近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>善通寺 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)

香川県善通寺市編

四国学院大学2号館(陸軍第11師団騎兵第11連隊第2号兵舎)
善通寺市文京町三丁目 明治30年(1897)
木造/2階建 不詳/不詳
/05.10/四国学院大学/教育施設(軍事施設)
 細長い構造物。元々は軍の兵舎として使用されていたものを戦後大学を設置するに当たり、校舎として再利用した作品です。近代化遺産のリノベーション例として貴重な実践材料でしょう。
 写真にあるとおりあか抜けた玄関を持っていますが、こちらは後年大学として使用される際に増築したものです。古い建物ですが、うまく色彩を整えたため、それほどの古さを感じさせない、なかなかの好活用と言えます。(51.善通寺市デジタルミュージアム.)

第14旅団善通寺自動車教習所煉瓦造施設(陸軍第11師団施設)
善通寺市文京町二丁目 明治44年(1911)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
/05.10/国/行政機関(軍事施設)
 見た目から考えると、倉庫として使用されている可能性の高い施設。規模から考えると、コンビニでもファミリーレストランにでも使用しようと思えば出来そうな、ほどよい大きさを持っていますが国の所有物件のため、残念な使われ方をされています。
 窓が白い材料で塞がれているため、そこだけが妙に目立ってしまいます。過剰なまでのドーマーも使用しているのなら、目立って良い効果も持っていますが、塞いでいるだけならただの雨漏りの原因です。ううむ、どうにか活用できないでしょうか。(51.)

第14旅団善通寺自動車教習所木造施設
(陸軍輜重兵第11連隊本部か)
善通寺市文京町二丁目 明治期
木造/2階建 不詳/不詳
/05.10/国/行政機関(軍事施設)
 結構大振りな木造物件で、軍関係の施設なら納得の出来る、明治期の建物としては珍しい、しっかりとした建物です。報告書類には軍関係でいくつかの木造施設について言及がありますが、このサイトではこちらは輜重兵の本部施設であったと考えています。背面ながら造りの立派さは十分伝わりますし、これが本部以外の事務施設とするならば、それは敬服せざるを得ません。それくらい、木造では威厳を感じさせる物件です。(51.) 

食堂コトブキ(不詳)
善通寺市善通寺町三丁目 明治期?
木造/2階建 不詳/不詳
/05.10/民間/商業施設(不詳)
 善通寺の袂に位置する木造建築。古そうな外観を持っており当初用途が気に掛かるところではあります。当サイトでは営業中の食堂から名前を取っていますが、当初は当然異なったものでしょう。当初から使用されていた可能性が高い上げ下げ窓で洋風建築の流れを感じ取ることが出来ます。
 この建物について特に言及された書籍もサイトもございません。それでも掲載したくなるようなたたずまいを持った施設が、ここ善通寺にはたくさんあるような気がします。

JR善通寺駅(同左)
善通寺市文京町一丁目 大正11年(1921)
木造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/05.10/JR四国/交通施設(同左)
 駅の全容が分からないではないか、と嘆かれる方もいらっしゃるでしょうが、正門を除いた部分は建替えられていると表現されたり、屋根材のみの改修であるといわれたり。正直どちらが正しいか分かりません。建物の価値にもっとも適切に当てはまるものと考えると、遺産としてはこういう撮り方をすることが良いのでは、と考える次第です。
 玄関部分でもちゃんと残していることに評価すべきですが、それ以外はきれいになりすぎています。、木造駅舎の雰囲気は何とか残されているのは、観光面でプラスでしょう。(51.)

水尾写真館(同左)
善通寺市上吉田町三丁目 昭和2年(1927)
木造/2階建 不詳/宮大工
国登録有形文化財/05.10/民間/商業施設(同左)
 近代、洋風建築へのあこがれをはっきりと示した建物。日本の近代を象徴する「瓦屋根と下見板」の組み合わせを持ち、全くの洋風建築ではないものの、正面を重要視した装飾の数々は単なる建物の飾りのみならず都市の中で景観的な財産にもなっています。
 丁寧なメンテナンスが行われているようで、所有者が変わらない限りはこのまま見続けることが出来る建物だと思います。これからも地方都市の「ハレ」の建物としてあり続けて欲しいです。(a.51.)

第14旅団善通寺自動車教習所旧歩哨舎(陸軍第11師団歩哨舎)
善通寺市文京町二丁目 昭和期
鉄筋コンクリート造設備 不詳/不詳
/05.10/国/静態保存(軍事施設)
 この位置に置いていない限り、何の目的で使用されていたものか、さっぱり分かりそうもない構造物。歩哨舎という名称から分かるとおり、敷地内に不審者の侵入を防ぐため、歩兵が監視を行うための詰所として建てられた施設です。いくら一兵卒と言え、雨天の時などはずぶ濡れのまま任務に就かせるのは効率が悪いのでしょう、詰所の形でちゃんと覆い屋を設けているのは、陸軍でも兵士に対するそれなりの配慮があったのかな、と思わせることが出来ます。
 現在は完全にモニュメントとして保存されています。今後時世が変わってもこの建屋に誰かが入り、いかめしい顔を見せないで済むような世の中であって欲しい、と思わざるを得ません。


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