第1部

筑豊地域の写真コーナー第二弾、今回は田川市の特集です。田川市は近代に入り、三井炭鉱の拠点のひとつとして大変な発展を遂げました。昭和30年代には人口が10万人を超え、筑豊三大都市としての地位を確立しましたが、炭鉱閉山とその後の産業転換の遅れから未だ傷をいやせないままでいます。
今回は田川の中でも伊田地区を中心に写真を紹介したいと思います。

JR田川伊田駅兼平成筑豊鉄道本社です。第三セクターである平成筑豊鉄道は、元々国鉄の線路であった国鉄田川線を中心とした三路線を運営する会社としてスタートしました。数少ない黒字の第三セクター鉄道会社として知られていましたが、近年のセメント不況によって経営は悪化。経営改革の途上にあります。

三井田川鉱第二竪坑跡です。この田川市は戦後の一時期、人口十万人に達していた事がありました。その人口を支えていたのが、三井田川炭鉱です。ここ第二竪坑跡は現在石炭記念公園として敷地内の石炭資料館とともに当時の栄光を後世に伝えようとしています。

田川石炭資料館内にある野外展示コーナーです。向かって奥の赤い構造物は三井伊田坑の巻き上げ機でした。現在この様に炭坑で使われた機材は石炭記念公園内に静態保存されています。

田川・松原炭鉱住宅です。これは確か一昨年に撮った写真だと思います。卒論を控えた昨年に訪れたときにはかなりの炭鉱住宅が取り壊されており、現在ではこのような光景を見ることはできないかと思います。
炭鉱最盛期の田川の繁栄を物語る重要な町並み風景であったと言えるでしょう。

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