物だと言えます。内装も比較的往時の雰囲気を残してはいますが、毎年羽アリの被害が著しく、また権利関係が複雑なため、保存が難しい、、と言っていたところ案の定、といいますか、残念ですがマンション業者が土地を買収、建物は解体の憂き目に遭いました。
 玄関上部の櫛形文様や丸窓など、所々に琴線をとらえる意匠が続きます。愛すべき作品だっただけに残念でなりません。(4.5.8.)

旧加藤歯科(同左)
若松区本町二丁目 昭和11年(1936)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
2010年春解体/08.3/民間/静態保存(港湾施設)
 天井周りのパットレスがかなり装飾的で、戦後の建物とは思えません。暖炉に用いられた煙突も取り付けられているところから見ると戦前の建物であることは間違いないようです。簡易調査の結果昭和10年代の建物と判明しました。
 窓周りの引っ込みの少なさを鑑みて鉄筋コンクリート造ではないかと考えたこともあったのですが、解体されたときの部材から、煉瓦造りと判明しました。解体されることで建物の構造が分かることは良くあるのですが、それで把握できるというのは、なんといいますか、複雑と言うほかない心境です。(41.)

福岡船用品株式会社(同左)
若松区本町一丁目 昭和11年(1936)
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
2005年末頃解体/00.8/福岡船用品/事務所
 外壁の改修によってのっぺりとした風貌になってはいますが、大きな変化はそのくらいで、比較的竣工当時の風貌を留めています。この様な小規模な建築で昔も今も同じ会社が同じように使っていることに、一種の感慨を覚えました。
 若松南海岸の景観に貢献する建物群の1つと考えるべきでしょう。ひとつの建築物としては特筆すべきものはない様に覚えます、、、と書いてしまったことが悪かったのでしょうか。この建物も既に今はありません。残念です。(5.8.)

旧谷弥合名会社若松支店(同左?)
若松区本町一丁目 昭和初期か
木造瓦葺/2階建 不詳/不詳
/03.9/民間所有/?
 かろうじて看板が残っていた事から、直方に本拠を持つ谷弥グループの若松支店(営業所?)であった事が分かりました。若松本町の裏通りに面し、やはり海岸から恵比須神社に向かう参道の延長線にあった建物と考えていいでしょう。
 企業名が分かったため、この建物を敢えて掲載しましたが、若松の南海岸から若戸大橋に至る周辺一帯は古くからの建物が相当数残っており、そのひとつひとつをリストアップしていけばそれだけで大変な数に上ると思います。(41.)

旧貝島興発株式会社(同左?)
若松区本町一丁目 昭和初期
木造?/2階建 不詳/不詳
2004年末解体/03.10/貝島興発?/事務所?
 玄関部の頑丈そうな扉が印象的な建物ですが、いかんせん飾りっ気が失われているため、目立たないたたずまいを見せています。
 もともとは若松恵比寿神社の正門前に構える花形建築だったはずなのですが、どこかのっぺりとした印象を持つタイル張りのビルになっています。
 貝島興発が破綻したため所有は民間不動産に委託されました。できれば恵比寿神社から若松バンドまでの観光資源となって欲しかったのですが、先日ついに取り壊されてしまいました。(29.)

旧為末医院(→亀井医院)
若松区本町一丁目 昭和初期
木造/2階建 不詳/不詳
/03.10/民間/住居(医療機関)
 県内の個人医院の中では、直方市にある讃井医院・久留米市草野の中野医院と並んで大規模な建物です。私の学生時代には亀井医院という看板が掛かっていましたが、現在それが取り外され、もとの為末医院と書かれた大理石の据え付け看板が出てきました。竣工時はこの名称だったのでしょう。
 これだけ大きな建物となると、現在内部はどのように使用されているのかかなり気に掛かります。他の商用諒されている建物にも近く、こちらもやりようによっては上手く活用できるのでは、と期待せずにはいられません。(84.)

防火用手押しポンプ(同左)
若松区本町二丁目 昭和16年(1941)頃
鉄製防火用ポンプ 不詳/不詳
/04.1/民間?/水道設備(同左)
 本町地区の商店街には、アーケードのついている商店街とついていない商店街の他に、「ポンプのついている商店街」があります。ここ“ウェル本町商店街”には、6基の手押し式ポンプが据えられており、内5基は戦時中からのものと思われるものです。
 戦時中、若松は常に空襲と、それに伴う火災の恐怖に脅かされていました。このポンプは火災の被害を最小限に抑えるため作られたもので、そういった意味では立派な戦争遺産であると言えるでしょう。若松にはここの他にも数基のポンプが今も稼働中です。(商店街サイト.)

大正ビル(大正鉱業若松支店? 山下汽船若松支店?)
若松区本町一丁目 昭和20年? 
鉄筋コンクリート造/2階建 不詳/不詳
2004年夏解体/00.8/民間/事務所(同左)
 地元建築家と郷土史会との間で建築年代が分かれています。正面の装飾的要素は少なく、分離派以降のあっさりとしたデザイン性を感じさせます。私は昭和20年建築という意見の方を支持したいと思います。
 一時期保存運動が盛り上がり、若松バンド地区の一体的整備に拍車がかかるものと期待しましたが、先日訪れるとものの見事に壊されていました。台風によって表の柱が崩れたことによるそうで、またひとつ、南海岸の彩りが無くなってしまいました。(29.)


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